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メトのライブビューイングで「つばめ」を見てきた

 久しぶりに、映画館に行ってオペラを見てきました。いやあ、だってオペラって上映時間が長いじゃん。普通の映画が90~150分(1時間半~2時間半)程度なのに対して、オペラって210~360分(3時間半~6時間)だからね、感覚的には、オペラ1本で普通の映画3本ぐらいなんです。だから病気療養中で体力激減している妻だと、普通の映画は見られても、オペラは(体力的に)見られなくて、ここんとこ、映画館でのオペラ鑑賞はパスしていたわけです。

 それが最近、病気治療の方も(まだまだ継続中だけれど)少し落ち着き、体力・体調ともに良くなってきたので、オペラを見に行くことにしたわけです。

 それに「つばめ」はオペラの中では、かなり短いオペラ(約3時間)だし…ね。そんなわけで「まあ、なんとかなるだろう」と…久しぶりにオペラ鑑賞をしてきたわけです。

 で、たまたま上映していた、めったに上演されないプッチーニの「つばめ」を見に行ったわけですが…ううむ、これは実にコスパの悪い上演だなあというのが、正直な感想でした。

 キャストとスタッフを書いておきます。

 マグダ…エンジェル・ブルー(ソプラノ)
 ルッジェーロ…ジョナサン・テテルマン(テノール)
 リゼット…エミリー・ポゴレルツ(ソプラノ)
 プルニエ…ペグゾッド・タブロノフ(テノール)

 指揮…スペランツァ・スカップッチ
 演出…ニコラ・ジェエル

 基本的にメトのライブビューイングで上演されるオペラって、水準以上の素晴らしい舞台ばかりなんだけれど、たまに外すというか「どうなの、これ?」っていう上演もあって、そういうハズレに当たると、なんか釈然としないというか、ちょっと損した気分にもなっちゃうわけです。

 正直、今回の上演は(私的には)ハズレだと思いました。

 まず「つばめ」というオペラがめったに上演されない演目である理由が、肌で分かりました。

 普通「めったに上演されない演目」ってのは、上演するのが難しい演目である事が多いわけ(歌唱技術的に難しくて今の歌手では歌えないとか、一流のテノール歌手やカウンターテノールを複数揃えないといけないとか…)で、隠れた名作である事が多いのですが、この「つばめ」に関しては、決してそんな事はなくて、単純に「面白くないから上演されない」だけの演目なんですよ。

 一応キラーソング(「ドレッタの夢」)はあるんですが、それは冒頭10分で出ちゃうし、それも曲の半分は、脇役テノールが歌っちゃうし、ちゃんとしたアリア扱いされなくて、なんか残念な感じになっているのですよ。で、その冒頭10分が過ぎて、いよいよオペラ本編に入ると、客の心に刺さるようなメロディは無く、ただひたすら歌手さんたちが「ああ、頑張っているなあ…」って思うだけの歌が続くわけです。作曲家のプッチーニはキラーソングのつもりで書いているんだろうけれど、全然つまんねー曲ばかり続くし、ほんと「プッチーニのオペラなのに、なんかダメじゃん」って思っちゃうわけです。つまり、そんな程度のオペラなんです。要するに、オペラとして、そもそも面白くないんです。

 次に男性側の主役を歌ったテテルマンの歌唱が、かなりヒドいです。特に第3幕の二重唱は正直、アマチュア以下の歌唱で、舞台に上げちゃダメなレベルのヒドい歌を歌ってます。一応、映画の冒頭で、劇場支配人であるゲルブが出てきて「テテルマンはアレルギーでひどい状態なので、歌がちゃんと歌えないけれど、そこは勘弁してね」と言い訳をしてから、オペラが始まったわけで、どんだけヒドい歌を歌うのかと思えば、ありえないレベルの歌唱をかましました。

 歌手が歌えない事が事前に分かっていたなら、代役を立てるのが劇場支配人の仕事なのに、それをせずに、言い訳をして許してもらおうとしたわけで…つまりそれだけ、今のメトは人材不足だというわけで、そんな舞台を見せられた客は、迷惑もはなはだしいわけです。

 さらに言うと、これもメトの人材不足なんだろうけれど、女性側の主役を歌ったエンジェル・ブルーが、またまたヒドいんです。いや、彼女の場合、歌唱はとても良かったです。歌だけなら、完璧と言ってもいいのだけれど、歌以外が全くダメなんです。

 まず、ソプラノなのに、ドラム缶のようなデブだし、演技は棒だし…。メトを始めとした、今どきの歌劇場では、ソプラノってのは競争が激しくて、まずデブは即解雇だし、演技力の無い歌手はオーディションで落とされるし、その上、美人じゃないと採用されません。それくらい、今どきのソプラノ歌手という稼業は、厳しくて多くを求められるのです。

 それなのにブルーはドラム缶デブの上、演技がダメダメ。取り柄は歌だけです。

 20世紀ならディーヴァ扱いされたかもしれないけれど、21世紀ではダメでしょう。いや、むしろ、解雇レベルの歌手です。いくら歌が上手くても、オペラは総合芸術なんだから、そんな歌手が堂々と出てくる時点で、メトの人材不足が分かるというものです。

 「つばめ」ってオペラは、プッチーニ版の「椿姫」なわけで、主役のマグダは、ヴィオレッタのような美魔女な歌手がやるべき役なのです。つまり「年齢を感じさせるけれど、とびきりの美人で性的魅力に満ちあふれている」役なわけで、それを演技力で表現できなきゃいけないのだけれど、そもそもドラム缶デブなんだから、何をどうしようと「美人」とか「性的魅力」なんて無理難題なわけだし、「年齢を感じさせる」ような演技力も無いんです。ブルーがマグダを演じると“ただの太った黒人の小娘(それも何か偉そう)”になってしまい、何をどうやっても“パリの売れっ子高級娼婦”にはならないのです。つまり、ブルーは最初っから、この役には向いていないわけですよ。つまり、ミスキャストなのです。歌が歌えるだけに、演じる役はもっと選ばないといけない…と思いました。

 まあメトが苦しいのは分かります。コロナ禍で、出演予定だったヨーロッパ系の一流歌手たちが全部キャンセルしてしまい、コロナが収まってから、彼らと新規に契約を結んで出演してもらうまでに、5年程度の年月はかかってしまい、それまでの間、なんとか劇場をアメリカ国内の若手歌手たちで廻さないといけないという苦しい事情は理解するけれど、少なくとも「つばめ」にブルーは無いと思いました。

 人材不足の上に、アメリカに吹きまくっている過剰コンプラ…ポリコレも「つばめ」をつまらなくした、ダメな理由として考えられます。ポリコレを優先せざるをえないのであれば、たとえブルーが、ドラム缶デブで演技力が不足していても、歌える黒人歌手である以上、劇場としては、彼女を優遇しないといけないのでしょう。彼女を主役に据えないといけないのでしょう。だって、歌唱力だけなら、それが正解だし、それが政治的に正しい判断なんだから。

 今のアメリカでは、エンタメ的な正解よりも政治的に正しい事が何よりも求められるわけなのです。これは、最近のディズニー映画がつまらなくなったのと、理由は同じです。

 おそらくブルーが白人女性だったら、この体型と演技力なら、いくら歌が上手くても、主役は無理です。よくて脇役ソプラノでしょうね。黒人だから主役になれたわけで、これって“逆・人種差別”だと、私は思うよ。

 とまあ、“「つばめ」というオペラ自体が駄作”で“主役テノールの歌がひどすぎる”上に“主役ソプラノがミスキャスト”という三大欠点を抱えた上演なので、ほんと「こりゃダメだ」って状態になっています。

 大きな欠点を抱えてはいるけれど、その他はよく頑張っているし、いつもながら水準以上の上演をしていると思います。

 特に脇役テノールのダブロノフは素晴らしいです。まだまだ若く、今回の舞台がデビューらしいのだけれど、将来が楽しみな歌手でした。演出も素晴らしく、そもそもつまらないオペラをなんとか鑑賞に耐えられるものに仕上げている、その力量は素晴らしいです。あと、衣装が頑張っていましたよ。マグダが来ていた衣装の数々が、実にチャーミングでした。

 他にも良いところはたくさんあったけれど、大きな欠点が3つもあるんじゃあ、エンタメとしては厳しい事を言われても仕方ないかな?って思いました。

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