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合唱の人って“声楽寄り”というよりも“器楽寄り”なのかもしれない

 …なんて事を思いつきました。あ、今日からブログを再開します(てへっ)。

 で、もう少し丁寧に書くなら「合唱を歌う人の感覚って、ソロでクラシック声楽を歌う人の持っている感覚よりも、吹奏楽などを嗜んでいる器楽の奏者の感覚に近いのかもしれない」って思ったわけです。

 例えば…

1)音程とリズムの正確さにこだわります

 …でしょ? 合唱の人って、器楽的な音程やリズムの正確さにこだわるでしょ? 「何を当たり前のことを…」と思うかもしれないけれど、ソリストなら正確さよりも、表現とか歌った時の気持ちの良さとかを無意識に選択しちゃうと思うんですよ。

 いわゆる白玉音符? 特に決めの白玉音符は、たいてい長めに歌ってしまうのがソリストでしょ? 別にイタリア系の歌に限らず、ドイツ系のカチっとした曲であっても、微妙に長めに歌うんです。長めと言うか、その瞬間に時間が止まっちゃうんだと思うんです。でもそんな事、器楽ならありえないわけです。

 音程もそう。ソリストって、高い音はより高く、低い音はより低く、歌ってしまうものです。なぜなら、その方が音的にバエるからです。周囲のハーモニーから自分の声が浮き上がるからです。器楽の人は、そういう事しません。合唱の人もしないよね。だって、そんな事をしたから、音が濁るもの。

2)指揮者に絶対服従します

 当たり前?…だと思いますよね。でも、ソリストって(無意識に)自分が一番エライと思っているので、指揮者の言う事に必ずしも従うわけじゃないです。むしろ、自由気ままに歌ってしまうわけで、ある意味、指揮者とは対立する事すらあります。「自分はこう歌いたい」と言い切って、指揮者を自分に従わせる事もあります。そんな事、器楽の人か見れば「信じられな~い」わけです。合唱の人から見ても、ソリストのそういう行為って、おかしいよね?って思わざるをえないわけだし、自分たちとは違う種類の人間だなって思うわけです。

3)歌とピアノは対等だよね

 ピアノ伴奏の合唱曲って多いけれど、合唱とピアノとどちらがエライとかエラくないとかって事は無いよね。合唱が欠けても、ピアノが欠けても、音楽は成立しないわけで、合唱とピアノは、立場の違いはあっても、音楽的には対等だよね。これ、常識でしょ? 器楽の世界だって、例えば、フルートソナタとか、フルートが主なメロディを演奏するけれど、ピアニストがいなけりゃ音楽として成り立たないわけだから、やはりフルーティストとピアニストの立場は対等なわけです。

 本来は、歌とピアノも同じはずだけど…ソリストって、本当にそう思っているのかしら? クチ先では「歌とピアノは対等です」とか言ってたとしても、実際、ソリストって自由自在のわがまま勝手な歌唱をして「私にしっかりついていらして!」みたいな歌い方…するよね。まるで、女主人と側仕えみたいな感じで…ね。その姿を見ると、とても歌とピアノは対等とは、全く思えないんだな。

4)楽譜は正しい、作曲者の意図が最優先です

 だから楽譜通りに歌うわけだし、楽譜通りに歌えるように練習していきます。当たり前だよね。

 でも、ソリストって必ずしも楽譜通りに歌うわけじゃないのです。特にイタリア・オペラ系の人は、昔から、ほんと自由自在で、作曲家が書かなかった音符やフレーズも平気で歌っちゃうし、アドリブなんか入れたりもします。作曲家の意図も大事だけれど、それよりも演奏効果や自分の表現欲を満たす事をついつい考えちゃうのがソリストです。

 合唱の人は、合唱しながら、自分の表現欲を満たす事なんて考えもしないよね。それは器楽の人も同じです。そもそも「自分の表現欲って何?」って感じでしょ? 自分の表現欲よりも「作曲家が求めているものは何だろ? 指揮者はどんな音楽を作っていきたいのか?」って方向に気持ちが行きがちでしょ?

5)周りとの協調が一番大切で、自分だけが目立つのは良くないことです

 たぶん、ここがソリストとの一番の違いでしょう。ソリストさんは「とにかく自分が目立つ事」が最優先だもの。「みんな、私を見て!」「俺様、サイコー!」ってのがソリストさんたちの偽らざる感情だもの。そんな気持ちを持っていたら、合唱できないよね。楽団だってできないよ。

 と言うわけで「歌を歌う」という共通項はありつつも、合唱の人の感覚って、声楽寄りというよりも、器楽寄りだと思ってしまった私の考え、ご理解いただけたでしょうか?

 書き終えた今、思うことは「合唱の人も器楽の人も、基本的には常識人」であって「声楽の人、特にソリストって、おそらく変人」なんだろうなあって思います。ま、実際「大勢の人の注目を集めて、オオグチ広げて、一人で歌える」人って、常識的な存在であるはず無いもんね。

 そりゃあそうだ。

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コメント

  1. 如月青 より:

    復帰お待ちしておりました。

    と言いつつまたまた異を唱えるような意見で申し訳ないのですが、

    ソロと合唱の違いは、声楽と器楽というより、単純にソロとアンサンブル、バイオリンで
    独奏者になるかオケに入るかの違いじゃないかなあ、と(ちなみに、音大の先生は、入試で
    受験生が前に立っただけで、技術にかかわらず「ソロ向き」か「オケ向き」かわかるそうです。)

    4)、5)はそのとおりですが、1)については、一人一人が頑張る、というよりそれぞれの欠点をフォローし合って「正確に」聞こえるように工夫するのです。年齢も経験もばらばらな人たちが限られた時間で曲を作るので、音程が微妙にずれていても細かく指導するというより、誰と誰が並んだらちょうどよいところで聞こえるか、とか。

    今の私のソロの先生は、非常に「正確さ」を求める方なので、ちょっとでも出した音が高めだったり低めだったりすると、先に進ませてもらえず、同じ曲が延々と続きます。「教会のアリア」は半年で挫折、「Star Vicino」はすでに3か月目・・・

    2)については、指揮者と合唱団員の関係性によるところもあります。先生-素人の区別がはっきりしている場合は服従するしかありませんが、学生同士などでは、この曲はどういう解釈で、と皆で話し合い、指揮者も「ではここはこう」と練習しながら決めていったりすることもありました。

    3)は「対等」の成立の仕方ですね。合唱のピアノというのは、歌っている人の中で弾ける人を選ぶ場合が多いので、パート練習のときなどは自分も歌っています。全体練習では伴奏に入っても「歌に合わせる」というより「自然に合ってしまう」ので、ソロの場合のような主-従の関係にならないのが「平等」に聞こえる理由では?

    以上は私の若年時の合唱経験(高校→高校の時の先生が主宰する市民合唱団)に基づくもので、一般化できるかはわからないのですが、こういうこともあります、とご参考まで。

  2. すとん すとん より:

    如月青さん

     なるほど、なるほど。確かにそういう観点もアリですね…って、私の見つけた対立点よりも的確かもしれません(汗)。

     器楽は、歌と比べると、圧倒的にアンサンブルの方が人口が多いのです。器楽の世界でのソリストって…本当に選ばれたわずかな人たちだけ…ですからね。器楽奏者の大半はアンサンブルの人…ですからねえ。

     などと、自分でも言い訳が苦しいなあと思ってます。いやはや、なんとも。

  3. さと より:

    「楽器寄り」というのは私も感じました!!

    さて、先日「合唱の歌い方」の件でコメント欄で交流をさせていただきました。
    さて、「1月の落穂拾い」(秀逸な命名ですねえ。)で、合唱の人はプロの歌を聴かないようだという内容についてなんですが、少し考えてみました。
    プロの歌や歌声を聴く際に、「個性」の部分と「高いスキル」の部分は分けて考えたほうが良さそうですよね。プロの「高いスキル」を求めて、何人ものプロの歌を聴きながら、ある程度「こうやれば歌い方のスキルが上がる」ということを考えながら聴いたりもしております。

    どの筋肉を使っているのか、どこに響かせているのか、、、などなど。

    合唱の場合、スキルの高い人が歌うプロの「合唱」もありますが、そうでない合唱団の「合唱の歌い方」を合唱の歌い方と思っては上達はないと思うんですね。

    加えて、個性はもともとある程度は声の違いも含めて皆さんお持ちですので、それをどのように「活かす」のかが本来重要なんだろうと思います。「個性を殺す」ことしか考えないのは技量が低いからそうせざるを得ない、ということではないか、、、、。

    ところで「楽器寄り」の件ですが、プロの合唱団なら声楽の人も参加するんでしょうが、だいたいの場合、素人の合唱団に多いのが「楽器の経験者」だろうと思います。たまに声楽をしていた人が入ると苦労なさるでしょう。楽器の経験者は一応音楽のこともそれなりに知っているでしょうが、歌は自分を楽器にしなければならないわけで、それができないとなると、楽器が「程度が低いもの」を使っている状態ですので。。。。。本来は楽器の調律が必要でしょうが、それをしないままに、楽器を弾く時に必要な譜面の読み方をしているような感じになってしまっているのかも。。。。

    歌う際には、自分を楽器としたアウトプットが必要ですので、アウトプットの技術を高める(倍音が出せるように調律する)ことをひたすらしないとならないのかと思います。

    声楽も楽器もしたことが無い人もいますが、合唱歴の長い人もいますね。その場合の技術などなどは千差万別です。

    合唱、というのは、プロの合唱団のレベルで考えないと、すご~くレベルの低いことになってしまうので、、、、、、。ひたすら長い道のりを歩んでいきましょう!!

  4. すとん より:

    さとさん

    >合唱、というのは、プロの合唱団のレベルで考えないと、すご~くレベルの低いことになってしまうので

     合唱を語る時に忘れてはならないのが、日本の合唱って、基本的にアマチュアのための音楽ジャンルであり、聞くよりも歌う方に主体が置かれている音楽である…という点です。そういう意味では、合唱と吹奏楽は隣り合った音楽なんだろうなあと思います。

     そもそも、クラシック音楽における合唱って、ほぼ、オペラ合唱と教会音楽の2大ジャンルしかないのです。それ以外の音楽って、あまり演奏されません。第九なんて、例外中の例外的存在でしょ? でも、日本における合唱って、その“それ以外の合唱”が大半でしょ? そういう意味では例外的な音楽ジャンルだし、アマチュア主体だからこそ何だろうと思うのです。

    >声楽も楽器もしたことが無い人もいますが、合唱歴の長い人もいますね。その場合の技術などなどは千差万別です。

     アマチュアのための音楽だからこそ…という部分ですね。初心者から合唱に入れる…わけです。そういう人は、合唱で活躍できても、合唱しかできない…というタイプの人になると思います。

     器楽の人は、自分の楽器しかできない…という人も少なからずいます。そういう点では、やはり器楽と合唱の人は似ているなあと思います。と言うのも、声楽の人って、歌しかできないという人は、昔はプロにも若干いたそうですが、今ではあまりいません。今はアマチュアでも、器楽経験者の人が多いのだそうです。多くはピアノ経験者ですが、それ以外の管楽器や弦楽器経験者も少なからずいて、声楽の人は複眼的な感覚を持っている人も大勢います。複眼的な感覚という点では、指揮者などと同じような感覚なのかもしれません。

     要は、その場の責任を一人で背負ってパフォーマンスするのが、声楽の人の基本姿勢であり、それは“ソリストとしての覚悟”なんだろうと思うのです。

     そういう意味では合唱には、そんな覚悟は不要ですし、器楽の人であっても、器楽は基本的にアンサンブルをしますので、やはりその手の覚悟は不要であり、そこが我と彼を分ける分水嶺なのかもしれないなあ…と思いました。

  5. さと より:

    すとんさん、非常に面白いです。どうも私は違う視点で考えておりました。でも、すごく大きな気づきがありました!!

    >そもそも、クラシック音楽における合唱って、ほぼ、オペラ合唱と教会音楽の2大ジャンルしかないのです。

    実は私が考えていた「合唱」は、まさにこの2大ジャンルだけでした。。。。
    「日本の合唱」の分析としては「日本で行われている合唱」なのか「日本人が歌う合唱」かどちらか、ということになるかと思うんですが、私は「日本人が歌う合唱の課題」のように考えていたんですが、ストンさんは「日本で行われている合唱」の分析なんですね。

    私がなんとなく到達した答えは、日本人の歌い方はもともとは「斉唱」であって、「合唱になってもそれはそのまま引き継がれている」ということだろう、と。
    それゆえに「アンサンブル」ということなのですね、とコメント欄のご意見というご指摘にやっと納得したような。ただ、私の解釈がちょっとずれているかもしれないです。。。

    >器楽の人は、自分の楽器しかできない…という人も少なからずいます。そういう点では
    >やはり器楽と合唱の人は似ているなあと思います。

    個人的に考えているのは、楽器は外部の器具を自分の一部のように使いこなせるようになることで上手になっていく。一方、歌の場合は自分の身体内部を楽器として使いこなせるようになっていくことで上手になっていく、ということです。ただ、歌の場合はそこに「言語」が関わるのが、楽器とは異なる点で、言葉が入るがゆえにメッセージ性が強いのが歌かと思います。言葉が入るがゆえに解釈の幅が狭くなるとも言えますが、、、、。

    >と言うのも、声楽の人って、歌しかできないという人は、昔はプロにも若干いたそうです
    >が、今ではあまりいません。今はアマチュアでも、器楽経験者の人が多いのだそうです。
    >多くはピアノ経験者ですが、それ以外の管楽器や弦楽器経験者も少なからずいて、声楽の
    >人は複眼的な感覚を持っている人も大勢います。複眼的な感覚という点では、指揮者など
    >と同じような感覚なのかもしれません。

    複眼的な感覚、、、ということでいうなら、声だけの音楽ではなく、「言語」を伴う場合、おそらくは「言語の選択」がある段階で、歌を歌うその瞬間に既に複眼的ではないか、と思います。各言語にそれぞれの発声の特徴と発音の特徴があるので、おそらく使い分けは必要になるかと思うのですね。西洋の歌唱法を選んだ段階で、日本語話者には(外国語をある程度音声的に獲得していないと)厳しいということにもなるのはこの点でしょうか。。。。西洋の歌唱法のような歌い方に反映される「立体的」な感覚が日本人は苦手なのかもしれません。なんとなくですが、、、日本的な合唱は最早「独自の世界」と感じておりましたが、西洋の歌唱法とはまた別物として発展しているのかもしれないですね。もしかしたら「斉唱の変異歌唱法」という気が。。。。。

    >要は、その場の責任を一人で背負ってパフォーマンスするのが、声楽の人の基本姿勢であ
    >り、それは“ソリストとしての覚悟”なんだろうと思うのです。

     
    >そういう意味では合唱には、そんな覚悟は不要ですし、器楽の人であっても、器楽は基本
    >的にアンサンブルをしますので、やはりその手の覚悟は不要であり、そこが我と彼を分け
    >る分水嶺なのかもしれないなあ…と思いました。

    合唱を歌う人の一部、団体によっては多くの人が、上達をあまり目指しているように感じられないのは(単に歌を覚えることを作業として行っているような、、、)はそこなんでしょう。「斉唱」で歌う感覚だから、自分が歌うという意識が希薄なんだと思います。。。。。

    ただ、アンサンブルであっても3人程度で行うとなると一人一人の責任が重いので、覚悟はあるような気もしてしまうんですが、実際のところ、どうなんでしょうか。楽器も独奏はありますので、独奏のできるレベルに達しているかどうか、ですよね。歌も、独唱が人に聞かせるレベルにまで達したうえでの合唱参加になると、また違うのでしょうね。。。。

    とはいえ、音楽は楽しいのが一番、と、思っています。楽しくなければ!
    ですので、楽しければ良い、と思っているのも事実です。(^^♪

  6. すとん すとん より:

    さとさん

    >ただ、アンサンブルであっても3人程度で行うとなると一人一人の責任が重いので、覚悟はあるような気もしてしまうんですが、実際のところ、どうなんでしょうか

     それは合唱ではなく重唱だろうと思いますよ。重唱は独唱の1ジャンルであって、合唱とは似て非なるものです。

    >「斉唱」で歌う感覚だから、自分が歌うという意識が希薄なんだと思います。。。。。
     「斉唱」かどうかは別として、合唱の人たちの中には「自分が歌う」という意識が希薄な人って大勢いるような気がします。目立ちたくない…と考えているのだろうと思います。でも、歌なんて、目立ってナンボだろうと私なんかは考えてしまいますので、そういう部分で合唱の人に嫌われるんだろうなあと思ってます。

    >合唱を歌う人の一部、団体によっては多くの人が、上達をあまり目指しているように感じられないのは

     合唱って、別に歌が好きだからやっているわけではないみたいです。例えば、お友達が欲しいとか、知り合いに誘われたので付き合いでとか、健康のためとか、たまたま近所でやってたからとか、そんなレベルの人も大勢いるわけで、そんなカオスな人々の集団が、日本の合唱団であって、そんな中で“上達を目指す”なんて事したら、途端に嫌われてしまうかもしれませんよ。

     出る杭は打たれるのです。合唱団では、うまくなってはいけませんし、美声で歌ってもいけないのです。もちろん、下手すぎて目立ってもいけません。大切な事は、息をひそめて目立たない事…だったりして(笑)。

     それにしても、日本の歌は斉唱が基本というのは、ううむと思いました。確かに、歌舞伎のバックで歌っている清元さんたちは…斉唱だよね。確かに斉唱ですよ。

  7. さと より:

    そうなんですよ、子供の頃から、「国家斉唱」「校歌斉唱」と歌ってきていますので。
    合唱とはいっても、そのパートの斉唱をしている感覚なのかとも思えます。
    子供の頃から教会で倍音の豊かな空間で賛美歌などを聴いている人たちとは異なる感覚。
    でも、「高砂や~」などなどは、確かに美しいのですよ。そこで発達した音楽として芸術度は高いのです。

    そういえば、すとんさんが合唱でご苦労なさったお話も読みました。
    「目立つ」だけでなく、皆さんを引っ張っていけば良かったのでは?
    そういう人も必要なんだろうと思いますよ。(^^♪

  8. すとん すとん より:

    さとさん

    >「目立つ」だけでなく、皆さんを引っ張っていけば良かったのでは?

     あ、それ、無理。絶対に無理。私はリーダーにはなれません。私はスターになりたい人なんです。基本、俺様なんです。ですから、今思えば、合唱をやっている時も、気分はソリストでした。

     そりゃあ、合唱なんて、無理だよね(笑)。

    >合唱とはいっても、そのパートの斉唱をしている感覚なのかとも思えます。

     ううむ、私にはない視点です。確かにそうなのかもしれません。いやあ、目からウロコが落ちました。

     日本の伝統音楽を聞くと、ハモリの感覚に乏しいなあとは思います。ハモるよりも、目立つが優先かな? 発声に凝ってみたり、うなってみたり、こぶし回したり…日本の歌って、ヨーロッパだったら、ソロと合唱になるところが、日本だと、ソロと…お囃子なんてすよね。そのお囃子も、言われてみれば、斉唱なんてすよね。

     日本の合唱は、パートの斉唱…。そうかもねえ。そういう意味では、お囃子感覚で合唱をしているのかもしれません。

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