スポンサーリンク それでは今年も、冬休みに入ります その他 2022.01.02 それでは私もじっくりとお休みをしたいので、例年のように、ブログをしばらくお休みさせていただきます。お休み期間は、明日の2022年1月3日(月)~16日(日)までのつもりです。記事のアップは休みますが、ひとこと欄は更新するかもしれません。 再開は、2022年1月17日(月)を予定していますので、それまで皆さん、ごきげんよう。 ↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。 にほんブログ村
コメント
すとん様、(ブログの)冬休み、いかがお過ごしでしょうか?
じっくり、ごゆっくり、お休みください。
さてさて、本年もよろしくお願いします。
くどいですが「教科書ガイド」について、少し。
理想的な英語の、特に、英文解釈、英文読解の勉強法(仮称A案)
教材は、まず、教科書(英語ばっかりで書かれていて、日本語はゼロ)、
それに、英和辞典、和英辞典、文法の解説書、といったところでしょうか?
で、教科書を読んで、分からない単語は英和辞典を引き、
文法の分からないところは文法の解説書で調べ、
必要に応じて、和英辞典も引く。
多分、これが理想的な勉強方法なんでしょうけど、
最大の欠点は、色んな教材を読んだり引いたりするのが「面倒くさい」、
だから、多くの学生が、究極のZ案に陥ってしまう。
究極のZ案:教材はほったらかし、一切勉強しない。
上記A案とZ案の間に、多分、24通りくらいの勉強方法があって、
B案:教科書と英和辞典だけ。
C案:教科書と文法の解説書だけ。
D案:あれとこれ。
E案:これとそれ。
F案:それとあれ。等々。
M案あたりで、新たな教材が出てきて、それは「教科書ガイド」
私の場合、教科書ガイド「だけ」で勉強していて、
なにしろ、難しい単語の説明、類語の説明、文法の説明、等々が
教科書ガイド1冊の中に納められていて、
英和も和英も文法解説書も引く「面倒」なし。
「そんな勉強方法は邪道だ!」と多くの先生方に怒られそうで、
「理想的勉強方法のA案で行け!」と言われそうですが、
面倒なことはできないのが人間の弱いところ。
A案をやろうとして、結局Z案に陥ってしまうくらいなら、
M案の教科書ガイド「だけ」に徹して、テストでいい点が取れればいい。
「テストでいい点が取れればいい、ってもんじゃないだろ!」というご批判には、
「私はテストでいい点が取れりゃ、それでいいんですけど!」と回答したい。
いかがなものでしょうか?
事実を書いておきますと、私は「英語」に関しては、A案(理想的勉強方法)でして、
教科書ガイドに徹していたのは「数学」なのですが、
説明の便宜上「数学」ではなく「英語」を例にとって、上記を書きました。
数学については、また別の機会があれば、ということで、お許しください。
おしまい
オペラ座の怪人の怪人さん
勉強方法は人それぞれで、その人にとって一番効率の良い方法で学べば良いと思っている私です。ですから、教科書ガイドを用いた勉強が一番であるなら、それで学べば良いと思っていますが、私はかつて教科書ガイドを書いていた身なので「教科書ガイドをそんなに信用しちゃダメだよ」って思っているだけの話です。畢竟、どんな参考書であれ、問題集であれ、瑕疵があるのが当たり前ですから、全面的に信用しちゃダメよって話です。実際、私は受験勉強をしている時に使用していた大手出版社の問題集の解答解説に間違いを(確か)3つほど見つけてしまい、その度に出版社にお手紙を書いていたという経験もあります。
人の仕事なんて、そんなもんです。
ちなみに私の英文解釈の勉強方法は、ある任意の英文解釈の参考書を使って、そこに載っているすべての例文を、英文と和文を対にして丸暗記をするというやり方をしていました。英語を始めとする外国語は、所詮丸暗記しか無い…という思想の持ち主だったからなのですが、このやり方はなかなか良かったし、自分に合っていた勉強法だと思ってます。
>>>勉強方法は人それぞれで、その人にとって
>>>一番効率の良い方法で学べば良いと思っている私です。
まさにその通りで、A~Zまで、26通りくらいの勉強方法があり、
しかし、非常に多くの先生が、
「方法Aで勉強せよ、それが宿題だ!」とか、
「方法Fはダメ、禁止、やったら罰!」とか、言って、
ある方法(仮にA)を指定したり、
ある方法(仮にF)を否定したり。
子供の(あるいは、社会人なら部下の)適性をよくよく判断して、
その子、その部下に適した勉強方法を見つけ出して欲しいものです。
まあ、なかなか難しいのですが。
( ̄▽ ̄;) ( ̄~ ̄;) ( ̄□ ̄;)!!
(-A-) (-A-) (-A-) ← ざっくぅ
おしまい
オペラ座の怪人の怪人さん
おそらく問題の根源にあるのは、人はどうやって学んだら良いのかという方法論について、あまりに知らなすぎるし、それを教えられる人も少ないという事にあるんだと思います。
「名選手、必ずしも名監督にあらず」という言葉がありますが、学校の先生の多くは、学生時代は勉強が得意で、ある意味“名選手”だったのかもしれませんが、だからと言って、それで良い教師になれるわけではなく、かなり的はずれな指導が施されているのが現状とも言えますし、文科省が打ち出す教育方針だって、いかがなものだろうと思うような事ばかりです。ましてや、社会に出てからの実務教育ともなれば、教える側の資質などは期待できなくて当然でしょう。
結局「栴檀は双葉より芳し」ではありませんが、勉強のできる人は、誰に教わる事なくいつの間にか効率的な勉強法を身に着け、勉強のできない人は、いつまで経っても効率的な勉強法を知ることなく、学びの期間を終えてしまうのだろうと思います。
そういう意味では、学生時代に、知識の習得ではなく、知識の習得方法を学ぶ事ができるのが理想なのでしょうが、今の日本の教育では、それはあくまでも理想でしかないのが、悲しい現状なのでしょう。