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実力以上の難曲に取り組む事って…どう思う?

 ピアノって、習得がかなり難しい楽器だと思います。そのために、教え方とか学ぶべき教材なども、かなり整理されているし、順番がある程度決まっています。まず初心者は、この教則本で学び、それが終わったら、こっちの曲集に移り、それも終わったら、この教則本とあの曲集を併用して学び…と実にシステマチックに学習が進んでいきます。そのシステムは、ある程度、世界共通だし、グローバル化され、スタンダードが存在しているとも言えます。

 ですから、ピアノブログなどを読んでいると、たまに出てくる先生方の悩みが「今度来た生徒さんは、前の先生のところで、実力以上の曲を勉強してきたので、あっちこっち(技術的に)抜けていて、困ってます」って話です。今学んでいる曲の、その前の段階で学び習得しておかなければいけない事が、全然学べていなくて、身にも付いていないのに、なまじ曲集が進んでいるので、実力不相応な難しい曲ばかりを弾きたがる…とかね。良心的な先生ほど、悩むかもしれません。

 でも、生徒の立場で言わせてもらえば…前の先生がOKと言ってくれたから、今の自分はこの曲集に取り組んでいるわけで、今更「あそこが抜けてます」「ここがダメです」と言われても…って感じかな。先生も悩むだろうけれど、生徒だって困るんです。

 だからと言って、前の曲集に戻るのは…理屈で納得できるオトナの生徒ならともかく、子どもの生徒にとっては、成長を否定されたような気になり、良い結果にはならないと思いますし、曲集はそのままで、発表会などで、曲の難易度が戻ってしまうと、これまた成長の否定を感じるだろうし…。それに向上心の強い人ほど、大きな目標に…って事は、自分の実力以上の曲に、挑みたくなるものです。

 私の場合は、ピアノではなく、フルートだけれど、やっぱり自分の実力以上の曲に取り組みたいという誘惑には、常に取り憑かれています。だから吹けもしない曲の楽譜も結構持っていますよ。

 まあとりわけ、趣味のオジサンオバサンと言うのは、実力は低くても志は高いですからね。死ぬまでに“あこがれのあの曲”を演奏してみたいと思って、先生に「あの曲やらせてください」と言い出しても、誰にも文句は言えません。その思いに、うっかり応えてしまう先生を責めることも、簡単にはできないかもしれません。

 しかし、自分の実力以上の曲に、仮に取り組んだとしても、まともに演奏できない事は火を見るよりも明らかだし、やる前までは「なんとなく自分でイケるんじゃねえ?」とか思っていても、いざ実際に取り組めば「こりゃあダメだ」と分かるわけだから、現実問題として、実力以上の曲に取り組む人って、そうそう多くないと思います。

 やってみて、ダメなのに出来ているつもりの人は…それこそが、ピアノ先生方を悩ませているタイプの生徒さんたちで…ううむ、これは確かに根深いモノがあります。出来ていない事に本人が気づいていない以上、とりあえず気づくまでは前に進ませてあげるしかないかな…って個人的には思います。

 まあとにかく、器楽の場合、学ぶ方も、ある程度自分で“出来る/出来ない”がはっきり分かるわけだし、教える方もシステマチックだし、教える/学ぶ順番も決まっているから、その生徒が実力以上の難曲に取り組んでいる事に気づくわけです。

 振り返って、声楽の場合は、どうでしょうか? 生徒が実力以上の難曲に挑む事って、あるんでしょうか?

 まず声楽の場合は、器楽とは違って、基準となる教則本ってのがありません。一応、コールユーブゲンとかコンコーネなどの声楽教則本がありますが、コールユーブンゲンは声楽の教則本と言うよりも、ソルフェージュの教則本だろうし、コンコーネは良い声楽教則本なんだろうけれど、歌詞が無い事もあって、これを使われない先生も大勢いらっしゃいます。

 声楽の場合、多くの初心者は、イタリア古典歌曲を単独で、あるいはコンコーネと併用して学ぶ事が多いと思います。そのイタリア古典歌曲だって、学ぶ順番があるわけではなく、先生がその生徒を見て、適宜必要な曲を与えて学ぶという段取りの事が多いと思います。イタリア古典歌曲をそこそこ学んだら、次はイタリアのロマン派歌曲をやったり、ドイツ歌曲や日本歌曲をやったり、オペラのアリアに取り組んだり…って感じになっていくと思います。

 つまり、大雑把に学ぶ順番はあるにせよ、器楽ほどシステマチックではありませんし、学ぶ順番が決まっているわけでもありません。

 それに加えて、声楽の場合は、持ち声というモノがあります。性別の違いはもちろん、声色の違いもあって、みんながみんな同じ声質であるとは限りません。また、歌を学び始めた段階で、声が楽器として、全然作られていない人もいれば、すでに生活の中でかなり出来上がっている人もいるわけです。声質が違って、楽器としての完成度もそれぞれ違う人たちが、雑駁にまとめられて“初心者”という括りで歌を学ぶわけです。

 極端な話、始めたばかりであっても、すでに夜の女王のアリアを歌える声を持っている初心者もいるわけです。そういう人が、キャリアが浅い中、夜の女王のアリアに取り組んだからと言って、実力以上の曲に取り組んだ…と言えるでしょうか? 実は実力相当の曲を選んだだけなのではないでしょうか?

 その一方で、10年学ぼうが、プロとしてデビューしようが、夜の女王のアリアが歌えないソプラノさんだっています。これは実力うんぬん以前に、声が夜の女王向きでは無いとも言えます。そういうソプラノさんは、どれだけ力を付けたとしても、夜の女王はずっと歌わない/歌えない事でしょう。

 そんなふうに考えていくと、声楽の場合は“実力以上の難曲に取り組む”と言うよりも“現在の自分の声に合わない曲に取り組む”と言い換えた方がいいかもしれません。つまり、自分の音域に収まらない曲や、自分が持っているテクニックでは歌いきれない曲とか、性別や声の質に合わない曲を歌う…そういう“現在の自分の声に合わない曲”に取り組んでいく事が、器楽で言うところの“実力以上の難曲に取り組む”事と同義なのだと思います。

 器楽の場合は、学習順番の問題なのだけれど、声楽の場合は、先生の能力不足とも言えます。器楽にせよ声楽にせよ、その根本には“先生の手抜き”を感じるなあ…。

 そう考えてみると、以前の私なんて、いつも実力以上の難曲に取り組んでいたと思います。キング先生時代の学んだ曲と言うのは、私の実力不足もあるけれど、常に私のその時の声には合わない曲ばかりで、だからレッスンでもきちんと歌えなかったし、発表会などの本番では、必ず決まって失敗し続けてきたわけで、曲の最初っから最後まで歌いきれた曲なんてありません。皆無です。私はそれはイヤだったけれど、先生はそれで良いと思っていたみたいだし、生徒としては、先生がそれで良いと思っている以上、事を荒立てる事はできないし、声楽を学ぶという事は、失敗経験を積み重ねていくものだと錯覚すらしていました。

 その感覚が染み込んでいたので、Y先生のところに移ってからも、しばらくは撃沈前提の曲ばかりを選んで歌っていたと思います。だって、どんな曲であっても、ちゃんと歌えなかったんだもの。どうせ歌えないなら、歌いたい曲を歌って撃沈しちゃえばいいじゃん。

 でも、Y先生のところに移り、歌も上達してきて、普通に歌える曲が増えてくると、歌えない歌を歌う事が苦痛になってきました。なにしろ「失敗することがチャレンジする事」とか思ってましたからね。

 今はそういうチャレンジ精神が失われたとも言えます。だって、自分の声に合わない曲を無理に歌うことがイヤになったんだもの。

 やはり、自分の声に見合った歌を歌いたいです。自分の声に見合った歌を歌いきると、実に気持ちいいですしね。歌えない歌を無理して歌っても、全然楽しくないですし、楽に歌える歌ばかり歌っているのもフラストレーションが溜まるものです。自分の実力相応か、ちょっと難しい曲に果敢に挑んでいきたいです。

 そういう意味では、器楽などで自分の実力以上の難曲に取り組む事って、きちんとは演奏できないわけだから、やはり不幸な事なんだと思います。

 ただ、私がそうであったように、その渦中にいる時は、自分が実力以上の難曲に取り組んでいるという自覚がないかもしれません。出来ない自分が普通であると受け入れてしまうのは、悲しい事だし、音楽が楽しくないって事です。それは、不幸です。趣味なのに楽しくないなんて、ありえませんよね。

 そういう意味でも、趣味のオジサンオバサンの希望やリクエストはあるにせよ、教える側の先生は、うまく折り合いをつけて、実力どおり、あるいは実力に近い曲を選んであげて、音楽の楽しさを教えてあげて欲しいなあって思います。

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コメント

  1. tetsu より:

    こんばんは。

    > そのために、教え方とか学ぶべき教材なども、かなり整理されているし、

    ピアノの「教え方とか学ぶべき教材」ってそれほど整理されているのでしょうか。
    「ハイフィンガー」はこちらはピアノ触らなくてキーワードだけですが実際の演奏でキーを叩いているような場合生理的にダメです。
    最近の流行(?)のピアノ初心者向け教則本は知りませんが(バーナム? ペース?)、「バイエルの謎」は黙示録からのエピグラフとか、何年もかけてドイツまで探しに行った資料が今ではPCで数回クリックするだけで見れてしまうという文庫版のオチとか、メチャオモロイです。

    バイエルの謎 新潮文庫
    https://www.amazon.co.jp/%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%81%AE%E8%AC%8E-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%96%87%E5%8C%96%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%9F%E6%95%99%E5%89%87%E6%9C%AC-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%AE%89%E7%94%B0-%E5%AF%9B/dp/4101202869/ref=pd_cp_14_1/355-1343891-3745423?_encoding=UTF8&psc=1&refRID=ENK35C4HR35V9QKVGH2B

    フルートを含めて管楽器はピアノとか弦みたいに音を出しているところが外から見えるわけではないので教える方は難しそうです。いい音がでているか聴いてナンボです。
    フルートの教則本でよくモイーズのソノリテが挙げられますがLeduc版の最後のページではソノリテは7,9です(1が初級、9が高い方)。少なくとも初級とか入門ではありません。なぜかこちらも手元にあります。今ではさらうとしたら最初ではなく最後のページを遊びで吹くくらいです。

    失礼しました。

  2. すとん より:

    tetsuさん

    >「教え方とか学ぶべき教材」ってそれほど整理されているのでしょうか。

     私はされていると思いますよ。あくまでも、その他の楽器の学習環境と較べて…という話です。

     良いか悪いかは別として、例えば、すごく大雑把だけれど、街の音楽教室なんかだと、「バイエル」をやって、その併用曲集をやって、「ブルグミュラー」をやりながら「ハノン」をやって、「ソナチネ」やったら「ソナタ」やって、そこからバッバの「インベンション」に取り掛かる…という順番があります。まあ、かなり古典派寄りの学習なので、最近の先生方は、また別の教則本を使って教える方が多いようですが、こういう昔ながらの教則本の順番があります。

     また、ヤマハなどの大手音楽教室だと、ピアノに関しては、自社製の教則本&曲集があって、それを使ってシステムマチックに学んでいる人もいます。

     ちなみに「ハイフィンガー」はピアノのみならず、たいていの楽器でダメです。どんな楽器であれ、無駄な力を使わずに、最小限の力で楽器をコントロールしないと、指の動きが悪くなるし、遅くなるし、極端な場合は指を壊しますからね。クワバラクワバラ。

     ハイフィンガーはもちろん、声楽で言う所のドイツ唱法もそうだけれど、昔の人達は、今の視点で見ると「そんな事をやっちゃダメだよ」的な事を堂々と教えていたわけですが、それもこれも、クラシック音楽が我々の音楽ではなく、我々の生活圏が世界の辺境にあり、情報の伝播の速度も今と比べられないほどに遅かったし、留学して正しい事を学んでくる人も少なかったのだから、仕方ないと思います。むしろ、情報の少ない中、なんとかして追いつこうとしていた先人たちの心意気(だけですが)買えると思ってます。

     「バイエルの謎」は面白そうですね。ただ、残念なのは、電子書籍化されていない事ですね。私、ある時から、電子書籍しか購入しない事に決めたので、この本、読めません。ああ、残念。

     この本に限らず、日本語の音楽本って、ほとんど電子書籍化されてないんですよ。音楽を嗜むと思われる人って、アナログ人間(老人とほぼ同義)ばかりだと思われているんでしょうね。でもね、老人になるほど、電子書籍の方が紙の書籍よりも読みやすいはずなんですが…ね。たぶん、食わず嫌いなんだろうと思います。

     電子書籍って、いいですよ。

  3. tetsu より:

    こんばんは。

    > 電子書籍って、いいですよ。

    こちらは近視・乱視・老眼が重なってメガネかけないと外を歩けませんがメガネ外すとふつうに本が読める程度です。
    電子書籍はまともに読んだことありません。webではご存知とおもいますが青空文庫で著作権切れの少し古い本はたいてい読めます。
    http://www.aozora.gr.jp/

    「バイエルの謎」の続き、というのが次にあります。「ハイフィンガー」の起源はここかと読んでいたけれど記憶になくてビックリです。仰るご本人の演奏についてはとても書けません。
    http://www.ongakunotomo.co.jp/web_content/bayer_sonogo/01.html

    音楽之友社はいろいろwebの記載があって面白いです。こういうのあちこち読んでると紙の本はめったに買うことありません。
    http://www.ongakunotomo.co.jp/web_content/senmonsyo/11.html

    最近後期ベートーヴェンに興味があって、本というと手元にある吉田秀和と学生時代読んだロマン・ロランの「ベートーヴェン研究」くらいしか思い浮かばず、日本の古本屋で注文してしまいました。
    https://www.kosho.or.jp/

    どこまで電子書籍化されているかよくわかりませんが、都内の大きな本屋では定期的に復刊フェアがあります。
    絶版の本をスキャンして電子書籍で売れば安いはずですが逆に印刷製本の業界がシュリンクするのでできないのかもしれません。

    失礼しました。

  4. すとん より:

    tetsuさん

     電子書籍は老人に優しいですよ。すべてタブレットに収まってしまうので、たくさん持ち歩かずに済みますし、活字はいくらでも拡大できますから、大型本は不要です。価格も…古本には負けますが…新刊であっても安いですからね。また紙では絶版でも、電子で復刊という本もたくさんあります。

     ただ、すべての本が電子化されているわけではありませんから、読みたい本が必ず読めると言った保証はありませんし、おのずと読書量自体が減ってしまいます。かつては活字中毒だった私的には、むしろ、本を読む時間が減ったので、その分を、他の活動に使えるようになったと解釈しています。

    >絶版の本をスキャンして電子書籍で売れば安いはずですが逆に印刷製本の業界がシュリンクするのでできないのかもしれません。

     そうでなくとても、パソコンの登場依頼、縮む一方である印刷製本業界的には、電子書籍の復旧なんて、ノーしか言えないのかもしれません。でもね、時代の流れは、だいぶ前からペーパーレスだからなあ…やがては音楽がそうであるように、現物であるレコードやCDが廃れ、データのやり取りの配信がメインになったように、書籍の世界も、時間がかかっても、やがては電子書籍によるデータ配信がメインになるんだろうと思いますよ。

     まあ、もっとも、書籍は電子書籍しか買わない私ですが、音楽に関しては、なるべくCDで購入しています。なんか、配信ってデータしかなくて、なんかイヤなんですね。絶版になってデータ配信しかないモノは仕方ないのでデータで購入して、後日、CD-Rに焼いている私です。そうです、矛盾した態度である事は重々承知なのですが、やめられないんだから、仕方ないじゃん。

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