結論。「そりゃあ、私/あなたには、無理」 以上。
…だと今回の記事が終わってしまうので、もう少し書きます(汗)。
ネットをサーフィン(死語でごめん)していると、「こうすれば声が良くなります」というアドヴァイスを、プロ・アマ問わず、ポピュラー・クラシック問わず、色々な指導的立場にいるような方々が書いていますが、あれはほぼ、商売のための勧誘の言葉か、自己承認欲を満たすための記事であって、きっとあれらの記事を書いている人たちも「無理なんだけれど、こういう事を書いておくと、食いつきいいからなあ…」程度の思いで書いているんだろうと思います。
あるいは、単なる素人かも?
それくらい、声を美しくするってのは、無理ゲーなんです。
声を良くしようと願う気持ちは分かります。私だって、美しい声で歌いたいもの。そして、現状に不満があるなら、それを何とか打開したい気持ちも分かります。そのためには、どんな努力をすればいいのか、知りたいのは当然かもしれません。
でもね、世の中、努力をすれば、何でも解決できるわけじゃないんです。努力では届かない世界があるんです。それが才能とか賜物とか呼ばれる世界の話です。
声の良し悪しは、才能です。いや、声を悪くするのは努力でできるから、声の良いのは才能です…と訂正します。だから、声の良くない人が美声になるのは、まず無理です。だって、美声を与えられていないのだから、才能が無いのだから。
背が低いからと言って、なにか努力をすれば、背が伸びますか?
頭が悪いから勉強をすれば、学力は上がっても、本当に賢い人には及ばないでしょ?
鈍足なカメはいくら頑張っても、ウサギにはなれません。
「容姿に不満があれば、化粧テクを身につけるとか、美容手術を施すとかで、美人になれるじゃない?」 確かにYouTubeとか見ると、いかにも地味な子が化粧で驚くほど派手な顔つきになるという動画が流行っていますが、あれはコスメテクの話であって、声にはコスメはありません。ある意味、声の美醜は、すっぴんで美醜を争うようなものです。
せいぜい出来るのは、無表情な顔つきを表情豊かで万人向けに好感を持ってもらえるようにするとか…、笑顔を絶やさずに他人に受け入れやすくするとか…、まあそのレベルの事です。
しかし、走る事自体は、さほど速くなれなくても、昨日の自分よりは速く走れるように努力する事はできます。
声を美しくするという事は「昨日の自分に今日は勝つ」程度の、その程度の事しかできないわけで、そこに過度の期待をかけるとガッカリします。
おそらく大切な事は、声を美しくする事よりも、自分のありのままの声を受け入れ、それで勝負していく事だろうと思います。持ち駒は決まっているのです。だから、その駒をどう効果的に使っていくか、そのためのノウハウを獲得していく事が大切であって、駒そのものを良い種類の別物に変えようなんてのは、思い上がりも甚だしいって事なのです。
美しくない私の声であっても、良い歌は歌えないわけではなりません。もちろん、良い声で歌えるならば、それに越したことはないけれど、それがままならないのが人生ならば、その人生を受け入れて、その中で全力を尽くして、その場をかっさらっていく事を考えるべきなのだろうと、私は思うわけなのです。あ、ちなみに“良い歌”とは「人の心を鷲掴みにする歌唱」の事です。
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コメント
自分のうたをパソコンに入れベルカントのボタンをクリックするとベルカント仕様の歌声になって聞こえて来る。そんなソフトがあれば良いですね。
実際にベルカントを手に入れてもアヒルが白鳥になることは多分ないと思いますが、もっと自由にゆたかに人に感動を与え自分も満足できるうた声になるのではと希望を持っています。
玉ちゃんさん
パソコンで歌声をベルカント仕様にしてくれるソフトって…たぶん、もうあるんじゃないかな? ボコーダー系のプラグインに、エコーとフランジャーを掛けて、適当に調整すれば、普通の声をベルカント風にできるんじゃないかな?
もっと言っちゃえば、自分の声を加工するのではなく、パヴァロッティとかカラスとかの歌声を音声AIソフトに学習させれば、パヴァロッティやカラスの声で歌うことも可能です。もはや、そんな時代になってます。
でも私は、パソコンに頼らずに、生声を美しくしたいんですよ。やはり、歌は生がいいと信じている人なので(笑)。