今年は、私自身、大腸関係の病気になって声楽発表会への参加を断念しました。妻も大病を患ってしまったので、今年は夫婦ともに発表会に不参加(打ち上げだけには参加)という事になり、少々寂しさを感じていました。
そこでふと思い出したのは、地元の第九演奏会です。例年、声楽発表会と第九演奏会の準備が微妙に重なるため、両方に参加するのが難しくて、ついつい発表会優先にしていたのですが、発表会参加を断念した今、第九演奏会なら、ステージに上がるのは、年末で体調は回復しているし、合唱なので、独唱ほど自分を追い込まなくて済むので、リハビリがてらの参加にちょうどよいのではないかと思ったので、今年は第九演奏会に参加してもいいかなって考えた次第です。
で(思いついた頃は、団員募集の締め切り前だったので)さっそく募集要項等を取り寄せて参加を検討したところ、気になる条項を見つけてしまいました。
それは、第九演奏会に参加するにあたり「マスクの着用は個人の主体的な選択を尊重し、個人の判断が基本となりましたが、感染拡大防止対策の高価をより高めるため、合唱練習時は『不織布マスク』のご着用をお願いいたします」と「本番時のマスク着用に関しましては感染状況を考慮して判断いたします」の2つの条項です。
つまり…“練習でのマスク着用の義務化”と“本番時のマスク着用”ですよ。
うわっ、こんなところに“マスク警察”がいた!
不織布マスクなんて着用したら、思いっきり歌えるわけないじゃん。これ、思想信条とか公衆衛生とかを飛び越えた事実だよ。
歌っている時に、普通にブレスをしたら、マスクなんて一発でクチに張り付くし、下手したらクチの中に収まっちゃって、声が出せなくなっちゃうよ。
もし、マスクしたままでも普通にブレスができるんだと言うなら、それ、プレスのやり方として間違っているよ。
だから、コロナの時に不織布マスクではなく“合唱用マスク”なんてのが開発されたわけよ、どれだけ使用した人がいたかは知らないけれど…マスクと歌は両立できないのが常識でしょ?
「大勢人がいるところで、マスク無しなんて怖くてたまらない」と感じる人の事は尊重すべきだし、そういう人がマスクをしたまま歌っても、それは許容すべき事でしょう。おそらく、そういう人は、人が集まっている現場が恐ろしくて恐ろしくて仕方がないのです。だったら合唱なんて止めちまえ…という乱暴な意見もあるでしょうが、そんな怖がりさんでも受け入れようという寛容な心があっても、いいかな?と私は思います。それに、マスクがあろうがなかろうが、マスクを付けていても普通に歌えるという人は、たいした声は出していない人だから、今更マスクの有無を言っても意味ないですしね。
問題は“歌唱時のマスク着用の義務化”だね。つまりこれは、普通に第九を歌える人たち(合唱の基礎能力のある人たち)を排除する…って事になります。残念です。コロナで国中がパニックになっていた時代の時ならともかく、今更…ねえ。
まあ詰まる所「マスク着用がイヤなら余所に行ってくれ」って事なわけです。
うむ、イヤだから参加しない。これで良いのでしょう。
もう一つ言うなら、本番にも行かない。チケットも買わない。コロナ時に、日本中でマスク着用の合唱を聞かされたけれど、たかが紙一枚のマスクであっても、マスク着用したまま歌唱は、聞くに耐えないものだからね。歌っている人たちが苦しそうだし、声も全然出ていないし、そもぞも見栄えが悪いし、チケットの値段にふさわしい演奏になっていないし…。あれはほんと、悪夢だったと思っています。
あんな時代が過ぎ去って、コロナも普通に病気扱いになって、ほんと良かったよ。
マスクなんて、TPOや個人の事情に合わせて、したりしなかったりすればいいわけだし、歌唱の邪魔にしかならないマクス着用を、ルールとして義務付けるのなんて、絶対おかしい…と私は考えます。
マスク警察によるマスク着用義務化は、戦時中のスローガンである「欲しがりません勝つまでは」とか「進め一億火の玉だ」と、何ら変わらない匿名集団による精神支配であるという事に気づかないものなのかな? 日本人って、こういう同調圧力に簡単に屈するし、一度曲げると、簡単に戻らないんだよね。
第九ぐらい、自由に気楽に歌いたいよ、それがベートーヴェンの心意気に通じるだろうに。
マスク着用義務化については、改めてご検討いただき、来年からは個人の自由に任せた方が良いと思います。もちろん、本番での着用も同様ね。着用したい人はすればいいんです。でも、それを他人に強制してはいけないのです。
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