今回の記事は、昨年の最後のレッスンに行ってきた話です。年始年末休みと新年恒例の連載があったために、掲載が遅くなりました。
さて、前回のレッスンでは、病み上がりでまともに歌えませんでしたから、実質今回のレッスンが、退院後、初めてのレッスンのような感じとなりました。
最初はハミング練習からです。とにかく響きを高くして発声しましょう。声を当てる場所(顔面)を、自分が楽な場所に当てるのではなく、そこよりも高い場所に当てるようにし、一度声を当てたら、そのまま声を前に出し続けるようにします。そのためには、息をしっかりと吐き、お腹で支え続ける事が大切です。
とにかく、楽に発声するのではなく、楽なところよりも1段階高いところで声を出す癖を身につけるように努力をする必要があります。
発声練習では、子音の上で母音を開いて発声できるように心がけました。
また、音程と響きの位置をリンクさせない事にも気をつけました。これは私だけの癖かもしれませんが、実は私、高い音程の声は高い響きで、低い音程の声は低い響きで歌ってしまいがちなのです。つまり、響きの場所が音程によって、上下に動きがちなのです。
具体的に言えば、私は手の運動は伴いませんが、よく手の上下と音程の上下をリンクさせて歌う人がいるじゃないですか? アレですよ、アレ。私はアレと似たような事をやっているのです。
私の場合(無意識ですが)音程とリンクさせていたのが響きです。つまり、音程が高い音は響きも高く、音程が低い音は響きを落として歌っていたのです。音程の上下を響きの上下とリンク歌っていたわけです。それをやってしまうと、当然、音程と一緒に響きの場所も上下に移動してしまいがちです。実にそれは良くない事です。
なので、それを止めるように気をつけながら歌うようにしたのです。
というのも、これをやって、音程と響きをリンクさせて歌ってしまうと、高い声はより細く、低い声はより太くなってしまって、音程で声の音色が変わってしまうからです。低い声はバリトンっぽい声になり、高い声はオカマ声になりがちですが、それはテノールとしては、ダメダメなわけで、音程が高くても低くても、声の音色は一定にし、常にテノールの音色で歌わないといけないのです。、
ですから、音程がどんなに高低に動いても、響きは常に高めで一定のところに無いといけません。
声は上にあげちゃダメだし、下に落としてもダメなのです。
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コメント
こんばんは!
高音と低音が繋がると、安定しますよね。
たぶん、腸腰筋を鍛えると良いような気がします。(背中の筋肉も重要なんでしょうね、きっと。)
「プランク」をしていらっしゃるようですが、腸腰筋を鍛えて全身を繋ぐ「キングオブエクササイズ」ですよね。
私はひ弱ですが、筋トレも少しずつしておりまして、「鬼滅の刃」のように、全身のあらゆる毛細血管の末端に至るまでを活性化できたら、、、という夢を持っております。(笑)
歌うことは筋トレと思っていますが、歌そのものは無理が無い筋トレで楽しいです。🌸
さとさん
実はプランクはやったり、やんなかったりしています。一応、毎日やろうという気持ちだけありますが、眠気に負けている私です。
ただ、結局、歌って音楽だけれど、スポーツでもあると思っています。だから、必要な筋肉は鍛えないといけませんが、不要な筋肉を鍛えてはいけないと思ってます。
ただ、アウターマッスルを鍛えるのは簡単ですが、インナーマッスルを鍛えるのは、なかなか難しいと感じています。本来は歌うことで鍛えるべきでしょうが、謳ってばかりはいられないので、代替の方法が提案されているのだと理解しています。それがプランクなのでしょう。
>歌うことは筋トレと思っていますが、歌そのものは無理が無い筋トレで楽しいです。
ですね。私もそう理解しています。ただ、筋肉繊維を太らせるだけでなく、脳と当該筋肉をつなぐ神経の経路のつながりを良くしているとも思ってます。
すとんさん
そうなんですよね、歌に必要な筋肉。
腸腰筋とか、他にもあるでしょうが、、、多裂筋が実は重要なんじゃないだろうかと思っていて、、、でも、いろいろと入り組んでいるので難しいんです。
以前「力を抜く」っていうのは筋肉が十分についてから、なんだろうと感じます。
実は、確かに筋トレをして、鍛えて初めて身体のバランスをとって発声をする感覚がなんとなく分かってきたような気がしております。(まだまだ、ではありますが。)
神経の経路、というのは、本当に重要だと思います。
人間の声が、身体を楽器として響き渡るのは神秘的にすら感じます。
歌うことは、無条件で楽しいです。(^^♪
すとんさん、
すみません、今送ったコメントで、「以前」が繋がっておりません。
「以前「力を抜くように」と先生がおっしゃっていたんですが、当時は「無理」と思っていました。。。。今筋肉が最低限鍛えられて、、、、」と繋がります。
脱力って言っても、ある程度筋力で身体を支えられないと、そしてそれらの筋肉が鍛えられていないと、無理ですよね。。。
さとさん
言わずもがなの前提条件…ってありますよね。
例えば、勉強。「暗記よりも理解が大切」とおっしゃる方がいますし、それも間違いではないと思うのだけれど、どの教科であっても、理解をするためには最低限、事前に暗記しておかないといけない事項ってのがあるわけで、その前提条件となる暗記を抜きにして理解理解というのは、違うわけです。
おそらく歌もそうで「脱力が大切」と言うけれど、脱力の前に、必要な部位を自在に動かせる筋力とか神経のつながりがあっての“脱力”なんだろうと思います。その点は、さとさんに同意します。
最近の私が考えているのは、歌における自然体って、どんな感じで、自分はその自然体になれるか?って事です。柔道における自然体はカラダに身についてますし、他の武術や格闘技の自然体も、だいたい察しはつくんです。
で、歌の自然体って、どうなんだろ? たぶん脱力と関係するんだろうなあ…とボヤッと考えているんですよ。
すとんさん
以前鍼の先生がアスリートの筋肉は「柔らかい」と言ってました。使うときだけ力が入って硬くなるんでしょうね。普段は柔らかくて全然凝っていないとのこと。
ところで、歌を歌うのは、仰向けに寝ていても声が出る状態と聞きましたが、そうは言っても立っているほうが出しやすいだろうと推測します。抗重力筋も使うのではないかとは思いますが、もしかしたらそれほど大きな役割を果たしていないのかも???
筋肉は鍛える必要はあるでしょうが、おそらくは理想的な筋肉になりやすい骨格があって、そのような骨格の人はあまり努力せずに理想的な筋肉を持ちやすいのではないかと、思いますが、、、、骨格それほど恵まれなくても、努力で良い筋肉をつけたいところですよね。
さて、自然体、、、考えたことが無かったような気がするのですが、、、。
立っていても、どこにも力が入らず(支える筋肉が十分に鍛えられているから)、そして背骨も柔らかいのだと思います。そして音程に合わせて使う部分だけが(ピアノの鍵盤に対応する場所のように)その時力が入るのではないかと推測しております。ただ、呼吸が必要なので、横隔膜を支える筋肉は常に使っていることになるような、、、。アコーディオンのように、呼吸で吸って吐いてを繰り返すのですものね。
呼吸をする筋肉を支えることができる状態、そしてバランスで立っていて、余計な筋肉を使っていない状態なのではないでしょうか。十分に歌うための呼吸ができるっていうのが重要ですよね、きっと。
追求すべき重要課題のように思います。
さとさん
>歌を歌うのは、仰向けに寝ていても声が出る状態と聞きました
出ますよ。ってか、出るようにしますよ。
歌曲しか歌わない人ならともかく、オペラを歌う人は、あらゆる体勢で歌えるように鍛えます。寝っ転がりながら歌ったり、歩きながら歌うなんて、基礎訓練の一つです。私もやりましたよ(笑)。
そういう意味では、発声はある程度、無意識で出来るようにしないといけないし、そうなるように訓練しないといけません。だからこそ“自然体”を見につけないと、歌っていられない…とも思うわけなのです。
すとんさん
歌うときは、「歌う」体勢(?)にする、しかも自然に、無意識に、ということですね。
ただ、、、、ある程度バランスを取れば、無理なく声はでるようになるし(自分のレベルで)、身体はその時の歌う音程や発音に合わせて少しずつ調整しながら歌うような気がします。そうでないと、歌うのはつらいような??響きを求めて勝手に調整してくれると思います。
音程がそうであるように、発音がそうであるように。良く響く状態を無意識に求めているような気がしますが、、、どうなんでしょう?
さとさん
要するに「演じながら歌えるようにする」という話です。主体は演技で、歌は従ですが、歌にしては不自然な動作でもなんでもアリで、それでもきちんと歌えないといけないって話です。
ちょっと昔のオペラ歌手である、ナタリー・デセイは、まさにその道の達人で、彼女は走りながら歌ったり、うずくまった姿勢でも、のけぞった姿勢でも、バンバン歌っちゃうわけで、彼女を見ていると、歌って、息をするくらい無意識に歌えないと、とても演技なんて出来ないぞ…と思うわけです。
今の若いオペラ歌手は、デセイレベルの人も増え、声なんて、無意識で最高レベルのものが出せないと、プロとして通用しない…と言われているようです。まあ、私はアマチュアの、それもかなりレベルの低い人ですが、それでも、演じながら歌える歌手でありたいと思ってます。
すとんさん
なんと、プロ並みの練習をなさっていらっしゃるのですね。
激しく動きながら、というタイプのオペラ歌手もいるのでしょうが、基本は「ホール全体に響く美しい声」がオペラの真骨頂だと思いますので、まずはそこを私は目指したいと思います。
ダンサーが躍るために抑えるべきところ、というのがありますが、歌手の場合は「横隔膜」「柔軟な背骨」「口腔」あたりを歌のために使える状態に保つことではないかという気がします。
ところで、歌うときの響きって、すごく身体にいいような気がするんですよ。超音波の医療もあるようですが、ネコも「ゴロゴロ」っていいながら骨折を治すそうですし、、、。歌はいろいろな意味で最高ですよ。(^^♪
さとさん
>なんと、プロ並みの練習をなさっていらっしゃるのですね。
いやいや、オペラを歌うなら、かなり初学の段階で学ぶことです。動きながら歩きながら歌うなんて、どこのアマチュアオペラ団でもやっている事です。
歌は歌、動きは動きと、別々にできないとオペラは歌えません。そのために避けなければいけないのが“発声のルーティン”であって、動きながら歩きながら歌うのは、発声のためのルーティンを避けるためであって、それができるようになると「演技をしながら歌う」という段階に入るのだろうと思います。
>基本は「ホール全体に響く美しい声」がオペラの真骨頂
まさにその通りです。しかし、それだけで良しとされていたのは、20世紀のオペラ上演であって、せいぜいパヴァロッティまでの話です。プロ・アマ問わず、今のオペラでは「ホール全体に響く美しい声」は最低条件の話であって、それにプラスして、表現力や演技力が求められるし、プロはさらに容姿や体型も要求されます。美しい声には太っている事が求められますが、昨今は、太っているという理由で歌劇場を解雇されてしまうのだそうです。
あと、美しい声で歌える事は大切ですが、美しくない声で歌える事もオペラでは求められます。明るい声で歌ったり、くぐもった声で歌ったりと、様々な音色できちんと歌えることもオペラでは求められます。だから、そのための練習が必要なわけで、私が最近、Y先生に求められているのも、声の音色をたくさん持つ事だし、それらを使い分けていく事なんです。
たぶん(外れていたら、ごめんなさい)さとさんが念頭に置いているのは、合唱とか、歌曲とかの、いわゆる“歌”なんじゃないかな? 私と微妙に話がずれるのは、私が念頭に置いているのが単なる“歌”ではなく、オペラとかミュージカルとかの歌芝居を念頭に置いた“歌”であって、この両者は似ているようで(そもそも違うジャンルの歌なので)違う部分もあるので、話がズレていくのかなって思います。
すとんさん
その通りです。私が考えているのは「歌う」という動作というか、行為というか。とはいえ、どちらも「ピッチャーが投げるときのボールのコントロール」の動作と同様に見なしています。そのため、たとえ演技をしていても、ボールを投げる際の最低限の構えは必ず達成しているようなイメージです。むしろオペラの演技のほうが「動いている分」「歌いやすいような」姿勢を取りやすいというか。実は合唱は基本的に動かないので(私が動いたほうが使うべき筋肉を使いやすいと感じてしまうためか)難しいかもしれません。なので、「なぜ、動くと歌いにくく感じるのか」という疑問が起こります。両者に違いはありません。要はもしかすると、「コントロール」を行う「運動神経」なのかも??
練習方法はたとえ中学生の野球でも、プロの野球でも、草野球でも、様々な練習方法を取り入れるでしょう。しかし問題は「何ができるようになっているか」であって、練習方法自体は特に関係が無いのではないか、とも思うのですね。
歌は身体能力を必要としますので、優れて「スポーツ」的な能力、運動能力と考えるべきと感じております。そこに芸術性が加わっていますが、それは「聴覚によって引き起こされる芸術感覚」ですね。舞台なら視覚的要素も入ってきますが。しかも文化、言語などなども関わります。芸術は一方で美術や文学などともつながるので、常に「歌とは、音楽とは」とその位置づけを考えてはいるんですが、なかなか難しいです。
すとんさんが「自然体とは」と考えている問いの持ち方をされているように、私も異なる視点で問いを持っているわけですね。あ、またずれてしまっているかも。(^^♪