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メトのライブ・ビューイングのアンコール上映で「愛の妙薬」を見てきた

 今年もメトのアンコール上映を見てきました。2017-18シーズンの「愛の妙薬」です。ちなみに、今年はこれ1本だけを見る予定です。

 例によって、スタッフ&キャストを書きます。

 指揮:ドミンゴ・インドヤーン
 演出:バートレット・シャー

 ネモリーノ:マシュー・ポレンザーニ(テノール)
 アディーナ:プレティ・イェンデ(ソプラノ)
 ベルコーレ:ダヴィデ・ルチアーノ(バリトン)
 ドゥルカマーラ:イルデブランド・ダルカンジェロ(バス)

 実はこの演出で見るのは、これで2度目です。初演の2012-13シーズンの上映を見ています。あの時は、アディーナをアンナ・ネトレプコがやっていました(ネモリーノは今回と同じくポレンザーニです)。でも…老犬ブログには記録がありません。どうも、書き忘れたようです、だめじゃん。

 それにしても「愛の妙薬」と言うのは、実に良いオペラです。全編にメロディがあふれていて、ストーリーもクスッと笑いながらもほのぼのとしていて、ソロも重唱も素晴らしく、ほぼ捨て曲がありません。まさしく、オペラ作曲家ドニゼッティの代表作です。この公演でも、私はうっとりとしながら、大いにオペラを満喫しました。水準以上の出来だと思います。

 で、水準以上の出来だからこそ、ちょっとした違和感に不満を持ってしまいます。

 それは…ソプラノのイェンデです。彼女はスリムで美しいし、歌唱も完璧です。本来なら、非の打ち所が無いのですが…彼女は南アフリカ出身の黒人なのです。

 最近のメトは、エンジェル・ブルーを始めとして、黒人ソプラノを起用する傾向にあります。おそらくは、ポリコレなのでしょうね。メトでオペラを楽しむ層は、ポリコレにうるさい、意識高そうな人々が多いでしょうから、舞台上演に際してポリコレを重視するのは分かりますが…ただでさえ人気の無いオペラに、ポリコレを導入したら、現在のディズニー映画の二の舞いになりかねません。劇場支配人のゲルブはどこまで考えて黒人をキャスティングしているのでしょうか?

 今回のイェンデは素晴らしい黒人歌手だと思います。しかし黒人なのです。歌声がオペラ向きではないのです。我々日本人の歌声がオペラ向きではないのと同程度に、黒人である彼女の声はオペラに向いていません。

 音程とリズムが合っていれば、それだけで音楽になるわけではないのです。大切なのは、音色です。

 彼女の声は、ごく普通に黒人歌手の声です。つまり、ウェットで滑らかな歌声なのです。はっきり言ってしまえば、全くキラキラしていないのです。マットな声なのです。

 オペラのソプラノ歌手に求められるのは、きらびやかな歌声です。宝石のようにキラキラした声で、アリアを歌う事で、音楽が万華鏡のように多彩に光り輝くのです。それをマットでウェットな声で歌われると…なんか違う感がしてしまいます。

 特に、テノールとの二重唱になると、ポレンザーニの声がキラキラしているだけに、まったく見劣りしてしまいます。いや、埋もれてしまうという方が正しいかな? 本来は、テノール以上に輝く声で歌わなきゃいけないのに、それが全くできていないのです。実に残念だし、これでは「愛の妙薬」の魅力も半減してしまいます。

 …と音楽面での不満を書きましたが、舞台的にも、黒人がアディーナを演じるのは、無理と言うか、滑稽ですらあると思います。だって、舞台は昔の田舎の農園だよ。アディーナは農場主の娘でお嬢様だよ。昔の田舎の農園にいる黒人って、奴隷とか小作人とかであって、何をどう間違っても“農場主の娘”なわけはありません。

 ポリコレを求めるあまり、リアリズムを忘れちゃったんだね。お芝居って、全体が大きなファンタジー(つまり嘘)なんだから、細部に嘘をついてはいけないわけで、リアリズムを忘れてはいけないのです。イェンデは素晴らしいオペラ歌手かもしれないけれど、彼女をキャスティングすることで、演劇的には鼻白むモノに落ちてします。

 イェンデをキャスティングするなら、アディーナではなく、ジャンネッタにするべきだったと思います。

 しかし、カーテンコールの様子を見ていると、イェンデは会場のお客さんには受け入れられていたようです。つまり、メトの観客にとっては、リアリティのある演劇よりも、嘘っぽくても政治的に正しい事の方が歓迎されるって事なのでしょう。

 目先のポリコレ大好きな客(主に高年齢層)に迎合していたら、ほんと、オペラが落ちぶれてしまうよ。私は、今回の「愛の妙薬」で、そこが心配になりました。

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