スポンサーリンク

社会人経験の有無とは?

 私世代だと、女性の多くは専業主婦だったりして「私には社会人経験がないから…」と卑下している人がいたりします。

 確かに、学校卒業して、家庭で家事手伝いとかをして嫁に行った人は、社会人経験はありませんよね。

 …って言うと、なんか、社会人経験って、そんなに大切なものなのかな?って思わないでもないです。と言うのも、社会人経験の“社会人”って何?って思うからです。

 「社会人経験がない」とは「世間知らず」って意味で使われる事が多いです。確かに、身を粉にしてお金を稼いだ経験が無い…というのは、人生の上で、残念な事かもしれません。それを称して「世間知らず」と言われちゃうのも、なんなのかな?と思わないでもないです。

 お金を稼げれば、それで一人前なの?

 じゃあ、非正規労働者とか、バイトやパート経験も、社会人経験のうちに入るわけ? バイト経験があれば、学生も社会人になるわけ?

 社会人って、社会の構成メンバーって意味合いがあるじゃない? 社会の一部として、会社という組織の一部として、責任あるメンバーって意味も含まれると思うのだけれど、非正規労働者とか、バイトやパートに、責任なんて被せないでしょ? いや、被せちゃダメでしょ? だったら、非正規労働者とか、バイトやパートは、お金を稼いでいるけれど、責任ある社会人とは違うような気がします。少なくとも、昭和な人である私の感覚では、バイトやパートは半人前って思っているし、非正規労働者も同様に感じています。では彼らが社会人でないのなら、何なのか?というのなら、それは単なる「労働力の提供者」です。労働力という身体の提供者であり、責任という精神は提供していない、いわば無責任な立場の労働力なのです。

 そう思っているので「社会人経験がない」という人は「社会に対して責任を持ったことがない」という意味であって、そう考えると、専業主婦なんて、家庭とか育児とか介護とかに責任を持って任に当たっているわけで、彼女たちはお金は稼いでいないけれど、社会の構成メンバーとしての責任は果たしているわけで、そういう意味では、非正規労働者とか、バイトやパートの人たちよりも、よっぽど社会人しているような気がするのです。

 とは言え、現実問題として専業主婦の方々が「私には社会人経験がないから…」と卑下してしまうのは、ひとえに彼女らの職場(活躍する場)が自宅で、いわば今で言う“リモートワーク(出社せずに働く)”のような、引き込まったままの労働で、他の人との接触が無いからでしょう。彼女らに欠けているのは、他の人との接触であり、そこに存在するルールの遵守や常識の共有であり、そこで発生するトラブルへの対処法等の処世術であるわけです。

 そう考えると「社会人経験」によって得られるモノと言うのは“経験から得られる社会知と、言語化されないルール”なのかな?って思うわけです。そう考えると、確かにリモートワークである専業主婦たちが“経験から得られる社会知と、言語化されないルール”を身につけるのは難しいし、責任負わないバイトやパート等の人々は、働きながら職場での空気を読むことで“言語化されないルール”は身についても、仕事から得られる経験が少ないわけだから“経験から得られる社会知”が不足してしまうわけです。だから彼らは半人前扱いされるわけなのです。

 結論。社会人経験とは、その社会の構成員として、必要十分なルールをわきまえていること…ってことになるのかな? で、そのルールを十分に体得していない人を「世間知らず」って言ってしまうのかもしれません。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 その他日記ブログ 身の回りのできごとへ
にほんブログ村

コメント

タイトルとURLをコピーしました