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すべての歌は“演歌”である

 発声練習も終わり、歌のお稽古に入りました。

 今回は、ここに書き切れないほど、細かく、単語の一つ一つにこだわったレッスンでした。フレーズごとに歌い、そこで使われている言葉の意味を尋ねられ、その歌い方でその言葉の意味を伝えきれているかどうかの確認作業でした。もちろん、ダメの総受け状態でした(汗)。とにかく、歌いながらも、きちんとしゃべる事を求められました。

 「ただ、何となく歌う」のは、禁止です。単語の一つ一つに意味を込めて歌わないとだめです。そのためにも、まずは単語を何となく発音しないこと。一語一語、きちんとしっかりと発音し、聞いている人にも、何をしゃべっているのが、きちんと分かるように活舌良く歌うこと。

 発表会のチラシには、次のような文面が載ってます。『…(今回の発表会)は「歌曲」中心に、「言葉の意味」にこだわってみました。外国語でも感情を伝えることができたらと思います。…』 感情の伝達を第一に考えて歌いなさいとのことです。

 それが実に難しい。感情を込めて(私なりに)芝居がかって歌うと、途端にリズムや音程や発声がおろそかになります。リズムとか音程とか発声とかに気を使うと、歌から心が抜けてしまいます。どうもテクニックとハートの両立が、とても難しい私みたいです。ああ、ダメですね。

 テクニック的に十分に満たしながらも、きちんと心を込めて歌う。確かに歌う曲は、イタリア近代歌曲だけど、演歌のつもりで、きちんと演じながら歌わないと…。いや、ほんと、演歌歌手を(歌唱方法はともかく、歌に対する態度は)大いに見習わないと。いやいや、芝居っ気が足りなくて、申し訳ないです。

 一通りのダメ出しが終わったところで、お教室の前に出て歌いました。グループレッスンの時によくやったアレです。個人レッスンとは言え、前に出て歌うと、妻が観客になります。グループレッスンの時は、お教室のお姉様方の前で歌っていましたが、それと妻の前で歌うのは、実に大違いですね。いやあ、身内って恥ずかしい物です。私、軽く、パニくりました。

 パニくって、発声を失敗しました。何をしたかと言うと、そば鳴りな声で歌ってしまったよ。いやあ、大失敗。これ、舞台だと致命的な失敗なんだよね。そば鳴りを予防するのは、実は簡単なことなんだけれど、その簡単なことすら忘れてしまうのだから、私のパニックの様子が手にとるように分かるでしょ。全く、小心者なんだから。

 本番では、ちゃんと、遠鳴りのする声で歌わないとダメダメです。はあ~、大丈夫かな私。この、声のそば鳴りも不安だし、音程がぶら下がるも不安。あと、きっと呼吸も浅くなって、へんなところでブレスをしたり、息が足りなくなったりするんだよね。あれあれ、なんか本番を間近に控えて、ナーバスになっているの? この私が?? 

 ははは、大丈夫かな?

 最後に宿題が出ました。それは“この歌の主人公はどんな人ですか? また、amato ben と歌われている人は、どんな人でしょうか? 彼らのプロフィールを考えて、紙に書いて、次回のレッスンの時に先生に“提出”だって。あらあら、何となくは考えていたけれど、紙に書くほど、具体的には考えていなかったよ。困りました。どうしましょう。

 ううむ、ぱっと思い浮かぶのは、老々看護の御夫婦。長年、妻を介護して、その妻を看取ったばかりのお爺さん。もちろん、お爺さんは、未来のイタリア・ヴェネチアーノ君です…って、分かんないだろうなあ。

 妻って、誰だろ? ハンガリーちゃん? まさか女装したドイツ君? 全然分からない人は、ここを見ると分かるかも。

コメント

  1. たかさん より:

    歌の魅力は言葉がついていることだと思います。だから曲想もつかみやすいとは思うんですが、外国語になるとまた別の難しさが…。

     キング先生のレッスンは、かなり本格的で、要求されるレベルも高いですね。私も歌う時の音程には自信がないなあ。もちろん本格的な声は出せませんし…。

     すとんさんが歌をなさっていることが、フルートに良い影響を与えていると思います。(もちろんその逆も)先日の「亡き王女の~」の演奏の冒頭部分なんか特にそうでしたが、この音楽をこうやりたいというのが伝わってきましたもの。

     技術はいずれものにできると思いますが、歌心をものにするのは至難の技だと思います。

  2. Cecilia より:

    ははは~!
    私わかってしまいましたよ~!
    娘たちの「ヘタリア」好きもかなりのものになっていて、いろいろとグッズが増えています。

    最近歌謡曲(主に懐かしい演歌)を歌ったり弾いたりする必要性があっていろいろやっているのですが、演歌は馬鹿にできないし、歌手の方もうまいなあ・・・と思っています。
    まあ好きになれない人もいますけれど・・・。
    イタリアオペラはもろ演歌の世界・・・が多いですよね!

  3. すとん より:

    >たかさん

     声楽とフルートを同時に習っていることで、それ単独で勉強しているよりも深い何かを学んでいるだろうことは、日々ヒシヒシと感じています。ありがたいことです。

     もっとも、これは声楽とフルートに限らず、フルートをやりながら、例えばピアノをやってみたり、サックスをやってみたり、指揮をやってみたり、でも同じこと。いや、フルートをやりながら、油絵を習ったり、バレエを習ったり、演劇の勉強をしたり、でも同じことかもしれません。

     要は、人生のあらゆる面で学習体験したことを、自分の中でどう有機的につなげていくかなんだろうと思います。そういう面に関しては、オジサンと言うのは老獪ですから、お上手なだけなんだろうと思います。

    >技術はいずれものにできると思いますが、歌心をものにするのは至難の技だと思います

     私に歌心があるかどうかは横に置いて(笑)、これは(初級の)器楽演奏者にとっての永遠の課題なんだろうと思います。特に「私は歌が苦手だから…」という理由で楽器をやっている人(たくさんいるでしょうね)にとっては、高い壁なんだろうと思います。そういう点で声楽を学んでいるのは、とても有利なことなんだろうと思ってます。

  4. すとん より:

    >Ceciliaさん

     おわかりですか、私は単行本を揃え、毎週アニメも見ています(爆)。

     私もご多分に洩れず、若い頃は演歌を馬鹿にしていましたが、大人になった今では「演歌の中にも良いものはたくさんある」と思うようになりました。今だに受け付けられない、歌手や楽曲もないわけではないですがね(笑)。

     演歌歌手の歌に思いいれる感情の起伏の激しさは見習うところがあるなあと思ってます。

     最近、確信に近く感じること。「イタリア人って大阪人と通じるところがあるんじゃないか」ってこと。もちろん、ハートの話ね。イタリアのことを学べば学ぶほど「これ、大阪人(関西一般ではありません)もそう考えるだろうなあ」と感じます。もっとも、私の中の、イメージの大阪人なんですが。

     あ、アモーレな部分は、イタリア人と大阪人ではかなり違いますがね。

     ああ、大阪人になりてーーーー、歌の時だけ。

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