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正しい音程で歌う方法

 …が分かればよいのに…と、歌を習い始めた頃はよく思っていました。
 まずは言葉の定義をしておきます。音程というのは、音と音との差であって、正しい音程で歌えれば、相対音感があると言えます。音高というのは、その音の絶対的な高さであって、正しい音高で歌えれば、絶対音感があると言えます。
 さて、本論に入ります。
 フルートだったら、ドならドの運指があって、その運指をして息を楽器に吹き込めば、まあだいたい正しいドが鳴るのです。自分自身がドの音がどんな音なのか皆目検討がつかなくても、ドの運指をして息を吹けばドが鳴るのですから、歌も同じように運指みたいなものがあって、それさえすれば、いつでも正しい音高…なんてぜいたくは言いません。せめて、いつも正しい音程で歌えればいいのに…って思ってました。
 願いは切実だけれど、考え方は浅はかです。
 今なら分かります。フルートだって、ただ万全と楽器に息を吹き込んだだけでは正しい音高にはなりません。運指が正しいのはもちろんですが、奏者がきちんと正しい音高をイメージして息を楽器に吹き込まないと正しい音高で楽器は鳴りません。
 歌も基本的には同じです。
 まずはイメージです。自分が歌おうとするフレーズの正しいイメージがないと正しい音程では歌えません。でもまあ、これに関しては、脳に障害でも無い限り、少なくとも音楽を趣味としたいと願う程度の人ならば、軽くクリアはしているわけです。自分が歌おうとしている正しい(あるいは、理想の)イメージはあるのだけれど、それを歌として表現できない…のが悩みなわけです。
 だから、歌にも運指があればいいのに…なんていう、頓珍漢な事を考えるわけです。典型的な運動性音痴の考える事です。
 結論から言えば、歌には運指はありません。ひたすら練習するしか手はありません。
 正しい音程で歌うための練習とは…ひたすら歌の基礎練習を地味に丹念にやるだけの話です。
 私がやった練習の中で、おそらく一番効果的だったのは、チューナーを使って、ひたすらハ長調の音階を階名で歌う練習です。とにかく、チューナーを見ながら「ドー、レー、ミー…」と歌っていく練習です。この練習で、歌の筋肉と耳の両方を鍛えていきます。「ドー」と声を出して、チューナーでその「ド」が正しいと確認していき、その時の筋肉の使い方を覚えます。同時に「ドー」と自分で出した声を聞いて、その「ド」を記憶します。ただ、それだけ。それの繰り返しで、一オクターブをマスターしていきます。
 これだけで数ヶ月かかります。でも、これをマスターすると、筋肉と耳が鍛えられて、階名と筋肉の感覚がつながり、正しい音程で歌えるようになり、同時に階名と耳の感覚もつながり、自分が歌ったフレーズが正しく歌えているかどうかが分かるようになります。
 これができると、ようやく簡単な歌が歌えるようになります。さらに上達するためには、ドレミ…と言った順次進行だけでなく、ドシラ…と言った下降進行もやらないといけませんし、ドミソ…と言った3度の音程とかもやらないといけません。こうなると、コールユーブンゲンの世界ですね。たぶん、コールユーブンゲンは有効だろうと思います。私はやってませんが…。だって、あんなにたくさんの課題曲をやらないといけないと思ったら、歌を辞めたくなっちゃうでしょ?
 ドレミの順次進行と、ドシラの下降進行、ドミソの3度の音程ができるようになったら、簡単な曲を楽譜を見ながら歌っていくと良いだろうと思います。それこそコンコーネの世界です。もっとも、私、コンコーネもちゃんとやってませんが(笑)。
 私が最初に行った、チューナーを見ながらの練習は、おそらく昔のやり方です。要は自分の出した声の音高をきちんと視覚化して確認できればいいのです。今なら、スマホのアプリで、もっと楽しくて効果的な音感トレーニングのアプリがあるでしょうから、そういうモノを使っても良いだろうと思います。
 大切な事は、楽譜にかかれている音符と、自分の筋肉の感覚と、自分の耳の感覚の3つをつなげる事です。この3つの感覚がつながった時に、正しい音程で歌う準備ができたと言えます。ちなみに、絶対音感を持っていなければ、ハ長調の音階をきちんと覚える事で、その他の調の歌にも対応できます。つまり、相対音感の獲得ってヤツですね。
 私もまだまだ修行中です。頑張っています。

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コメント

  1. さと より:

    すとんさん

    ソルフェージュですよね。それって必要なんでしょうか?個人的には必要無しと思っています。音符や譜面は確認は必要ですが、基本的には音源があればそれに合わせて耳で音を拾えれば歌えるようになると思います。

    合唱でもソルフェージュを練習したらしき人が「ドレミ」と音階をつけて歌う練習をしたがるんですが、そういう人たちが歌が上手に歌えるかというと、実は無関係のようなんですね。。。。それで実は私は、できなくても歌の方は結構歌えてしまうし、音も響かせて歌えます。専門的な訓練を受けていないのに、です。

    スズキメソードというものがあるのを知り、その方針のほうが納得できると感じております。ひたすら聞くことのほうが重要だと思います。

    何よりも、音楽は「音と音が繋がる」というところも重要です。音符に拘る人は、不安感から音程読みをしたがるようで、外国語の「訳読」に拘る人と共通しているものがあるような。

    というわけで、実際どうなんでしょうか?
    ただし、スズキメソードは耳のあまりに良くない人には向かないでしょうから、そうなるとソルフェージュのような訓練は必要かもしれない。ただ、そこまで耳の良くない人が音楽に興味を持つなら、とも言えますので。

    それに歌の場合は楽器とは違いますね。耳からそのまま音楽の音を拾えれば、音符を読める必要すらないのです。などと、全員が美空ひばりのようにはいかないでしょうが、そちらに近い人も多いのではないかとも思えますが。。。いかがでしょう??

  2. すとん より:

    さとさん

     最初から持っている人は持たない人の辛さは分からないし、持たない人は持っている人が超人か魔法使いにしか見えない…って事だろうと思います。

     いわゆる音感というヤツは、持っている人と持たない人の差が大きい能力だなあと個人的には思います。で、持っていない人は訓練をする事で後天的に身につけられるのだと思います。

     ちなみにソルフェージュとは、音感を身につけるための訓練ではなく、楽譜を読み書きするための訓練だと、私は理解しています。

    >そこまで耳の良くない人が音楽に興味を持つなら

     難聴の方でも音楽好きはたくさんいます。ましてや聴力が普通ならば、音楽が好きか嫌いかと音感の有無は関係ないと思いますよ。音楽のどんな部分に興味が惹かれるかなんて、ひとそれぞれですからね。

    >耳からそのまま音楽の音を拾えれば、音符を読める必要すらないのです。

     まあ、それはその通りだと思います。実際、昔は楽譜の読めないオペラ歌手なんて、掃いて捨てるほどいたそうだし…ね。パヴァロッティも(本人は否定してますが)楽譜が読めなかったそうです。それでもあれだけの歌が歌えたのだから、楽譜が読めることと歌えることには、直接の関係性はないのだろうと思います。

     問題は「耳からそのまま音楽の音が拾える人」がどれだけいるかでしょうし、さらに言うと「拾った音と同じ音程で発声できる人」がどれだけいるかです。少なくとも、35年前の私は、その両方とも、全くできませんでした。それでもバンド歴は10年以上あって、ギターはそこそこ弾けたと思うし、バンドのために作曲もしていましたが、歌は全くダメでしたねえ…。

     日本の昔の若者たちには、歌が全く歌えないけれど音楽をやりたいので楽器を始めましたというヤツは腐るほどたくさんいました。“ギターは弾けても歌えない”なんて、珍しくもなんともなかったです。“歌える”というのは、本当に特別な才能なんですよ。

  3. さと より:

    すとんさん

    もしかしたら、少し誤解が生じているかもしれません。
    まずは「スズキメソード」を調べていただきたいんですが、「音楽を母国語のように学ぶ」という考え方、そしてそのために、「よく聴く」ことが推奨されています。
    音大に行くとかプロになる人のためではない学び方、です。が、そうは言っても偉大なプロも育ってはいます。ただし、偉大なプロになる人たちは、どんな教授法で学ぼうとも、自分たちで「学ぶ」方法をも学び取ってしまうだけの底力があるからこそプロになる人たちも多いと思うので、なんとも言えないんですが。

    一つ言えるのは、合唱の人たちなどを観察していると「プロの歌っている音楽を、歌を聴く」という絶対量が少ないと感じます。プロがどのように筋肉を使っているか、どこに響かせているか、声帯をどのようにコントロールしているか、などなど、聴くべきことは多いのです。譜面読みや音程などは歌や音楽のごく一部にすぎないと思いますので、まずは「歌う声」を出すために、「ひたすら聴く」そして「同じように(いっしょに)歌う」ということをしていないように思えます。

    いきなり音を拾うのではなく、そういう作業を何十回と繰り返しながら、細部までひたすら「聴く」練習が必要だと思うのですね。

    赤ちゃんは生まれてから言葉を発するまでに大量に周囲の人の言葉を聴きます。約1年ひたすら聞くのです。しかし最近の研究をNHKのあさイチで知り、驚愕しました。産声がドイツ語圏とフランス語圏ではイントネーションが違う、と。胎児のときにも大量に聴いているのです。

    音楽を「母国語のように学ぶ」というのは、そういうことだと思います。
    どう思われますか?

  4. すとん すとん より:

    さとさん

     概ね、さとさんのおっしゃる事には同意します。ただ、さとさん自身は持っている人で、自分ができる事は他人もできると信じているのだと思いますが、そこは違うんだよなあと思うわけです。

    >合唱の人たちなどを観察していると「プロの歌っている音楽を、歌を聴く」という絶対量が少ないと感じます。

     そう思いますし、私も「もっとプロの歌を聞けよ」と思いますよ。上手な人の歌唱を聞かないと、絶対に上手にはなれませんからね。

    >プロがどのように筋肉を使っているか、どこに響かせているか、声帯をどのようにコントロールしているか、などなど、聴くべきことは多いのです

     これは無理。まず無理。これが出来る人は、かなり歌える人です。私もかなり怪しいです。たいていの人は、そんな事以前の、合唱全体の中から自分のパートだけを拾って聞くことすらできないのですよ。だから、どこの合唱団でも“音取り音源”が用意されるわけです。

     自分のパートすらきちんと聞き取れない人に、筋肉が…とか、声帯が…とかは、求めすぎですよ。小学生に向かって「四則計算くらいで満足するな、微積ぐらい出来なきゃダメじゃん」と言うようなものです。

     さとさんは、もっときちんと自分を見つめるべきだと思うし、素直に自分の才能を認め、それを与えてくださった神様に感謝すべきだと思います。それと同時に他人に高望みはしないようにした方がいいですよ。

     私を含めた一般人は、楽譜を読み込んで、自分のパートの音取りをするのだって、ヒーヒー言っちゃうわけで、音取り音源があれば、それに頼らざるをえないわけです。そんなのが“普通の人”の普通のレベルです。

     話は変わりますが、以前、プロの合唱の人と話した時に、音取りの時は、あまり耳に頼らない方が良いというアドヴァイスをもらった事があります。必ず、楽譜を読んで、きちんとピアノ等で音取りをするべきだってね。プロの方でも耳に頼らずに、1音1音そうやって音取りをしているそうです。なので、素人が耳を頼りに覚えるのはかなり危険な行為だよって教わりました。

  5. さと より:

    すとんさんが熱心に練習なさっている中でお考えになったこと、私も苦労しております。

    それで声のことは、たぶん私に私の耳はいいと思います。それは認めます。が、すとんさんと私では、練習の順番が逆のようなのです。

    >これは無理。まず無理。これが出来る人は、かなり歌える人です。私もかなり怪しいで
    >す。
    >たいていの人は、そんな事以前の、合唱全体の中から自分のパートだけを拾って聞くこと>すらできないのですよ。だから、どこの合唱団でも“音取り音源”が用意されるわけで
    >す。

    「音程」はすぐには取れないので、何度も練習します。なので、音程のほうが簡単ということでもないような気がしております。。。。

    >自分のパートすらきちんと聞き取れない人に、筋肉が…とか、声帯が…とかは、求めすぎ>ですよ。小学生に向かって「四則計算くらいで満足するな、微積ぐらい出来なきゃダメじ>ゃん」と言うようなものです。

    ちなみに音取りは「ピアノ」のものは使いません。プロが歌っているものだけを使います。人間の歌声を頼りに、細部は音符を確認しながら行います。ピアノで音取りをしてもできなくはないですが、ピアノを弾くために、ヴァイオリンの音源を使って練習はしないと思うので。。。。

    まず楽器があって、そこで音を出すのだと思うので、歌声を出すのが先で、そこから音程を重ねていくというか。。。。楽器の場合は、楽器を自分の身体の一部にする、ということでしょうが、歌は自分の身体を楽器として調律する、ということかと思うんですよ。あとはプロとして通用するレベルまで目指すかどうか、どの辺で納得し満足するか、だと思えるので。。。

    尚、大脳優位のままでは、身体を楽器にするのは難しいかもしれないですね。運動ではアスリートたちが「ゾーンに入る」と言いますが、それと同様に、大脳支配からある程度離れてこそ、全身の知性が活性化するのだと思います。音楽も同様かな、と。大脳の知性だけでは限界がありますね。その音を出したかったら、「できるまで」練習するしかない、とは思っていますが、それも楽しみですよね。本当にそれが楽しいのです。

    言葉も、言葉のことを考えながら話しているとあまりうまくいきません。言葉も大脳処理だけでは限界があるというか、、、なので、AIの言語処理がまだまだ前途多難なのでは?

    などと、大変失礼しました。
    音楽は無条件に楽しいですからね。だからみな頑張れるのでしょう。(^^♪

  6. すとん すとん より:

    さとさん

     私はさとさんのおっしゃる事に概ね同意していますが、細かい部分で違いを感じています。おそらく、その違いは“流派の違い”とか“門下の違い”程度の違いなのじゃないかと思ってます。

     ブログのレスなので、異なっている部分ばかりを取り上げているので、あたかも意見が違うような印象を与えていると思いますが、実は私、そんなに違いは感じていないのです。

     そうは言いつつ、今回も細かな違いにツッコミを入れます(勘弁してね)。

     音取りに際しては、なるべくピアノを使うべきだと言うのが私の考えだし、プロ歌手の音源で音取りはしてはいけないと、現在の師匠であるY先生にもそう言われています。と言うのも、プロ歌手の音源で音取りをしてしまうと、その歌手のコピーになってしまって、発声が崩れるからです。お手本とする歌手と私では、当然声が違うわけで、それを聞いてマネてしまうと、声がダメになると言われています。ですから、音取りは人の歌声ではなくピアノを使って、純粋に音程を取ります。

     で、音が取れたと思ったら、チューナーを利用して、それを見ながら歌って正確な音程で歌えるように心がけます(が、それはなかなか難しいですね)。

     とは言え、プロ歌手の音源を聞かないわけではありません。むしろ、たくさん聞いてます。いわゆるレコ勉はたくさんしています。でもこれは、音取りとか発声とかのために聞くのではなく、バリエーションの勉強とか、歌詞の解釈や表現の勉強のために聞いています。歌い方で迷った時に「○○はこう歌っているけれど、××はこう歌っている。ではあなたはどう歌いますか?」って感じですね。とにかく、マネは厳禁です。

     実際に、多くのプロ歌手も、例えば楽譜を初見で歌えるような人でも、まず最初は、ピアノを弾きながら音取りをするそうです。そんなもんらしいですよ。クラシック音楽は楽譜第一主義の音楽ですからね。

    >ピアノを弾くために、ヴァイオリンの音源を使って練習はしないと思うので。

     これはその通りです。しかし、ヴァイオリンを弾くためにピアノの音源を使って練習は…普通にしますよ。私もしていましたし、これをしないヴァイオリニストは、音程が悪いままです。そもそも、ヴァイオリンを真面目に勉強する人は、ヴァイオリンを学ぶ前にピアノを勉強するのが普通です。それで音程感とか和音感を身に着けてからヴァイオリンに取り組むのです。なので、ピアノが弾けない人はヴァイオリンの上達は見込めない…ようです。

     ピアノは、安定した平均律の音程を出してくれる信頼できるマシンですからね。

    >大脳支配からある程度離れてこそ、全身の知性が活性化するのだと思います。音楽も同様かな、と。

     これはその通りだと思います。

    >その音を出したかったら、「できるまで」練習するしかない

     これはねえ…。私の以前の師匠であるキング先生はそう言ってましたが、今の師匠はそうは言いません。むしろ「できるまでやろうと試みてはいけない」と言ってます。できないのに、頑張って練習をしたら、そのできない状態が固定化するだけで、練習すればするほど下手になるだけだと言うのです。私もそれに同意しています。

     じゃあできないならどうするべきか? やんないんですよ。ちょっとやってみてダメなら、諦める。また日をおいてチャレンジしてもダメなら、やっぱり諦める。そうやって、先延ばしにしているうちに、そのうちできるようになるかもしれないし、やっぱりできないままかもしれないけれど、その事実を受け入れる。

     人間の能力には限界があります。できない事はいくらやってもできないし、できる事なら、たとえ今は出来なくても、きっかけさえつかめばヒョイヒョイとできるようになります。技術の上達には根性は不要です。必要なのは天啓です。天啓さえあれば、たいていの諸問題は解決できる…と私は思ってます。

  7. さと より:

    すとんさん

    本当に、大筋では一致しているからこそ、細部はどうかと考えてみてしまうということでしょう。

    練習方法というのは大枠があるんでしょうが、細部は個々人の好みとか条件でも変えてみるのもいいだろう、ということもあるかと思うんですよ。

    >プロ歌手の音源で音取りをしてしまうと、その歌手のコピーになってしまって、発声が崩>れるからです。

    そうかもしれませんが、コピーできるほどなら、それこそ立派なものであり、まずはコピーのレベルまでいかないと思います。もちろんそれは一流のプロであることが条件ですが。
    それにコピーしようにも、マネする人の声もあるし、歌っているうちに自分の歌い方になっていきます。いろいろなプロの真似をすれば、いろいろなことができるようになるからそれで良し、と思います。

    おそらく指導者は、学習者の「オリジナリティー」を引き出したいのでしょう。でも、私レベルならまだまだ真似が必要なレベルだし、歌と言うのは、個々人の声だけでも十分に個性となります。説明という指導よりも、マネのほうが学ぶことが多い段階なので、私はこれからも真似(実際そこまで到達できないにしても)の練習は続けます。

    そして、譜面を自分で読む「視唱力」も、オリジナルな歌い方を最終目標にしている音楽界の考え方だと思っています。

    人間というか人類にとって歌はどんなものだったろうと考える方が私は興味深いと思っています。それにプロになる気の無い人が視唱力が必要とは思えないですし、そこにエネルギーを割く気が無い、というのが私の本音です。相当エネルギーが必要なので。それよりも、音楽性のほうにエネルギーを割きたいと思っております。あ、それと、歌のための筋トレ。音を出すために筋肉をあちこち繫げないとならないですし。。。

    いろいろと教えていただき、本当にありがとうございます。
    今後もブログの更新を楽しみにしております。(^^♪

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