…って、キング先生に言われました(笑)。まあ、ドイツ歌曲(つまりリートね)には、あまり触手が動かないので「まあ、いいか」って思っちゃいましたが(大笑)。
事の発端は、まだヴェルディの「Il Poveretto」を勉強してい頃、先生がヴェルディの歌曲集の譜面の代わりに、シューマンの歌曲集を持ってきちゃったんですよ。で、シューマンの歌曲集を見ながら「シューマンなら、すとんさんでも、なんとか歌えるかな~」って言うのです。
「でもシューマンは地味ですからね」と私は答えたと思います。「そう思う人だから、すとんさんはドイツ歌曲には向かない思うんだよね」と、先生が苦笑しながら答えました。
ドイツ歌曲。それは心のうちに情熱を秘め、それを静かに淡々と燃やして歌うものなのだそうです。
そういう地味な曲は……私には無理だねえ。私は、心のうちの情熱は、大声で叫びたい人だもん。叫びまくって、エネルギーを発散して、なおかつ、世界中の人の注目を浴びたい人だもん。燃やすなら「心のうちに淡々と…」ではなく「お山に火をつけて大文字焼き!」の方が絶対に好き。情熱を心の中に秘めたままだと、きっと情熱が炉心融解を起こして焼け死んでしまいそう…。
そういう気質の人は、イタリアものを歌っているのが良いのだそうです。決して、リートに近寄ってはいけないのだそうです。…私もそう思います(笑)。
いいよねえ、イタリアもの。特にオペラアリアは、歌うには、とても難しいけれど、歌い甲斐がありそうだし、歌曲だって、今やっているトスティなんて大好きだし、ベッリーニやドニゼッティだって捨てがたいわけよ。
だってサ、イタリアものって、最後の最後は、高い声で叫べば、拍手万雷だよ。いいよね~。いかにも「歌い切りましたー!」って感じがいいじゃない。
そりゃあ、ドイツ歌曲にも名曲はウジャウジャあるけれど、私の人生の残り時間を考えると、イタリアものと格闘しているうちに終焉を迎えそうだし。だから、あまり気を散らさずに、イタリア命! でいけばいいかなって思います。
先生から「それでも、ドイツものを歌うとしたら、何がいい?」って尋ねられたので「うう~ん、ワーグナーかな? マーラーもいいかもねえ…」と言ったら、妙に納得されました。「だから、シューマンはいいかなって思うんだよね」とポツリ。どうやら私がどうしてもドイツ系の歌を歌わないといけないのならば、ワーグナーとかマーラーとかシューマンとかの、ちょっと“アッチの世界”っぽい人の方がいいみたいです。
「シューベルトの超有名曲も歌いたい!」って言ったら、即時、却下でした(汗)。「え? なぜ??」と聞いたら「すとんさんにはシューベルトは無理。ノド壊すから止めた方がいい」って言われちゃいました。確かに、シューベルトって、アッチじゃなくてコッチの人だもんなあ。
無理って言われると、悔しいけれど、別にそんなに歌いたいわけじゃないから「まあいいか」と納得しました。そういう話です。
しかし、ドイツものが無理なんだから、フランスものは、もっと無理なような気がします。
コメント
先日高齢者施設でボランティア演奏してきました。
歌ってきたのが「曼殊沙華」(山田耕筰)と「帰れソレントへ」。
(他のプログラムをはさんでばらばらに歌っています。)
「帰れソレントへ」は日本語ヴァージョンです。
最後を楽譜どおりでなく高くして終わらせたら受けましたが、日本語なので変な感じでした。(笑)
シューベルト、喉壊すのですか。(超有名曲「魔王」ならわかる気が・・・)
私はシューベルトはドイツリートの最初にやったので、イタリア古典歌曲同様どこかで入門用という感覚があります。(けしてそうですはないのですが。)
ドイツリート始めたばかりの頃は歌いにくかったですね。
やはりイタリア語の歌は歌いやすいのだなあと実感しました。
>Ceciliaさん
私がドイツ歌曲を歌うと、なぜノドを壊すのかは理由を聞き損ねましたが、おそらくは曲がどうのこうのと言うのではなく、私の気質的な問題なんだろうと思います。淡々と燃える曲なのに、無理やりにギラギラにして歌おうとして、喉に負担がかかって…って事じゃないかなって推測しますが、実際はどうなんでしょ?
>最後を楽譜どおりでなく高くして終わらせたら受けましたが、日本語なので変な感じでした。(笑)
分かる(笑)。同じ曲でも、日本語にしちゃうと、なんか地味に仕上げないとおかしいような気がします。と言うか、日本語だと、極端な高音/低音、激しい跳躍音が似合わないような気がします。なんか、そういう極端なところに行くと、日本語らしさが薄くなるような気がします。日本語も派手にバーって感じじゃなくて、やはり「情念は心のうちで秘かに燃やして…」って感じなのかもしれませんね。
>先日高齢者施設でボランティア演奏してきました。
いいなあ、うらやましいなあ。私もボランティア演奏で腕前を披露してみたいですが、披露できるようになる前に、披露される側に廻りそうです(笑)。いやあ、月日が流れるのは早いけれど、遅々として腕前はあがりませんからね。
シューベルトの「糸を紡ぐグレートヒェン」は、イタリア語の歌詞でヴェルディが
作曲してますが(“Per duta ho la pace”)、その違いは、あまりにも大きく、
同じ歌詞とは思えない位です。
私は、どっちも好きなんですけど。
イタリア語は、喉オープンでどの役も同じ歌い方でOKだけど、ドイツ歌曲は、
色々な声と内的な表現が要求され、オペラ式に歌うと、「キッチ!」とか「下品!」と
ボロクソに言われるんです。
(「魔王」なんかは、4人の登場人物の歌い分けなんかが要りますよね。)
私の居るオランダは、リートとオラトリオが強い国なので、それらを
オペラ式に歌うと、みんなそっぽを向きますよ。
難しいもんです。
シューベルトは細く高く、どこまでも天国に近づく音で、悲しくなればなるほと明るい響きが要求される作曲家だと某リート歌手さんがインタヴューで答えていたことがありました。
細く高く明るく、がすとんさんが喉壊しちゃう要因かな?なんて思って読んでました。
でもリート歌えないとワーグナーなんてうたえませんよ?
ってかうすっぺらいワーグナーになっちゃう(笑)だから先生もワーグナーやマーラーをいずれ歌うためのシューマンだったのじゃないかしら?
魔笛だってドイツ語だし、ちょっとずつでもドイツ語に触れてもらえたら嬉しいなぁとリートを愛するみるては思うのでした。
>おぷーさん
>それらをオペラ式に歌うと、みんなそっぽを向きますよ。
オラトリオに限らず、やはり普通の歌をオペラ式に歌うのって、大袈裟すぎるって思われるんでしょうね。
私は普通にジャズとかJ-POPとかを歌っていても、よく「なんかクラシックっぽい」「くどい!」「濃いなあ~」「やりすぎ…」って言われます。私自身は普通のつもりなんでしょうが、どうもそうでもないみたいです。あ、「下品な歌い方するな!」と言われた事もあります(汗)。
今度「合唱の集い」で歌う「木綿のハンカチーフ」も、散々「普通に歌って」「必要以上に盛り上げなくていいから」「そこは切々と…」と言われ続けております。いや、別に大袈裟にしているつもりは全くないのですよ。ただ「私なら、こう表現したい」ってだけの話で、私の魂の応じるままに歌うと、ちょっとばかし不評なんです。
たぶん歌い方というよりも、私の生き方そのものが、オペラチックというか、ミュージカルっぽいのかもしれません。つまり「過剰」「派手」「増量」「エネルギッシュ」って方向の生き方なのかもしれません。もちろん、そういうのは、私のほんの一面でしかないのですが、確実にそういう側面を持ち合わせています。だって、私の今までの人生を振り返ってみても、やっぱり過剰で享楽的な生き方をしているなあと思いますもの。
だから、能天気なイタリア音楽は合うのだけれど、思索的で哲学的なドイツ音楽は合わないんだろうと思ってます。
たぶん、私がそちらで歌ったら、皆さんからソッポ向かれるでしょう(笑)。
>みるてさん
>細く高く明るく、がすとんさんが喉壊しちゃう要因かな?なんて思って読んでました。
…かもしれませんね。少なくとも、今の私の方向性だと「細く高く明るく」は、なかなか厳しいです。まあ「高く」はテノールですから、頑張っていきますが、「細く」とか「明るく」は、かなり難しいですね。さらにいうと「軽く」って言われたら、お手上げです。
天国系の音楽は、私の声には合わないんですよ。私は地に足のついた世俗くさい音楽の方が声質的にあっている思ってます。だから、教会音楽ではなく劇場の音楽向きだろうと思います。聞く分には、教会音楽は大好きなんですが、とても歌えるとは思ってません。
>だから先生もワーグナーやマーラーをいずれ歌うためのシューマンだったのじゃないかしら?
キング先生は深慮遠謀な方ですし、常に数年先を考えて指導をしてくださっていますので、そういう事も無きにしもあらずです。…しかしやっぱり、シューマンは地味だと思う(笑)。
>魔笛だってドイツ語だし、
そうなんですよ。まあ、ドイツ語の歌としては、第九で経験済みですが「魔笛」はぜひ歌いたいですねえ。タミーノのアリアはいいですね。でも、私に歌えるとは…ちょっと思いません。でもね、遠い将来、ウチの歌劇団で「魔笛」や「フィガロ」をやりたいって思ってます。だから、そのためにも、ドイツ語の歌も歌っておかないといけないけれど、現実問題として「魔笛」はいつの話になるのか、見当もつきません。
きゃー!残念です。最近ドイツリートばっか聞いてますよん。
だって、イタリア歌曲は疲れるんです、ずっと聞いてると。。。
最近になってやっとドイツリートの良さが分かってきました。
勤め先でもパソコンに落としたドイツリートをイヤホンで聞いてるぐらい本当に好きですよ。
しかーも、2月の発表会では何とかシューマンの「献呈」を歌いたいと勝手に取り組み始めたところだし。
(先生は、私にはちと低いのではと申しておりました。)
さらにR・シュトラウスのツェツィーリエも歌いたいと言ったところ、
無理!あれはピアノ合わせが難しいから間に合わないと速攻却下されちゃいました。
そう言われるとね。根が天の邪鬼なので。。。絶対いつか歌うぜっ!と固く心に誓っております。
あ、ただ、歌うことに関してはやっぱイタリア語の歌いやすさに勝るものはありませんね。
これは激しく同意します。(^O^)
横ですけど、ミルテさんはミルテの花からですね♡
>BEEさん
おお、シューマンの「献呈」は私も好きな曲です。そうか、そう言えば、これはシューマンでしたね。これなら、私も歌ってみたい。
>だって、イタリア歌曲は疲れるんです、ずっと聞いてると。。。
いやあ、分かりますよ。でも、そこがいいんじゃないですか。歌えば歌い切り感があって、聞けば心地よい疲労感がある。そういう無駄にエネルギーを消費するところにイタリヤ~ンな良さがあるんですよ。オペラなんか、一本いけば、もうヘトヘトになります。そういう過剰なところが、イタリヤ~ンなんですよ。
>最近になってやっとドイツリートの良さが分かってきました。
これがイマイチよく分からない私です。年は取っていても、精神はまだまだオコチャマだから、ドイツリートの深みが理解できない…と言われても仕方ないけれど、よく分かってません。だから、シューマンを捕まえて「地味!」って言い切っちゃうんだろうな。
>あ、ただ、歌うことに関してはやっぱイタリア語の歌いやすさに勝るものはありませんね。
そうですね。歌なら、メロディなら、イタリアでしょう。しかし、詩であるとか、表現とかにこだわるなら、ドイツリートの方に一日の長があるのかもしれません。
きっと、ドイツリートって、楽しめる方には、私が“地味”と感じているものが“渋さ”として感じられているのだろうなあ…。
あ、なんかちょっとした誤解が?
>歌なら、メロディなら、イタリアでしょう。
半分は同意しますが、半分はうーーーーん。
実は私がドイツリートに嵌り込んだのはひとえにメロディの美しさですよん。
そもそも単純な人間ですから、私、詩とか表現力とか限りなく0です。(^^;)
今、何を思って歌ってました?って前の先生にはよく突っ込まれてました。
パバロッティになってましたとか、頓珍漢なこと答えてました。
おぽぽ。(^o^)
まぁ、メロディというのは各人の好みの問題だろうと思いますけどねぇ。
そうそう、ピアノ伴奏の凝った曲が多いのもドイツリートかも。
>BEEさん
ありゃ、意見の相違でしたか。まあ、仕方ないです。でも、私もドイツリートの美しさは認めてるには、やぶさかではないんですよ。ただ、私がどうにも受け入れがたいと思っているのは、曲調が地味なところ。具体的に言えば「どうして、曲の最後で盛り上がって、歌い切らないんだー!」って事。
曲の最後はフォルテで高音を高らかに歌わないと!
「そんな、いちいち派手に、ワンパターンに終わったら、つまらないだろう」と言われるのは覚悟してますが、その最後の“見えを切る”のがいいんです。
…って事を書いているようじゃあ、ドイツリートは歌えないっすね(笑)。
>パバロッティになってましたとか、頓珍漢なこと答えてました。
私は時々、心の中に住んでいる、小さなデル・モナコ君が顔を出しますよ(笑)。
>そうそう、ピアノ伴奏の凝った曲が多いのもドイツリートかも。
うん、それは認めます。ドイツリートのピアノは、もはや伴奏の域を越えているものもたくさんあります。その分、ピアノ合わせとかで苦労しそう。そういう意味でも、まだまだ私にはドイツリートは手に負えなさそう…。