さて、LFJも二日目です。本日から本格参戦となります。意気込んで出発しようとしたら、外は大雨でした。うーむ、雨の中、傘をさして出かけると…会場で傘が荷物になってしまうわけで、さてどうしたものかと考え、天気予報とも相談した結果、見れるコンサートは減ってしまうけれど、出発を2時間ほど遅らせて、雨がやんでから家を出る事にしました。
2時間後に家を出たものの、途中色々と乗り継ぎが良かったせいか、現地到着時刻は当初予定の90分後になりました。途中で30分時間を稼いだわけです。そのおかけで、ダメ元で、マスタークラスの整理券を貰いに行ったら、まだあったので、本日の1番目はマスタークラスを見ることにしました。
ヴァイオリンのマスタークラス
先生は、ジュヌヴィエーヴ・ロランソー氏でした。名前だけでは分からないけれど、女性ヴァイオリニストでした。生徒さんが演奏してくれた曲は、ラヴェルの『ツィガーヌ』でした。
やはり昨日、目一杯活動した疲れが残っていて、マスタークラスの前半部分はたっぷり寝てしまった(ごめんなさい)のですが、レッスンの後半部から、私の心に残った事を書き連ねてみます。
「やりたい事があるのは分かるけれど、それができていない」 生徒さんがあれこれ苦心しているのを見たロランソー先生がおっしゃった言葉です。生徒さんの動きを見て、先生としては、その先(生徒がやろうとしている事)が読めたのでしょうが、生徒の方はそれができないわけです。先生はアドヴァイスとして「力を抜きなさい」「緊張を取り除きなさい」と言ってました。緊張して、カラダがこわばると、あっちこっちに力が入り、その結果、思うようにカラダが動かなくなるのだから、まずは脱力しなさいって言ってました。もっとも「それが出来る様になるには、まだ数ヶ月かかります」とも言ってました。これはテクニックの話ではなく、脱力の話ね。力を抜けと言われて、簡単に力を抜くことができるようになるまで、数ヶ月はかかる…つまり、それくらい脱力って難しい事なんですね。
「息をたっぷり吸って、たっぷり吐いて」 音楽とブレスは関係するのだそうです。ヴァイオリンは奏者が呼吸をしなくても演奏できる楽器ですが、それでも呼吸が浅いと、音楽が単調になるのだそうです。だから、たとえヴァイオリンであっても、息は深く吸って、しっかりと吐かないといけないのです。
「ヴァイオリンの表現や表情は弓で作ります」 弓の圧力は弱すぎても強すぎてもいけないのだそうです。弱ければ十分に鳴らないし、強ければ音の表現が飛んでいってしまいます。
「フレーズを切るごとにブレスをする」 歌や管楽器の人には自明の事ですが、弦楽器ても、フレーズとブレスは関係するのだそうです。
「音楽を演奏している時は、その音楽にふさわしいキャラになりましょう」 楽しい曲を演奏する時は楽しい人に、悲しい曲を演奏する時は悲しい人にならないといけないのだそうです。で、この曲の場合は、かなり神経質な人間にならないといけないのだそうです。つまり、曲を演奏するためには、まず自分がその音楽を体現するキャラになってしまえ…という事です。
「カラダを無駄に動かさない」 カラダを無駄に動かすと、様々な動作が不安定になり、音に影響が出る(さすがに私でも分かります)から、カラダは無駄に動かしてはいけないのです。
色々なアドヴァイスをしながら、時々、先生は生徒の楽器を借りて見本演奏をしました。その際、先生と生徒では演奏がまるっきり違い、先生の演奏は非常に表現力にあふれたモノだという事は良く分かりますが、楽器の音は、ほぼ一緒なんですね。つまりヴァイオリンの音は、奏者の違いではなく、楽器の違いによって生まれるわけです。そして、音楽は、音色の影響だってあるけれど、やはり表現の違い、つまりは奏者の違いが大きいなあとも思いました。
ピアノ連弾(伊賀あゆみ,山口雅敏:ピアノ)
次は、国際フォーラムの隣にある東京ビルTOKIAの1階で行われた無料コンサートを聞いてきました。
モシュコフスキー:火花
ファリャ(山口編):愛のワルツ
ファリャ(山口編):火祭りの踊り
ベートーヴェン(ラヴィーナ編):交響曲第9番より 第4楽章「歓喜の歌」
伊賀さんのピアノは2012年以来の4年ぶりです。以前も山口さんとピアノデュオだったのですが、その時は特にコメントがなかったのですが、このお二人、ご夫婦なんだそうです。他人事ながら、ビックリしてしまいました(だって、ちょっともご夫婦には見えないのだもの)。
このお二人のピアノ連弾にはポリシーがあるようで、余り耳慣れない曲、とりわけ世界初演とか日本初演とかご当地初演とかにこだわっているのだそうです。確かに、今回の演目も耳慣れない曲ですよね。
例によって、私はピアノは詳しくないので、よく分かりませんが、それでもモシュコフスキーやファリャに関しては、なんかすごかったです。
面白かったのは、ラヴィーナ編曲版の「歓喜の歌」です。ベートーヴェンの交響曲をピアノ連弾にしたモノって、数は少ないけれど、無いわけではないし、私も音源で何度か聞きましたが、このラヴィーナのモノはベートーヴェンと同時代に編曲されて出版されて、あっという間に絶版になってしまった、貴重な楽譜なのだそうです。
いやあ、ずっと絶版のまま埋もれさせておいて良かったんじゃないかな?
この編曲は、色々とダメな編曲だと思いました。と言うのも、オーケストラ部分をピアノに移すのに一生懸命で、合唱や独唱部分がうまく移植されていないのです。歌が入っている部分に関しては、歌がメロディーなのに、そのメロディー担当の合唱とか独唱がオーケストラ部分に埋もれるように編曲されていたり、オーケストラの動きが大変な箇所だと、ごっそり省略されていたり…、こりゃあダメだなって思いました。
これ、もしかしたら、歌や合唱の練習の際に使う、ピアノ伴奏譜なんじゃないかしら? 単独でコンサートにかけられるような編曲ではないんじゃないかしら?
もう二度と聞かなくてもいいや…と思いました。まるで、歌なしメロディー無しのカラオケ伴奏を聞いたような気分になりました。
もったいないなあ…、伊賀さんにしても山口さんにして、腕のいいピアニストなのに、こんなつまらない曲を演奏して。ほんと、もったいない。そう思いました。珍品と言うか、ゲテモノなので、一度は聞いてもいいかなって思いましたが、二度は結構です。ピアノとピアノの腕と演奏時間がもったいなあ…って思いました。
シューベルトの歌曲(コロンえりか:ソプラノ、広瀬悦子:ピアノ、吉田誠:クラリネット)
時間ギリギリに会場に飛び込みました。そういう事が可能なのは、有料コンサートで指定席だからです。
春に D882
野ばら D257
月に寄す(第2作)D296
ます D550
ナイチンゲールに寄す D497
恋人のそばに D162
若い尼僧 D828
夜のすみれ(はなだいこん)D752
ガニュメート D544
さすらい人の夜の歌 D768
岩上の羊飼 D965
で、会場に飛び込む時に見つけたのが、曲目変更のお知らせでした。ほぼ、全曲変更! 「え!」と思ったものの、会場入口で配布しているプログラムは訂正されているだろうとタカをくくったら、全く変更が反映していませんでした。つまり、開演直前に変更されたようでした。
プログラムの変更の仔細が分からずじまいのまま、本番を迎えてしまいました。それでもシューベルトに詳しい人なら、演奏を聞けば、どの曲を歌っているのかか分かるのでしょうが、私はそんなにシューベルトには詳しくないので(だってリートなんだもの)、ちょっと困ってしまいました。だって「野ばら」と「ます」ぐらいしか分からないもの。こんな事なら、予習してくるんだった…。
せっかく訳詞をいただいたのに…曲目変更では、困ってしまいました。リートって、詩の内容が分かっナンボじゃない? だから訳詞を見ながら歌を聞きたかったのに…。でもまあ、せっかくの有料公演だから、気持ちを切り替えて、歌詞の内容を分からないまま聞くことにしました。
いやあ、やっぱり、ドイツリートって、地味だ(涙)。良いメロディだとは思うけれど、地味だ。いつも、リートは歌詞と見比べながら聞くから気が付かなかったのかもしれないけれど、音楽だけ聞くと、やっぱり地味だ。ソプラノさんの歌声は、美しくて澄んだ感じで、いかにも歌曲向けの軽い声なんだけれど、歌っている音楽が地味だから、今ひとつパンチを感じられませんでした。
歌の意味が分からないと、ドイツリートって、こんなにつまらなく感じられてしまうんですね。ある意味、新鮮な感覚にビックリしています。
演奏が終わって、周囲のオバちゃんたちも「歌っているのと歌詞カードが全然違うじゃないの」と文句言ってましたが、この人達は、それ以前に曲目変更があったことを知らなかったようです。
曲目変更の件くらい、歌い出す前に、少しアナウンスをしてくれれば済むのに、それを怠った事で、またもLFJの評判が下がったんじゃないかって思いました。残念だな…。
で、遅めの昼食を食べようと、国際フォーラムを出たら、あっちこっちのお店がお休みでした。そうだね、丸の内ってオフィス街だって事を忘れてたよ。休日はたいていの食べ物屋さんがお休みになるんだね。で、あっちこっち歩いて、なんとか昼食を確保しました。なんだかんだ言って、毎年、昼食難民になってしまう私なのでした。
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