声楽のレッスンでした。今月はちょっと変則的なので、前回から一週間ぶりのレッスンでした。
先生から「一週間歌わないで、平気でしたか?」と尋ねられました。もちろん強がって「平気です…だけど一日だけ発声練習をしました(汗)」と答えました。
練習禁止令が出て、一週間。まだ一週間です。先生からは、ほんの短い時間、喉を開けることに注意しながらの発声練習程度ならいいですと言われてますが、これはあくまで我慢できなくなった時の話で、基本的には、全面的に歌禁止なんです。ですから、なるべく歌わないようにしていました。
たったの一週間、練習しなかっただけで、効果はすぐに現れました。私の体から、本当に色々なものが抜けました。いやあ、声ってこんなに簡単に変わるんですね。
例えば音域。上の音の限界が先週までは五線の上のGがやっとやっとでしたが、今週はG#までは楽に出ていたそうです(Aはちょっと当たっていなかったそうです)。実は本人的にはそんな高いところを歌っているという自覚は全くありませんでした。なにしろ、音感なんてありませんからねえ…。なんか音を外しちゃったよ~と思っただけで、実はAまで行ってたんですねえ。練習を一週間休んで、音の上限が半音上がるなんて、うれしいです。
こんなわけで、練習禁止令は良い結果を出しているので、さらにもう二週間、練習しないことが決まりました。さあ、頑張らないように頑張るぞ。
しかし、たった一週間、練習をしないだけで、こんなに声が変わるというのは、ある意味、おそろしい事だと思いました。
今は悪い癖を抜くために練習していないのだけれど、これは当然、良い技術も同時にたくさん抜けているわけです。私の場合、抜けてしまった良い技術は、また後から植え直していくわけです。なにしろ、まだ声楽3年生で、学習途上なので、それも仕方のない話です。
しかし、目的もなく、単に練習をしないだけならば、悪い癖どころか、その人の持っている良い技術ばかりが抜けてしまうことになりますよね、そうでしょう?
「練習はまとめてするのではなく、毎日短時間でも良いからコツコツとしましょう」とか「練習を一日休むと、その分を取り戻すのに三日かかる」とか言うじゃないですか。私、これは単なる都市伝説だと思ってましたが、もしかすると、本当の話ではないかと、思い始めました。それくらい、練習をしない効果って、抜群ですよ。
レッスンそのものは、先週に引き続き、咽頭を広げ続けることに終始。とにかく、大変なんですよ、これ。咽頭を広げたまま、歌い続けるには、全身が、とりわけ下半身が疲れます。ヘソから下がヘトヘトになります。内股をしっかり絞っていると、高音に行くに従って、骨盤が倒れていくのが自分でも分かります。なるほど、高音を出すためには、こういうふうに体を使っていくのだなと、何となく目星が付いてきました。
下半身はヘトヘトになる一方で、上半身はまた違った意味でヘトヘトです。違った意味とは、力を入れない努力でヘトヘトになるわけです。
咽頭を広げ続けるためには、絶対にノドや肩や首やアゴに力が入ってはダメです。これらの箇所に力が加わった途端、咽頭は閉じます。ですからそれらの部分は脱力。脱力し続けるためには、息をしっかり支えないといけないわけです。と言うか、息の支えがしっかりしていないと、ノドとか肩とか首とかアゴとか、とにかく、ありとあらゆるところを使って声を支えようとするわけです。それが悪い結果をもたらしているのです。
脱力と書きましたが、これは文字通りの脱力とは違います。本当に脱力、つまり力をゼロにしてしまったら、歌うどころか、体そのものを支えることができません。ですから、歌うための最低限のパワーと言うのが必要です。そのパワーを仮に50ポイントとしましょう。今現在、50ポイントしかパワーを持っていない人が、その50ポイントを使って歌おうとするなら、当然フルパワーになってしまいます。フルパワーだから、体中のあっちこっちのパワーを総動員することになってしまうのです。これは脱力して歌うのとは、全然違うわけです。
では、脱力して歌うとはどういうことか。それは、歌うために必要な50ポイント以上のパワーを獲得した人だけができる事。例えばここに200ポイントのパワーの持ち主がいたとします。その人が200ポイントあるパワーの中から、ほんの50ポイントだけを使って歌うことが、実は脱力して歌うことなのです。そして、このような脱力状態で出された声が、無駄なく軽々と美しい聞こえるのです。そして、これがいわゆる声楽的な声なのです。
つまり、脱力して歌うためには、力を抜いて歌うことができなければいけないのだけれど、その前提条件として、その人の持っているパワーそのものの数値を上げていかないといけないのです。声楽的な声は、豊かなパワーの持ち主が、そのほんの一部の力を使って、軽々と出すことで生まれるのです。本当の脱力を目指すためには、しっかりしたパワーを身につけないといけないし、そうでなければ、本当の脱力は獲得できないわけです。
こりゃ、堂々巡りだな。でも、そういう理屈を超えたところに美は存在するのだ。
コメント
たまたまよい状態で吹けているときは吹き終えると下半身が疲れてますよね。
上半身は以前ほど肩や首が凝らなくなりました。再開して半年くらいまでは吹き終わると肩や首が凝りまくっていたのですが、今は肋骨の囲いの横面あたり??がいかにも緊張させていたんだなあという感じが残ります。(疲れているの一歩手前くらい(笑)。
生徒の頃はそんなこと殆ど感じなかったので、身体を使って吹いているんだなあと同時に年取ったなあとも思います。そりゃもう若くないし(笑)。
息だけのエネルギーでホールに届かせるんだからずいぶんな運動になってあたりまえだよねえ。そこまで本格的な音が出せなくても、身体が受け付けてくれるところまで精一杯出すわけだから当人にとってはずいぶんな運動なわけだ(笑)。
>お散歩さんぽさん
歌もフルートもおそらく、呼吸に関しては、大きな違いはないと思います。上手な呼吸が美しい音色につながるし、上手な呼吸って、深くて楽な呼吸になると思います。ただ、私達の日常生活の中で、深い呼吸なんて、体操の最後に行う深呼吸(あれだって、どれだふ深いかは甚だ疑問ですが 笑)くらいで、深い呼吸自体をする機会がないので、深く呼吸するのが大変なだけだと思ってます。そこで練習をして、深く呼吸ができるように訓練してゆくわけですね。
だから、本来上手な呼吸は楽な呼吸なので、体は疲れないはずないですが…お互い、まだまだ修行中ってわけですな。がんばってゆきましょう。でも肩こりがなくなったというのは、明らかに前進してますから、その調子で、ネ。
>息だけのエネルギーでホールに届かせるんだからずいぶんな運動になってあたりまえだよねえ。
私も以前は似たような事を考えていました。「声をホールに響かせるには、上手に息に載せて歌うのだ。そのために、息を遠くまで届くように上手にコントロールしないと…」
最近は、キング先生と色々と話す中で、この考え方はどうなのって思うようになってきました。というのも、少年ジェット(古~い)じゃあるまいし、ホールの隅々まで、息が届くわけないじゃんっていう事実があります。
それと息(や風)は空気が移動することだけど、音は音波であって、空気が移動するんじゃなくて、空気が振動するわけで、両者は似て非なるものではないかな?っとね。
そう考えると、息って、声(なら声帯)やフルート(なら管体)を振動させる(つまり“鳴らす”)エネルギーさえあれば十分じゃないかなって、思うようになってます。振動させて生まれた音エネルギーを遠くまで伝達するのは、それは“拡声”という作業になるので、これはこれでまた別の技術に属するのではないかと思います。
フルートに関して言えば、拡声の部分は主に楽器の側が行っているので、人ができることって、限られているのではないかと思います。楽器をしっかり鳴らすことができれば、後は楽器の性能次第じゃないかな。だから、プロとかアマチュアでも腕のいい人たちは、奏者としてできる事はやり尽くしている方々なので、良い楽器を求めていくのだと思います。
ま、これは私の個人的見解で、別に定説というわけではありませんので、間違っていたら、ごめんなさいね。
練習好きなすとんさんにしてみれば、とても大変な事とお察しいたします。
でも、よりよくするために頑張って我慢してください!
毎日少しずつの練習が出来ない大人って大変ですよね
いつになったら腕が上がるのやら(笑)
毎日コツコツ練習することで徐々に上達向かっていると信じていたので(一進一退は当然あるでしょうが)、
休んで悪い癖を抜くというのはちょっと驚きです。
いい音が出ない後に、数日間吹く時間がなく、その後に吹いた時に元に戻っていたという経験はありますが、
状態を取り戻すのに苦労するというのが普通ですね。
休んでいる間に抜けてしまういい技術と悪い癖のバランスなんですかね。
勝手に練習休む練習をするとボロボロになりそう…
脱力!
力を抜かなくっちゃと思っても抜けない…
力が抜けない吹き方になっているんでしょうね。
う~~~ん
>橘さん
はい、練習好きな(笑)私にとって、練習ができないというのは、実はかなり辛い事です。とは言え、歌えないけれど、やる事は案外山積みで…。明日はその辺の事を書きましょう。
>毎日少しずつの練習が出来ない大人って大変ですよね
それは大変だけど、私ならきっと、練習をしなくなった時点で辞めてしまうと思います。練習はしないけれど、辞める事もしない…、私はそういう人をりっぱだと思います。継続力のある心の持ち主だと思います。私もそんなタフな自分になりたいのですが、練習をしないと、ある意味不安で不安で、その不安さに耐えきれなくなって、何事も結局、辞めちゃうのよねえ。辞めたくなければ継続するしかないわけで…因果な性格なんです。
>テツさん
>毎日コツコツ練習することで徐々に上達向かっていると信じていたので
これは音楽でも器楽の人の発想ですね。声楽の人が毎日コツコツ練習したら、声を消耗してダメにしてしまいます。声楽の人は、賢く練習をするというか、抜け目なく練習をせずに済ますというか…。特に才能のある人ほど、最低限の事しかやりません。才能のない人は、才能のない分を練習でカバーしようとして、却って自分をダメにしてしまいます。
人の声って、無限にあるわけじゃないですよ。限界があるんです。それは一日に歌っていい量。一週間で歌っていい量。ワンシーズンで歌っていい量。一生涯で歌える量。訓練をして、多少伸ばす事は可能であっても、やはり限界があります。その限界をちょっとでも越えて歌うと、声を壊してしまいます。残りの歌人生を棒に振ってしまいます。そんなもんなんです。
よく声楽では「~してはいけない」という練習方法(?)があります。私に関して言えば、「練習をしてはいけない」が今回ですが、それ以前にも「五線の真ん中より高い音は出してはいけない」と言うのもありました。「発声練習は一日五分以内にすませなければいけない」というのもあったな。
私以外の人の話を聞くと「合唱をしてはいけない」とか「五線よりも低い音を出してはいけない」とか「大きな声で歌ってはいけない」とか「鼻唄以外の歌は歌ってはいけない」とか、様々です。あと「冷たいものを食べてはいけない」とか「午前中は歌ってはいけない」とか「毎日マスクをして生活をしなければいけない」という、練習なんだか生活習慣なんだか、よく分からない話も聞きます。
わけわかんないでしょう。でも、それぞれ一応、きちんとした理屈はあるにはあるんです。
結局、「目的をもってある事をしない」のは立派な練習なんですよ。「ヘタな練習をするくらいなら、練習を全くしない方がずっといい」というのは、声楽界の常識ですし、レッスン以外では練習をしない人ってたくさんいます。練習をしてヘタになる人って、器楽ではあまりいないようですが、声楽では実にたくさんいます。それくらい練習って、やり方が難しいし、影響力もあるわけです。
脱力は力を抜くと考えると難しいかもしれません。「力をいれるべきところに力を入れて、その他は楽にする」と考えた方が良いかもしれませんよ。最近の私は、歌うときもフルート吹く時も、内股に力を集めて、結果として上半身の力を抜くようにしてます。
普段お世辞にも練習できている・・・とは言えない私。
すとんさんのブログを読んで練習しなくちゃ・・・と焦っていましたが(笑)、昨日伴奏あわせをして案外大丈夫だったので安心しました。
・・・というのは普段は家で思いっきり発声できないため高音が不安だった(家ではどうしても萎縮してしまう)のですが、練習室では全く平気でしたし何度歌っても大丈夫だったからです。
一時間取りましたが、立て続けに歌うのは絶対無理なのでまともに歌ったのは30分もなかったと思いますが、これが楽器練習のためならもったいないので必死に練習したと思います。(笑)
これで良い師のもとでのレッスンを積み重ねることができたら・・・とは思いますが・・・。
やっぱり声楽の人の普段の練習は語学などに力を割くべきなのでしょうね。
あとは他の楽器で音楽的なものを磨く努力とか?
>Ceciliaさん
どうも私のような初心者が陥りやすいワナの一つのようです、練習って。練習はやるべきなんですが、下手な練習ならしない方がずっと良いという真理がなかなか飲み込めなくって(笑)。で、練習して、変な癖つけて、レッスンでその癖を取って…なんてくり返しなんだろうと思います。
よく言われる「歌うことは話すことの延長」であるなら、話さない日はないのですから、歌のための特別な練習なんていらないのかもしれません。なんて書きながら、練習禁止令が解かれたら、また、いそいそと練習し始める私だと思いますけれど(笑)。
>やっぱり声楽の人の普段の練習は語学などに力を割くべきなのでしょうね。あとは他の楽器で音楽的なものを磨く努力とか?
でしょうね…。なかなか進みませんが。だいたい、音楽(の演奏)を趣味とする人は、音を出すことが楽しいのですから、音を出さない練習って、苦役に感じません? 私は音を出さない練習がイヤでイヤで(爆)。