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大学サークルの同窓会に行って思ったこと

 約40年ぶりに旧友たちと会ってきました。“旧”友たちと…です。

 40年ぶりに会ったので、最初はどれが誰だかも分かりませんでした。席について自己紹介をして、現在と過去の点と点が線で繋がったところで、そこにいたのは見知らぬ他人でした。

 うむ、40年経つと、人間関係ってリセットされちゃうんだな。

 考えてみれば、40年前の我々は、まだ社会に出る前の若者でした。で、今は…というと、社会を引退した老人です。個体としては同じであっても、若者と老人は違います。40年という月日は長いです。社会人としての現役時代に何の共通点も思い出も持ち合わせない者同士が顔を合わせても、不思議と「懐かしい」という気持ちにすらなりませんでした。

 「ああ、彼はこんな人になったんだ」「彼女はこんな人生を歩んだんだ」という確認ができたくらいかな? 実際、40年経つと、人間って、顔も体型も変わるし、人柄だってだいぶ違うわけで、ほぼ別人になるんだね。不思議不思議。

 やはり人間関係って、共に過ごした月日の長さや重さに比例するんだよ。かつては良き仲間であり友人であっても、そこから離れて過ごした時間の蓄積が、人間関係の距離を広げていくんだ。

 それに、40年も経つと、人間の人生の立ち位置ってヤツも大きく変わるんだね。今回は、大学サークルの同窓会ってことで、基本的に、みんな似たような職業につき、同じような人生を歩んできた人ばかりが参加したのだけれど、それでも数は少なかったけれど、少し違った人生を歩んだ人もいたわけで、そうなると集団の中に、人生の勝ち組負け組的な色合いが自然と出てくるんだよね。

 学生の時は、みんな同じ位置に立っていたはずなのに、なぜこんなに違ってしまったのだろうか? …なんて思ったりもしました。勝ち組ポジションにいる人は、そんな事には無頓着だったみたいだったけれど、負け組ポジションの人は、なんとも居心地悪そうでした。まあ、自分が負け組ポジションだったら…たぶん同窓会には行かなかっただろうし、実際、声をかけたのに、ここに来なかった人もいるわけです。

 なにしろ会場は、地元でも有名な高級レストランだったもんで…そりゃあ経済的に負担が大きいからねえ…。

 幹事さん(この人は有閑マダムで、ある意味、一番の勝ち組です)は頑張って数多くの人に声をかけてくれたようだけれど、実際の参加メンバーはごく少数で、大半の人は欠席でした。その欠席理由を聞いてみても、曖昧にしか答えない人が大半で、はっきり理由を教えてくれた人も「ダブルワークで忙しいので参加できません」とか「失業中/閑職なので経済的余裕がなくていけません」とか「長期入院中なので行けません」とかでした。まあ犯罪者になって服役中という人がいなかったの良かったけれど、すでに鬼籍に入っている人もいました。

 負け組的ポジションで居づらそうな中に一人だけ生き生きとした人がいて…どうやら彼女は現在、新興宗教にはまっているらしく、その宗教の布教のために同窓会に参加したみたいで、私もたっぷりと布教され、その信仰のグッズなんかもいただいてしまいました。信仰があれば、居づらさも乗り越えられるようです。

 老人になってからの同窓会なんて、ある意味、人生の答え合わせみたいな部分があるなあって思いました。そういう意味で、同窓会って罪が深いなあ…って思いました。それにしても、あの頃の僕らに、どうしてこんなに差が生じてしまったのでしょうね。40年という時間は、嫌になるほど、長い時間だったんだなあ…って思った次第です。

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