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録音された声と生声は違うのです

 だから私はコンサートに行きます。ただし、それは生声のコンサートであって、マイクを通した声(電気的に拡声された声)のコンサートならば、それは録音と同じです。だからポピュラー系のコンサートはあまり行きたいとは思いません。ポピュラー系のコンサートの場合は“音楽を聞く”というよりも“コンサートというイベントに参加する”ために行くのだと心得ています。ですから、今回の話はクラシック系のコンサートに限った話だと思ってください。

 いくら技術が進歩しても、やはり再生音楽には限界があります。時に声の魅力の再現には限界を感じます。上質な再生装置で最新録音による演奏を聞いたとしても、それは生声とは明らかに違うものだし、その違いの部分が大切だなあと思うわけです。

 と言うのも、声の魅力の一番うっとりする部分って、録音されないし再生もされない部分にあるような気がするからです。つまり“生声にしかない魅力”というのがあるのです。それを“声の味わい”と呼んでもいいかもしれません。その味わいが違うのです。

 そして、その味わい深い声を求めて、私はコンサートに出かけるわけです。逆に言えば、味わいにこだわりが無ければ、録音でも十分と言えます。

 これって食品や料理にも通じるモノがあるような気がします。レストランで食べる料理と、最新技術で作られた冷凍食品やレトルト食品との違いですね。最近の冷凍食品やレトルト食品は全く馬鹿にできないほどのクオリティに仕上がっています。

 事実、大衆向けのファミレス等で提供される料理は、実はシェフが作っているわけではなく、工場で作られた冷凍食品やレトルト食品を温め直したモノが提供され、それを我々は「美味しい美味しい」と言って食べていたりします。

 ファミレスの料理だって十分に美味しいし、それで満足だって出来ます。しかし、普通のレストランの味を知っていれば、たとえファミレスの料理を美味しいと感じたとしても、それはレストランの味とは、どこか微妙な点において違うと感じるわけだし、ファミレスの料理とレストランの料理は違うと感じてしまうわけです。

 無論、大したこと無いレストランならば、ファミレスの味に負けてしまう事もあるでしょう。旨さという基準ではファミレスに負けてしまうレストランであっても、その料理にはファミレスの味には無い“味わい”というモノが必ずあります。この“味わい”にこだわるならば、ファミレスばかりではなく、たまには普通のレストランにも足を運びたくなるわけです。

 声や歌も、同じような事が言えると私は考えます。だから、たとえ旨さ(歌の上手さ)ではファミレスの料理に(録音された歌)に負けたとしても、その味わい(録音されない声の魅力)を求めて、私はレストラン(コンサート)に出かけるのです。

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