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だから私はダメなのだ

 “良い声”とは何だろうか?と以前少しだけ考えた事があります。その時の答えは「良い声とは、結局、自分の好きな声のことだ」という結論が出ました。この答えは、今でも変わっていないし、たぶん世間的にも正解な答えだと思います。つまり「みんなが好きな声が、みんなに“良い声”だと思われる声」って事です。
 じゃあ、私にとっての良い声とはどんな声なのか?……と具体的に考えてみたところ、答えは即答ですよ。私の好きな声って、こんな声なんです。
 そう、いにしえの名歌手である、マリオ・デル・モナコの声。こういう声が私が好きな声で、私が良い声だと思う声です。ちなみに歌っているのは、ガスタルトン作曲の「禁じられた歌」です。歌詞を見ると明らかに女性の歌ですが、なぜかテノールが好んで歌うという謎の曲です(私も歌った事があります)。まあ、歌詞が女性歌手向きであっても、メロディーかテノール向きなんですよ。美声テノールが柔らかく歌うのがタマラナイのが、この曲なんです。
 さて、こういう声が良い声だと思っているので、少し前まで「こんな声を出したい」「こんな声で歌いたい」「こんな声になりたい」と願って、その方向で努力していたわけです。
 無理なのにね(笑)。
 なぜ無理なのかと言えば、答えは簡単です。私はモナコではないからです。
 声…って、つまり声帯って、楽器でしょ? この楽器は、それぞれが神様から与えれらた一品物で、当然、私とモナコの声は違うわけです。違う楽器です。違う楽器なのに、同じような声が…出るわけないじゃん。これは明々白々の事実です。出るわけないのに、出そうとしたって、そりゃあ無理じゃん。
 だから、私はダメなんだな。
 私にとって、良い声、理想の声は、モナコのような声だけれど、私の声は、モナコではないし、モナコに似ている声ですらないのです。かろうじてテノールという同じ系統の声である事くらいが共通点ですが、それでもかなり違います。いや、全く違うのです。だから、真似しようとしてもできるわけないし、無理やり近づこうとしたら、声を壊すだけです。
 10年以上努力して、そんな簡単な事にようやく気づきました。
 ああ、無理無理、絶対無理…とは分かっているけれど、やっぱりモナコのような声で歌いたいのよ。ああいう声になりたいのよ。だから理屈では「あれは自分には無理」と分かっていても、心に油断が生じると、ついあの声を目指して発声してしまうのが私なのです。
 だから私はダメなんだよね。

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コメント

  1. 如月青 より:

    〉私はモナコではない
    分かります。分かります。
    私にとって永遠の憧れはグルベローヴァですが、夜の女王、は一生ムリです。
    軽やかな声が好きなのに、レッスンでは身構えるのか準備不足なのか、いつも重めに発声してしまい、高音ギアチェンジで引っ掛かる。
    せめて見習いたいのは、普通は寿命が短いといわれる声質でも、亡くなる寸前まで演奏を諦めず、テクニックを衰えさせなかった音楽への姿勢かな、と。
    「忘れられた音楽」いいですよね。我々の発表会では、ベテランの方々の定番のようで、今回は先生が歌われていました。いつかはやってみたいものです。

  2. すとん より:

    如月青さん
     憧れの歌手のように歌いたいというのは、ファンとして当然の心理ですが、現実は悲しいことに、多くの人にとって、とてもとても憧れの歌手のようには歌えないわけです。まあ、簡単に真似できるような歌手が多くの人の憧れの的になれるわけもないのですが…。
     それにしても、モナコはいい声でしょう。同性でありながら彼の歌を聴くと、胸がキュンとしてしまいます。ほんと、いい声。こういう声で歌えたら、本当に最高です。
     ガスタルトンのこの曲、いかにもイタリアぽくて、本当に良い曲ですね。多くのテノールが歌いますが、やはり詩を考えると明らかに女性の歌なんですよね。あちらの人にとって、この曲って、どんな感じに聞こえるのでしょうね。例えば我々で言うなら、演歌によく見られますが、女性主人公の歌を男性(それも低音)で歌うような、性の倒錯を感じさせるような色っぽい感じに聞こえるのでしょうか?

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