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歌を耳コピだけで歌うのは、ちょっと危険?

 特にクラシック声楽は、必ず楽譜を読んで、しっかり音取りをしてから歌うべきです。

 市民合唱等をやっていると、音取り音源と言うのがあって、それをよく聞いて、フレーズを覚えて(つまり、耳コピをして)歌うというのが常識であったりしますし、それが推奨されたりするわけですが、それでもやはり楽譜はしっかりと読むべきだし、楽譜通りに歌えるように努力するべきです。

 少なくとも、歌っている合唱曲がクラシック系の合唱曲ならば…です。もちろん、これがクラシック系の声楽曲であるならば、言わずもがなの事です。

 なぜなら「クラシック系の曲は、楽譜がすべての始まりだから」です。楽譜に書かれている事を忠実に再現してみるのが、クラシック系の曲の大前提なのです。だから、耳コピで覚えた音は、あくまでも“参考”であって、そこで覚えたものを覚えたままに歌っては、ちょっと危険かな?って思うわけです。

 と言うのも、その音取り音源の演奏って、必ずしも楽譜通りとは限らないでしょ? あるいは、その楽譜の読み方とは別の読み方による演奏が求められているかもしれないでしょ?

 後半の記述は分かりづらかったかもしれませんが、実は楽譜の読み方には幅があります。あるいは、楽譜による記述というのは、かなりの曖昧さを含有しています。ですから、100人の演奏家がいて、彼らが全員、楽譜通りに演奏しても、おそらく100通りの異なった演奏になるはずです。それくらい、楽譜というのはアバウトで曖昧なものなのです。

 ですから、クラシック系の音楽とは、楽譜という一定の規範に従いつつも、各演奏家の個性を出して演奏する音楽なので、ある演奏家の演奏が素晴らしかったとしても、その演奏は必ずしもあなたが演奏するべき音楽とは一致しないかもしれないわけです。

 だから、音取り音源の演奏を参考にしつつも、実際の演奏は、あなたの個性を前面にだしていくか、あるはい代表者(指揮者)の音楽観を反映した演奏をするべきであって、音取り音源そのままってはダメなのです。

 あくまでも目の前の楽譜の記述を、どう現実化し音楽として演奏していくべきか…これがクラシック系声楽や合唱に求められている事なのです。

 なので、クラシック系の音楽では耳コピはあくまでも参考なのです。

 ポピュラー系の音楽の場合は…耳コピは当然であり、それを元にして演奏されるのですが、それはどうやったってオリジナルとは異なる演奏になります。だって、演奏者が違うのですから、同じ音楽を奏でるのは基本的に無理無茶なのです。そこでポピュラー系では、耳コピして他者が演奏した音楽を“カバー”と呼ぶわけです。

 カバー曲の中には、オリジナルにかなり忠実なカバーもあれば、似ても似つかないカバーもあるわけですが、それは演奏者の個性の反映ですから、それはそれで良いわけです。そこがクラシック系とポピュラー系の違いなのかもしれません。

 クラシック系では参考程度にしかならない耳コピですが、ポピュラー系では、逆に、耳コピは基礎基本な能力であり、耳コピで演奏できないようではお話にならない…というわけです。

 そもそも、ポピュラー系の音楽家には楽譜が読めなかったり書けなかったりする人も大勢いるし、楽譜が有っても、どれだけ楽譜から離れた(素晴らしい)演奏できるかが勝負!と思っているミュージシャンも大勢いたりします。そういう意味で、楽譜には頼らない音楽がポピュラー系の音楽の本質だったりするので、クラシックとは全然別の音楽であると言えるでしょうね。

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