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LFJ2016 その6 音楽を演奏するって、不可能を可能にしていくオカルトなのかもしれません

 昼食を食べ終えて、予定していた次のコンサートに行きました。そのコンサートの演奏会場はとっても素晴らしかったのですが、演奏が…ねえ。事前に告知していた曲目を変更していたのです。まあ、曲目変更に関しては、本日二度目だし、まあそういう事もあるからねえ…って事になるので、それはまあいいのですが、音楽ジャンルが変わってしまうのは…いかがなものかな?

 一応、LFJですから、クラシックコンサートが前提であり、テーマも「ナチューレ(自然)」という縛りがあったはずですし、事前告知の曲目は、まあ、その縛りにかなった曲目でしたが、実際にそこで演奏された曲は、事前告知とは全く違ったJ-POPでしたし、ジャズっぽい…と言うよりも、BGMっぽいサウンドの曲が演奏されていました。ソロ楽器のコンサートでしたが、伴奏はカラオケで、ラジカセっぽい機械から音が出て、それをマイクで拾っていました。

 そういう音楽を聞きたい気分ではなかったので、ちょっぴりガッカリして、その場を去る事にしました。残念です。

 で、空いた時間が出来たので、周辺を散歩する事にして、三菱一号館美術館の併設の歴史資料室とデジタルギャラリーを見てきました。だって、無料だったんですもの。

 で、有意義に時間をつぶして、次のマスタークラスを見に行きました。

ピアノのマスタークラス

 先生は、私の大好きなフランク・ブラレイ先生。生徒さんはショパンの「舟歌」を演奏してくれました。

 実はこのクラス、フランス語の通訳の方が遅刻していたので、最初はブラレイ先生が英語を話して、それを司会の人が通訳するという方法で進められました。まあ、まもなく通訳の方が到着したので、ブラレイ先生も英語を止めて、フランス語で話しましたが…私的には、ブラレイ先生の言葉が直接分かる英語の方が良かったなあ、そのまま英語でマスタークラスを続けて欲しかったのですが、ブラレイ先生、フランス語に切り替えた途端、饒舌になっておりました。やっぱり、英語よりもフランス語の方が不自由がなかったみたいです。

 私、出入り口のドアのそばに座っていたのですが、始まってしばらくして、ルネ・マルタンがやって来て、マスタークラスを見学しようとしたようですが、あいにくの満員だったので、あきらめてすごすごと引き返していました。音楽ディレクターなのに、満員だと見れないんだな(笑)。

 さて、今回もマスタークラスで、私の心に残ったことを書き記していきます。

 クラスの初っ端に、ブラレイ先生が生徒さんに質問をしました。

 「私はショパンをレパートリーに入れていません。あなたは、誰のショパンが1番好きですか?」
 「サムソン・フランソワです」
 「サムソンは、ショパンを即興的に演奏しているように聞かせるけれど、そのためには、右手と左手が独立して動かせないといけません。片方がもう片方につられてはいけません」

 そう言って、ブラレイ先生が見本演奏をしてみました。すごく軽やかで、まるで音楽が波間で漂うかのような感じになりましたが、それを生徒さんが聞いて演奏しても、決してそうはならないのです。

 「右手と左手のルバートを揃えてはいけません。また右手と左手のアクセントも揃えてはいけません」

 そんな事を言っても、生徒さんが簡単にできるわけはありません。

 「では、私(ブラレイ先生)が左手を弾くから、君は右手を弾いてご覧なさい」と言って合わせたところ、すごく良い演奏となりました。

 「ピアノでは、右手と左手は別々の音楽家でないといけません。バレエで男性と女性がカップルになって踊るように、右手と左手は、独立して互いに支えながら演奏していかないといけないのです」

 すごく深い事を、実演をしながら、教えて下さいました。

 また、ブラレイ先生は、こんな事を言ってました。

 「ピアノはレガートもヴィブラートもできません。出来るような事を言う人もいますが、それはただのイマジネーションです。ピアノは打楽器なのです。だから、歌うように弾く事なんて物理的に不可能なのです」

 「ピアノの演奏にはイマジネーションが必要なのです。ピアノはレガートもヴィブラートも物理的に出来ません。しかし、ピアニストが強く念じて演奏すれば、レガートもヴィブラートも、客に“やっているように”聞かせる事ができるし“歌っているように”錯覚させる事もできます。そのように、出来ない事を、あたかも出来ているように思わせて弾くのが、ピアニストのイルージョンなのです」

 念ずれば、出来ない事も出来ているように聞かせられる…言っている事は、かなり無茶苦茶なんですが、その無茶苦茶を実演している人が言うと、無茶苦茶が無茶苦茶に感じられないのだから不思議です。

 ピアニストは、出来ない事をやってしまう、現代の魔術師でなければいけない…言っている事は本当にオカルトなんだけれど、ブラレイ先生は、そういうオカルトなピアニストなんだなあって思いました。

 で、私は、そんなブラレイ先生のオカルトっぽいところに、惹かれているのかもしれません。

 はあ…ブラレイ先生のマスタークラスを聞いて思った事は、やっぱりブラレイ先生のコンサートのチケットを買えば良かった。コンサートを聞きたかった!って事です。ほんと、うっかりしていたなあ…。

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コメント

  1. アデーレ より:

    ピアノって、コンサートやなんかで聴くのは、ほとんどが超上手い人ばかりですから、なんだかある程度の訓練である一定の水準にいけそうな気がしてしまいますが、たまにピアノ発表会とかいくと、当たり前にそんなにみんな上手じゃない、。で、また気持ちを新たにプロのをきくと、やっぱキラキラしてますよね。あと、声楽をやってる観点からすると、伴奏の上手い下手より歌いやすい人っていますよね、。ガンガン弾けばよいわけじゃなく、またあまり弱くても駄目。できたら私の場合、歌の下手さをカバーしつつ、かつリードもうしたてくれる伴奏者がよいピアニストかなぁ、と勝手は解釈で思ってみたりします。大舞台で活躍しているような素敵な声楽家には素敵な伴奏者が必ずいますよね、不思議と。伴奏者のセレクトをみてると、声楽家の人の好みが自ずとわかりますよね!!だから、この声楽家はこの伴奏者ね、ふむふむ、と思って観察しておりました(笑)

  2. すとん より:

    アデーレさん

     私はピアノってのは、演奏が超難しい楽器だと思ってます。それを巧みに弾きこなすピアニストさんは、常人ではなく超人だとすら思ってます。

     でも、多くの人は、おそらくピアノを習っている人ですから、ピアノがそれほどまでに演奏困難な楽器であるとは思っていないのではないかとすら感じています。ピアノを弾きこなすためには、もちろん膨大な努力が必要ですが、それ以前に音楽の神様に愛されていて、才能を豊かに与えられている事が前提にあるのではないかと思ってます。

     私が思う、伴奏ピアニストさんの条件として、まず第一に必要なのは「歌えること」だと思います。それも“ピアニストの歌”ではなく“声楽家の歌”が歌えること。「なんなら、あなた(歌手)の代わりに、私が歌っちゃうわよ」って言えるくらいに歌えることが、伴奏ピアニストさんの条件として必要だと思ってます。

     第二は、こだわりがない事。喜んで裏方に徹する事が出来る人。これ、案外、ピアニストさんには難しい事なんです。ピアニストという人種は、基本的に目立ちたがり屋でイケイケな人が多いですからね。自然体で歌や歌手に寄り添える人がいいですね。ですから、指揮者が案外、伴奏ピアニストとしては、有能なんですよ。

    >大舞台で活躍しているような素敵な声楽家には素敵な伴奏者が必ずいますよね

     身もふたもないですが、それだけ有能な伴奏者というのが希少な存在ですから、その希少な存在を、大歌手たちが独占している…というのが事実のようです。

     私は大歌手ではありませんが、やはり伴奏を頼む時は、いつも決まった方にお願いしています。と言うのも、有能な伴奏者って少ないですし、ピアノが弾ければ誰でもいい…ってわけではないからです。

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