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偏向報道?は止めて欲しい[2022年9月の落ち穂拾い]

 暗殺された安倍元首相の国葬が終わりました。

 私は地方在住者ですから、当日がお休みにはならなかったため、一般献花等には参列できず、ちょっぴり残念でした。まあ、当日がお休みになって、全国から献花者が集まったら、東京は大混乱になるでしょうから、国葬の日を休日にしなかった件については、これはこれで正しい判断だったのだろうなあ…とは思ってます。なんだかんだ言っても、安倍元首相は人気者だったからねえ。コミケ並の動員数になったら…とても警察じゃあ人数をさばききれないしね。

 さて、私は悲しい地方在住者なので、国葬当日の様子などはテレビ報道で見るしか無く、仕方なしにテレビを見ていたのですが、どのチャンネルの、どの番組を見ても、国葬反対デモが多くクローズアップされているし、それを見ていると、都内は反対デモが盛り上がって、とても大変だったんだなあ…という印象を持ちました。

 実際、当日に至るまでも「私は招待されたけど、国葬には参加しません」と誇らしげに表明する国会議員さん等の報道も多くあって、お葬式に欠席するのって、そんなに威張る事なのかな?って思ったし「安倍さん、嫌われているなあ…」とも思ってました。

 そんな報道を見ていて感じたことは…いくら生前嫌われていたとしても『死んだらノーサイド』だよね…とか、“村八分”という言葉があるけれど、残り二分の、どんなに嫌なヤツでも火事と葬式に関しては、仲間として対応するのが日本人なのに、その葬式に反対するなんて、なんか変じゃない?…とか、安倍さんへの敬意とか…。とにかく、死者への弔いの心とか、そんなモノが全然感じられなくて、すごくすごく違和感を感じていました。

 なんかねえ…悲しいよね。それが死者を送る態度かねえ、そんな人たちが国会議員なのかねえ…と思ってました。

 で、後日、国葬に関する、あれこれの数字が発表されました。それが以下の数字です。

 国葬の参列者…会場である日本武道館に入った人の数は、4180人です。ここには招待状が無いと入れません。国は6000人招待したそうなので、1800人程の欠席者がいたという事です。1/3弱の人が欠席とか、やっぱり安倍さん、政治家さん(招待者の多くは国会議員さんです)には人気がないし、政治家さんって、選挙区の葬式には積極的に参加するのに、票にならない葬式には参加しないんだな…って思いました。

 海外からの参列者(その多くは国の代表者)は約700人ほどで、全体の1/6程度です。私的には「多いなあ…」という印象なので、安倍さんは国内的な評価は低くても、海外からは一定の評価がある政治家たったんだなって思いました。

 それから、散々テレビ中継された国葬反対デモだけれど、デモの参加人数は主催者発表では1万5千人、警察発表が500人で、実際にその場に行った一般人の方が、デモの人数を数えてツイッターとかに上げてますが、その数字だとだいたい200人前後なんだそうです。それを考えると、デモの人って、300人前後か、もうちょっとぐらいしかいなかったっと推測されます。

 ちなみに、一般献花者は約2万3千人だそうです。つまり、大雑把に言って、お葬式反対の人の約百倍の数の人がお葬式に参加した…って事です。逆に言えば、全体のわずか1%の方が反対デモをしていた…ってわけで、統計的には1%なんて、基本的に無視するべき割合だよね。

 これってさあ「国葬は一般献花者も含めて、しめやかに執り行われました」っていうべき内容だよね。デモなんて、わざわざ報道すべき事項では無いでしょ? 電波と時間とエネルギーの無駄だよ。

 そう考えるならば、テレビの報道は、事実とはかなり違っていて、嘘で固めた偏向報道とも言える内容だったって事です。

 たとえ民放であっても、電波は公共物だよ。それを利用している以上、少なくとも正しい内容の報道をして欲しいです。事実とは異なる、ほぼ嘘で固めた、偏向的な報道なんて、害悪でしかないよ。現地に行けない、地方に住んでいる情弱なジイさんたちは、そんな嘘のテレビ報道で騙されちゃうって。

 テレビ局は、誰の利益のために、嘘付いているんだろ?

実は世の中なんて変わらないのかもしれません

 音楽の販売形式が、CDから配信に変わってきています。配信では、これまでのシングル曲を発売するのと同様に、1曲ずつ売るのが主流です。

 私の世代は、ビートルズ以降の世代なので、音楽はアルバム単位で聞くものだという意識が無意識にあります。シングル曲はあくまでも、アルバムからカットされた宣伝用の曲であって、音楽としての本体はアルバムなんだという刷り込みがある世代なのです。

 ですから、現在の配信主流の時代になって、曲が1曲ずつ売られるようになり、それが普通のスタイルになってくると、やがてアルバムが廃れてしまう…という無意識の危機感を持つわけです。

 でも、それはおそらく危惧でしょう。たぶん、これからもずっと、現在、アルバムと呼ばれている、数曲の歌をまとめてパッケージにして販売する形式は、存続するだろうと思います。だって、それらはCDやレコードが作られる前から存在していたからです。

 例えば、シューベルトの歌曲集とかは、当時は楽譜集の形で数曲まとめて販売されたけれど、あれは当時、楽譜として音楽を販売するのが普通の時代だったから楽譜集として販売されただけであって、もしもシューベルトがレコードやCDの時代の作曲家だったら、その歌曲集も、当然、アルバムとして販売されていたでしょう。

 だって、顧客の立場で考えれば、お気にアーティストの曲は、1曲だけじゃ寂しいものね。数曲まとめたパッケージがあれば、そっちだって買っちゃうよ。

 そんなわけで、配信の時代になった今後も、歌は、アルバムのようなパッケージ形式でも、作られ続け、販売され続けられると思います。

 ただし、かつては楽譜集として販売され、今ではCDとして販売されてきたアルバムは、これからは、形を変えて販売されると思います。例えば…アルバムではなく、プレイリストとかね。実際、配信がメインになると、そんな感じにならざるをえないと思います。

 で、アルバムがプレイリストとして販売されるような時代になれば、結果的に、CDは廃れると思います。一般の人の手には入手しづらくなるでしょうし、音楽家たちも、CDを販売して生活していくのはムリでしょうね。

 でもね…世の中が変わっても、人の生活は簡単に変わりません。CDはこれからも老人たちを中心とした好事家のために、現在のレコードやカセットテープのように、ごく少数ながらも生産され、限られたルートで販売されていくかもしれません。だって、老人は世の中の流れについていけないもの。自分たちの慣れ親しんだモノを今後も求めていくものです。それが老人です。だから、CDも細々と作られ、売られていくと思います。

 でも、若者はもはやCDには見向きもしないでしょう。そして、老人は時とともに死んでいって、いなくなってしまいますから、当分は存続できたとしても、やがてCDは無くなってしまうのだろうと思います。

 実際、私は音楽を購入するなら、CDじゃなきゃイヤだもの。そんな老人がいるうちは、細々とCDは販売され続けるだろうけれど、それはもはや世の中の主流ではない…って事なのです。

 音楽って、基本的に若者文化だし。商売としても、若者が消費してナンボの世界です。たから若者に支持されないモノはやがて無くなります。ただ、我々が思っているよりは緩やかに世の中って変わっていくのかもしれません。

 いや、事実を言えば、世の中は変わらないのかもしれません。変わるのは、そこに生活する人々で、人が生まれて死んでいって、メンバーが入れ替わる事で、世の中が変わったように見えるだけなのかもしれません。

私は歌いたい

 声楽のレッスンの話です。私は歌が上手くなりたいし、歌唱テクニックだってドンドン身につけていきたいのです。だから、そういう方向でのレッスンは、決して嫌いではないのだけれど、その一方で、多くの曲を歌いたいんですよ。世界の有名曲を全部全部歌ってみたいし、レパートリーを増やしたいのです。何しろ、人生は短いですからね。死ぬまでに後悔が少なくなるように、歌いたい歌を次から次へと歌いたい人なのです。

 でも、声楽のレッスンの時間には制限があります。私の人生だって有限です。

 だから、丁寧なレッスンはありがたいけれど、そのために歌う曲数が減ったら、すごく残念なんです。

 一時期、コンコーネをレッスンでやっていただいていたけれど、コンコーネをやると、テクニックは身につくだろうけれど、曲を歌う時間がやたらと減るんですね。あれは辛かったです。なにしろ、レッスン時間は有限ですから。

日本の合唱の未来

 日本における合唱文化の存続について考えてみました。おそらく、すぐに無くなる事はないと信じていますが、相当な規模縮小は余儀なくされると思います。

 男性としての視点で考えると、おそらく、あと15~20年のうちに、日本における男声合唱はほぼほぼ壊滅状態になってしまうと思います。その理由は、男声合唱を担っている人たちが、皆、鬼籍に入ってしまうからです。ですから、その後の男性の合唱愛好者は、数少ない混声合唱団で細々と活動をするようになるんだろうなあって思ってます。

 女声に関して言えば、おかあさんコーラスが無くなることは無いでしょうから、今よりも業界規模は小さくなるにしても、それなりに頑張っていくのではないかと思います。

 つまり、将来的な日本の合唱文化は、専業主婦たちによって支えられるのではないかと思うのです。問題は、日本の人口そのものが減っていく上に、経済的にも貧しくなっていきますから、専業主婦と呼ばれる人も減少していくでしょう。それに伴って、合唱文化も規模縮小になる…と考えています。

 ちょっと心配なのは、合唱文化が女性文化となった時に、それでも継続していけるかという事です。いやあ、だって、女の集団って、あれこれ面倒って聞くよ、合唱が面倒で厄介な文化になったら、無くなっちゃうよね。それはかなり心配です。

今月のお気に入り ツレがうつになりまして

たぶん私は“うつ”とは縁遠い人間なのかもしれません。

 私も一応は真面目人間だし、がんばり屋さんだけれど、心が壊れるほどは働けない…と言うか、心が壊れる前に、カラダが不調になるタイプなのです。それも、カラダが不調と言っても、大病を患うわけではなく、単純に発熱して数日寝込む程度の不調なのてす。たぶん、そんな感じで、ちょくちょく発熱等で倒れているので“うつ”にはなりづらいのだろうと思うのです。

 “うつ”になれるほどの元気がない…ってのが、私なんだろうと思ってます。

 それくらい“うつ”とは距離がある私なので、身の回りに“うつ”で倒れる人が出るたびに、この本を読み返すわけです。で、彼ら彼女らとの接し方を改めて確認するわけなのです。

 私は“うつ”とは縁遠い人間ですが、人間の種類としては“うつ”になってしまう人とはかなり近い種類の人間ではあります。ただ“うつ”になれる才能がないために“うつ”からは縁遠くて、でも人間の種類的には近い…というのも難儀なタイプなわけで、縁遠いから、我が身を安全地帯に置いたまま、種類的に近いので思わず地雷を踏みまくる…という事をやりかねないのですよ。それが分かっているからこその愛読書なのです。

 改めて思うのは“うつ”って現代病だよね。高度成長期以前の日本なら、まだまだ大家族制だったわけで、家族が社会的にも機能していたわけで、家族に“うつ”っぽい人がいても、家族なり家庭なり村なり集落なりがセーフティーネットになって、彼らが“うつ”っぽくなったとしても、なんとなく居場所的なモノとか社会での役割とかって与えられていて、そんな人でも病気の自覚無しに、何となく生きていられたように思うけれど、都市生活で核家族となると、人生の逃げ場所もなければ、余裕もなくなるわけで、そうなると無駄に勝手に人生に追い込まれてしまれて詰んでしまう人が出てきて、そんな人が“うつ”になってしまうのたろうなあって思わないでもないです。

 そんな事を考える私なのです。

今月の金魚

 9月28日 緋ドジョウが一匹、星になりました。詳しくは明日の記事で。

今月のひとこと

 なんか急に涼しくなってきましたね。もしかして…そろそろ夏が終わるの? 今年は夏になるのが早かったから、終わるのも早いとか? それならそれでうれしいのだけれど、どうだろう?(2022年8月29日~9月5日)

 WordPressに変えて、不便を感じる事が多い最近ですが、それでも変えて良かったなと思える事もないわけではありません。その筆頭としては…スマホでもサイドバーの項目が見られる…って事でしょうか? 今までスマホではサイドバーが見られなくて、操作上の不便が多かったのですが、それが解消されただけでも、WordPressにして良かったなあと思っています。(2022年9月5~10日)

 日本は食料自給率が極端に低いです。円安が進行して食材が輸入できなくなれば、当然食べ物が無くなって、飢餓が発生し飢饉となります。かつて飢饉は天候不良で起こったけれど、今や通貨危機で飢饉が起こる時代なのです。それも通貨危機とは呼べないほどの軽微な円安状況で…。そして飢饉が発生すれば、権力者は国民の不満を国外に向けて国内政治の安定を図るわけで、国民の不満を国外に向けるのに最適なのは戦争なのです。かつて我が国が戦争に突入した時の社会情勢を学べば、今の経済状況がかなりマズイことは理解できるはずでしょう。いつまでもコロナにビビっていてはいけません。一刻も早く経済の立て直しをし、円安状況から脱しないと、来年の今頃は、日本がウクライナになっているかもしれないのだよ。(2022年9月10~20日)

 素朴な疑問。男性カップルを見ると、ついつい萌えてしまう腐女子の方々って、歌舞伎の女形の演技を見ても萌えるのかしら?(2022年9月20日)

 分かった事。コメント内にリンクが貼ってあると、スパムの可能性ありと判断されて、自動的に“承認待ちコメント”になるようです。まあ、承認待ちコメントになっても、私が気付き次第承認しますので、その際はしばらくお待ちいただく事になります。これはどうやら、WordPressの仕様のようなので、ご勘弁してくださいませ。(2022年9月20~26日)

 今月は以上です。よろしくお願いします。

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コメント

  1. 如月青 より:

    >日本の合唱の未来

    これは私も心配です。合唱という趣味はどんどんマイナーになって、中学校で合唱部を消した、というところ多いです。

    ただ、高校については、かつての男子校、女子校がどんどん共学化しているので、女子校のお嬢さん芸で女声合唱→ママさんコーラス、という人は減るような気がします。
    高校・大学である程度質の高い混声合唱を経験した人が、OB主体の小さなコーラスグループを作って生き延びていくのでは?

    女声合唱といえば、(この前潰れかけている、と記事にして頂いた)上野音大出身の友達から聞いた昔話。私が、「時々女声でメゾ手伝ったけど、メロディが奇怪で覚えにくいよね」というと、「だからやめられんのよ」。

    その友達が在学中、合唱の授業のあとで、出席者がそろってメゾのパートを歌いながら廊下を練り歩いたそうです。周りの学生が「なになに?」と聞き耳を立てるのを面白がっているうちに誰かが笑い出し、それが次々に伝染して、誰が最後まで歌い続けられるかの勝負になった、と。

    私は混声派ですが、こういうのはすごくやってみたかったです。

  2. すとん より:

    如月青さん

     ほんと、合唱界の未来はどうなるのでしょうね。

     中学・高校の合唱部は、ほぼ無くなってしまったようですが、かろうじて残っているところは、たとえ共学校でも、合唱部は女声合唱ってところばかりです。ほんと、今どきの男の子は歌わないんですよ。

     なにしろ、軽音楽部であっても、ヴォーカルはほぼ女の子です。男子部員がいても、楽器をやるばかりで、まず歌わない。日本の男子って、本当に歌わないんですよ。

     だから、日本の合唱はほぼ女声合唱になってしまい、その中で、混声合唱が細々と息をし、男声合唱は絶滅する…と読んでいる私なのです。

     何か、突拍子もないブームでも起きない限り(例えば、合唱男子がモテモテになる世の中が来る!…とか)、この状況は変わらないと思うんですよ。

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