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メトのライブビューイングで以前見た「アイーダ」とは別の演出のモノを見てきました

 またもや、アンコール上映で、メトのライブビューイングの「アイーダ」を見てきました。今回見たのは、2018年上演版です。つまり、昨年のバージョンですね。メトでは何度も異なるキャスティングで「アイーダ」をライブビューイングしていますので、上演年の確認は大切です。
 で、私が見た上演のスタッフはこんな感じでした。
指揮:ニコラ・ルイゾッティ
演出:ソニヤ・フリゼル
アイーダ:アンナ・ネトレプコ(ソプラノ)
アムネリス:アニータ・ラチヴェリシュヴィリ(メゾソプラノ)
ラダメス:アレクサンドルス・アントネンコ(テノール)
アモナズロ:クイン・ケルシー(バリトン)
ラムフィス:ディミトリ・ベロセルスキー(バス)
 演出はメトの定番のフリゼル版ですから、特に文句はありません。安心して見ていられます。
 さて、今回の上演ですが、これのコメントって…難しいなあって思いました。すごく良いパフォーマンスであると同時に、かなり残念なパフォーマンスでもあって、お勧めしたい気分とお勧めするべきではないという理性が、私の中でせめぎ合っています。
 正直言うと、アイーダ役を歌っているネトレプコは、実に素晴らしいです。どれくらい素晴らしいのかと言うと、ネトレプコが嫌い&苦手で、彼女のパフォーマンスはすべからく下方修正しがちな私から見ても、手放しで絶賛できるくらいに、ネトレプコのアイーダは素晴らしいです。素晴らしすぎます。アイーダだけに着目するならば、この上演は誰にでもお勧めできるし、お勧めするべきだと思います。
 でもね、オペラって主役だけでやっているわけじゃないんだよ。ネトレプコがあまりに素晴らしすぎるために、他の共演者たちとのバランスが全然取れていないのよ。それで、舞台を見ていて、なんともむずかゆい気分になるんです。周りの歌手たちだって、決してヘボでもヘタでもないんだけれど、なんだろ…いわゆる“格下感”がプンプンに出ちゃうんです。
 例えば、アムネリスを歌ったメゾのラチヴェリシュヴィリは、昨今、メトで一押しの若手メゾで、多くの作品で主役を歌っていて、本来なら何の不足もない人なんでしょうが、ネトレプコの隣で歌うと、ちょっとばかり足りない…そこはかとない格下感が出ちゃうんです。ああ、残念。
 でも、まだアムネリスはマシな方です。ラダメスを歌ったテノールのアントネンコは、ちょっとどころではなく、かなりの格下感をダラダラと垂れ流しています。共演者というよりも、引き立て役って感じになっています。これはこれでアリなのかもしれませんが「アイーダ」というオペラは、プリマドンナ・オペラではないので、私的にはかなり残念です。
 唯一、アモナズロを歌ったバリトンのケルシーだけは、ネトレプコと対等に丁々発止しておりました。ですから、第三幕の二人の二重唱は、なかなかの見どころでしたよ。
 合唱はいつもながら見事なものでしたが、オーケストラは若干ドライブ感が不足しているというか、音楽の推進力が足りない感じがしました。そのせいもあって、第二幕のバレエシーンでは、ダンサーの動きの切れが今ひとつに感じてしまいました。
 おそらく、ネトレプコがあまりに素晴らしくて、そのネトレプコの水準に、共演者たちやオーケストラが届いていないために、見ていて不足や格下感を感じてしまうのです。ネトレプコが大した事なければ、たぶん、バランスも取れて、これはこれで満足する上演になったのだろうと思います。だって、冷静に考えてみれば、共演者たちもオーケストラも、メトでなく、他所に持っていけば、上場の出来だろうと思うからです。
 これだけ主役ソプラノが素晴らしいと、返って罪作りだね、
 というわけで、オペラはプリマドンナだと思っている人にはお勧めな上演ですが、オペラは総合芸術だと思っている人にはお勧めできない上演だと、私は思いました。
 私の個人的願望を言えば、指揮を音楽監督のネゼ=セガンにして、アイーダはネトレプコのまま、アムネリスをザジック、ラダメスをカウフマンにしたものを、ぜひメトの舞台で見てみたいと思いました。

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