さて、ブログを復活させます。今回の旅行記は、現在執筆中です。そのうちアップしますので、お待ちくださいませませ。
今回のブログタイトルは、なんとも物騒なタイトルですが、ほんと、そうした方が今の時代では良いのではないかと思うわけです。令和のライフハックの一つです。
見殺しにする対象は、女性です。あ、妻とか友人とか知り合いは除きます(当然)。つまり、見殺しの対象は“見知らぬ女性”ですね。特に若い女性なら絶対に見殺しにした方が良いです。
どういった時に見殺しにするのか…というと、人命救助の場面で、あえて手をさし出さずに見殺しを選択…って事です。
「なんかよく分からないけれど、それって人としてダメなんじゃないの?」
ええ、ダメですよ、私もダメだと思います。でも、見知らぬ女性の人命救助って、私の人生を崩壊させるリスクがあるんですよ。そんなリスクを背負ってまで、見知らぬ女性を助ける理由なんて、私には全く無い!って話なのです。
例えば、急に人が倒れて、AEDを使用しないといけない場面ってあるじゃないですか? あれって、一分一秒を急ぐ作業であって、救急車の到着なんて待っていてはいけないんですよね。それくらい、生死に関わる大切な救助作業だし、この救助作業はそんなに難しいものではなく、AEDの機械さえあれば、素人でも簡単に操作できるし、してもいい作業だし、私はそいつの使用の訓練も受けているので、救助作業なんてチョチョイのチョイなわけだけれど、眼の前でヤバい事になっているのが見知らぬ女性だったら、私はその人に手を出しません。救助作業をしません。できるけれどやりません。
誰か、別の人がその女性を助ければいいと思いますし、誰も手を出さないなら、そこまでの寿命だったと諦めてもらうしかないだろうなあ…って思います。
だってね、AEDって、電極パッドを直接皮膚に貼り付けないといけないんだよ、それも2つも。1つは右胸(乳首の上あたり)で、もう一つは左胸(乳房の下あたりで、やや脇腹寄り)に確実に貼り付けなきゃいけない(つまり心臓を左右から挟み込む形にするわけです)けれど、そのためには、見知らぬ女性の衣服を剥ぎ取って、下着を取って、パッドを貼り付けなきゃいけません。でなきゃ、効果はありません。でも、見知らぬ女性、それも意識を失っている状態の女性の衣服や下着を剥ぎ取るなんて、絶対に後で“セクハラ”で訴えられるよね。命を助けた…なんて関係ないよね。
女性ってのは、そういう生き物だから、用心には用心をしなきゃいけないし、自分の身は自分で守らないといけません。他人の命よりも、自分の生活の安全です。
同様に、人工呼吸もヤバイよね。今の人工呼吸って、マウス・トゥー・マウスが基本だけれど、あれって要は“キス”でしょ。絶対にセクハラ案件だね。それに、人工呼吸って心臓マッサージと合わせて行わないといけないけれど、心臓マッサージって、左乳房のすぐ下あたりをグイグイ押すわけだけれど、まあ、乳房周辺ってアンタッチャブルゾーンで、そこをグイグイ押すなんて…これまたセクハラ案件だね。ああ、怖い怖い。
人工呼吸以前に、溺れている見知らぬ女性を助けるのもご法度だよね。私は湘南の人間だから、泳ぎはかなり達者だし、見知らぬ子どもや男性が溺れていたら、真っ先に助けに行ける人だけれど、相手が途中で女性と判明したら、非難されても、すぐに途中で引き返すようにしないとね。溺れている女性を助けるというのは、その女性のカラダに触れて抱えて運ぶって事で、そりゃあもう完全にセクハラ案件じゃん。ああ、ヤバいヤバい、ほんとヤバい。
とにかく、セクハラ、怖いです。助けた人の人生を破滅させるだけのパワーがあります。それと比べれば、見知らぬ女性の命なんて軽い軽い。
それにしても、いつから“セクハラ”がこんなパワーワードになったものやら。戦前昭和の時代は、そこまで異性のカラダって神聖視されていなかったよ。西洋文化が日本に入ってくるまでは、銭湯なんかは男湯女湯の区別がなく、都会でもみんな一緒に入浴していたらしいですし、地方に行けば、大正時代や戦前時代でも男女混浴が普通だったりしたそうです。つまり、当時は異性と言えども、同じ人間のカラダって扱いだったわけですが、そこが今では、異性のカラダ、とりわけ女性のカラダの神聖化が進み、触っちゃダメ、見てもダメって時代になりました。
そんな時代ですから、見知らぬ女性のカラダに触れるなんて、そんな恐ろしい事はできません。クワバラクワバラ。
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