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なぜ、歌に勝ち負けを求めるのだろうか?

 撮り溜めておいた紅白歌合戦の再放送を見ていて思いました。なぜ“歌合戦”なのだろう? なぜ歌に勝ち負けを求めるのだろうか?

 確かに歌には上手い下手はあります。だから、のど自慢とか、オーディション系の企画で合格/不合格が出るのは理解できます。だって、下手な歌は、誰が聞いても下手なんだもの。ダメなものはダメなんですよ。

 でも“上手下手”と“勝ち負け”は全然違います。別に歌が上手いから勝ち…とは限らないと思います。

 コンクール等で、優勝の他に観客賞があったりしますが、これって「上手い人は優勝だけれど、勝ったのは観客賞の方だよね」と私は思ったりします。だって、歌ってエンタメじゃないの? そこでの勝ち負けは、上手い下手ではなく、どれだけ観客に支持されたかって事でしょ?

 そうすると紅白歌合戦で、紅白のどちらのチームが勝ったのかなんて…どちらのチームがどれだけのファンを支持されているって事で、いわば歌手たちの人気投票になってしまうわけで、それなら、わざわざ歌を歌う理由がないと思ってしまうのです。

 そもそも、歌なんて、聞いて楽しかったら、それで良いわけで、そこに勝ち負けを求めるのは違うのだと思います。だから紅白も“歌合戦”ではなく“音楽祭”にしてしまえばいいのです。

 そうは言いましても…

 その一方で、我々日本人は、争い事が大好きで、すぐに勝ち負けを欲し、常に勝ち続けていたという性質があります。ある意味、負けず嫌いで、野蛮な国民性だと思いますが、それがあるゆえに、たかが歌であっても、それを合戦形式にして、勝ち負けを求める事で、人々の興味関心を引き出し、見てもらえる…と当時の番組担当者たちは、紅白歌合戦の企画を考えたわけでしょうし、少なくとも、昭和の時代までは、それが通用したわけです。

 しかし今や時は流れ、時代は令和になりました。別に誰も性別によるチーム分けの対抗戦が見たいわけでもありません。それはまさに“多様性の否定”でしかありませんし、そもそも、歌に勝ち負けなんて誰も求めていません。

 実際、最近の紅白は、一応、勝ち負けは残っていますが、昔ほど勝敗にこだわっているようではありません。逆に言えば、昭和の時代は、人々は本当に勝ち負けにこだわっていたんだなあって思った次第なのです。

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