先日、学校の音楽のセンセ方と話すチャンスがあったのですが、そこで出た話題の一つに「歌は、移動ドで教えないといけないのですよ」というのがありました。
なんでも、指導要領で、そう決まっているのだそうです。確かに小学校学習指導要領には、以下の様な記載があります。
第2章 各教科 第6節 音楽
第3 指導計画の作成と内容の取扱い
2.第2の内容の取扱いについては,次の事項に配慮するものとする。
(3) 歌唱の指導については,次のとおり取り扱うこと。
ア 相対的な音程感覚を育てるために,適宜,移動ド唱法を用いること。
うむ、確かに『歌は移動ド唱法で指導する』と書かれていますね。で、その目的は『相対音感の育成』ってわけだ。まあ、分からないでもないです。
でも問題は色々とあって、移動ドで教えるのは“歌”であって“器楽”に関しては、どうやらその限りではないそうなんです。いや、むしろ「違う」って言えるでしょうね。
学校で使う楽器で圧倒的にポピュラーなのは、リコーダー(縦笛)ですが、このリコーダー、入門段階ではソプラノリコーダーを、中級クラスになってくるとアルトリコーダーを使用します。
リコーダーはフルートと同族の管楽器であって、管楽器って楽器は、通常は移調楽器として扱われるものです。ザックリ言えば「トーンホールを全部塞いだ状態の音を(実音では何であれ)ドと記載する」というルールで本来は適応されるべき楽器なのです。
しかし、リコーダーの世界は違うのです。リコーダーは移調楽器ではなく、ピアノやオルガン、ハーモニカや鍵盤ハーモニカ、木琴及び鉄琴(これは学校で主に扱う楽器たちです)などと同じように、実音で教えます。ソプラノリコーダーはC管ですから、トーンホールを全部塞いだ状態が、たまたまドですから問題ありませんが、アルトリコーダーはF管です。トーンホールを全部塞いだ状態だとファが出ますので、これを“ファ”として楽譜に記載して教えます。移調楽器だから、たとえ“ファ”が出ても、すべてのトーンホールを塞いでいるのだから“ド”として楽譜に記載する…なんていう、管楽器界のルールには従いません。
学校では、楽器は常に実音で教え、移調した楽譜を使用しないのです。
なんか、矛盾を感じませんか? つまり、楽器を教える時は実音のまま固定ドで、歌の時は移調させて移動ドで教えるわけです。
さらに困った事に、最近の音楽のセンセたちは、絶対音感を持っている方々がほとんどで、相対的な音程感覚なんて、必要ないので持ち合わせていない方が多く、自分自身は常に実音で音楽に向き合っていたようで、センセ方自身、移動ドでは歌えない…なんて事があるらしいのです。センセ自身は、歌う時は固定ド唱法でなければ歌えないのに、授業の時は、生徒に対しては(頑張って)移動ド唱法を教えている…ってわけです。とてもやりづらいんだそうです。ですから、先生によっては「私はもっぱらリコーダー演奏と鑑賞を中心で授業を進め、歌は申し訳程度にしかやらないの」という人もいらっしゃいました。
ご自身が移動ド唱法が苦手であるなら、そんな事にあっても仕方ないかもしれませんね。あと、歌は楽器と違って“男子の変声”と言うのもありますから、女性が多い音楽教育界では、ついつい歌を避ける傾向が増えても仕方ないかなあ…なんて思うわけです。
ダブルスタンダードは学習者の混乱を招くのでやめたほうが良いと思いますが、この場合のダブルスタンダードには、歌には歌なりの、器楽には器楽なりの理由と意味があると思うので、やむないとも言えます。
それはさておき、移動ド唱法というのは、絶対音感のない普通の人が、普通の歌を、普通に歌うためには、良い方法だと思います。実際、移動ド唱法を訓練していくと、相対音感が身につくでしょうね。
まあ、移動ド唱法に問題があるとすると、調性によってドの位置が変わるので、それを常に意識し、どんな調性の楽譜でもしっかりと、その調のドレミで即座に読めるように訓練する必要がある事でしょう。
もちろん、途中で転調してしまう曲とか、現代曲に多い無調の曲などは、移動ド唱法では歌えませんので、そういう曲は最初からパスする必要がありますが、普通の曲は、ちゃんと調性があるし、途中で転調なんてしません。だいたい、普通の学校で音楽を学ぶ生徒のほとんどは音楽の道に進みません。あくまでも一般教養として音楽を学ぶわけですから、普通の曲が普通に歌えるようになる移動ド唱法で十分なのです。
問題があるとしたら、私のように、大人になって趣味で歌うとなった場合には、移動ド唱法では対応できないって事でしょうね。無調の曲は…さすがに私も歌いませんが、オペラアリアにせよ、歌曲にせよ、曲の途中で転調してしまう曲はかなりあります。だいたい、楽譜の中で臨時記号が使われている箇所があれば、その部分は大抵、転調していると思ってよいでしょう。また、長調と短調を行き来する曲だって数多くあります。そうなると、いくら歌であっても、移動ド唱法ではなく、固定ド唱法で行くしかなくなるわけです。でもね、固定ド唱法って、結局、絶対音感がないと厳しいわけで、私のように絶対音感のない趣味人の場合は、大きくつまずく原因となるわけです。
世の中、ままならないね。
コメント
こんにちは。
持ち歩くことができる楽器は絶対音感があったら便利なのでしょうね。
わたしはあんまり音感がないのでフルートの音程には苦戦します。。。
ピアノは絶対音感があると不便らしいので、ピアノの先生は相対音感が便利と言ってました。
ピアノによって調律が微妙に違ってくるから絶対音感だと辛いそうですよ。
ピアノと合わせることを考えて、逆に絶対音感が無くて良かったって思うことにするじゃダメですか?
私は相対音感が便利だから絶対音感無くていいやって思ってます。
もひもひさん
音感は、絶対であれ、相対であれ、持っていると便利でしょうね。ちなみに、私はほんの短期間、ヴァイオリンも習っていましたが、ヴァイオリンは絶対音感がないと、どうにもならない楽器ですし、ヴァイオリンを弾いていると、バシバシ音感は鋭くなる…感じがします。時間があって、ヴァイオリンを続けられたら、私の音感もすごぶる良くなっていたと思います。
私は絶対音感も持ち合わせていないし、相対音感もからっきしダメなんです。じゃあ、どうやっているのかと言うと『フレーズ丸ごと暗記』ですから、音感とは違っていて、全く応用が効かないんですね、残念です。
絶対であれ、相対であれ、音感があると便利でしょうね。まあ、私は“下手の横好き”として頑張ることにしています。
すとんさま
ヴァイオリンは絶対音感がないと辛そうですね。
ヴァイオリンを大人からやり始めても音感が身につきそうならいいなぁって思います。
フレーズを丸ごと暗記というのも凄いことだと思います。
私は暗譜もあまりできず全て雰囲気でしか覚えないから、ピアノの先生には勘で弾かないでと何度も注意されてました。
すとんさまは、いつも楽しそうに音楽の話をされているので、私もいい刺激になります。改めて色々自分で調べることが増えました。
毎日に彩りが添えられた気がします。
ありがとうございます。
もひもひさん
ヴァイオリンは、音程の微妙な違いが聞き取りやすい楽器ですから、ヴァイオリンを弾いているだけで、ある程度の音感は磨かれていくと思います。まあ、子どもの時からやっている人には叶いませんが、それでもある程度はなんとかなると思います。
>私は暗譜もあまりできず
暗譜できないと、歌えませんよ。歌手は基本、暗譜ですからね。それも自分の歌だけでなく、重唱などでは相手の歌も暗譜しないといけないし、オペラだと演技も暗記しないといけませんから、覚えることが山のようにあります。
でも、ただ黙々と歌うよりも、演技をつけながら歌った方が暗記しやすいという事実もあります。
たぶん私は、歌もフルートも、勘でやっている部分が大きいです(汗)。
はじめまして。「移動ド」普及活動を行っている大島と申します。
(時々インターネット上で「移動ド」などの言葉を検索し、今日の教育状況について「調査」しております)
さて、このたびは興味深い記事をありがとうございます。
私のブログより、管理人様が言及されている問題に特に関係があると思われる記事を、以下にピックアップさせていただきます。
管理人様がこれらを読まれたら、どのように思われるでしょうか?
*階名は運指・ポジション記号ではない
http://blog.livedoor.jp/fixeda_moveddo/archives/1045987861.html
*移調楽器について考える際の音名の扱い
http://blog.livedoor.jp/fixeda_moveddo/archives/1034773527.html
*「移動ド」は転調に強い
http://blog.livedoor.jp/fixeda_moveddo/archives/1019865127.html
*「移動ド」は無調音楽に強い
http://blog.livedoor.jp/fixeda_moveddo/archives/1019939572.html
*「移動ド」と「固定ド」は二者択一するものではありません。
http://blog.livedoor.jp/fixeda_moveddo/archives/1007630308.html
大島さん、いらっしゃいませ。
「移動ド」普及活動、ありがとうございます。
まあ、記事を読んでいただければ、お分かりのように、私は「移動ド」信者でもなければ、「固定ド」信者でもなく、タダの道楽者です。ですから、大島さんの記事を読んで「へえー、そういう考え方もあるんだな」と思った次第です。
おそらく大島さんが想定している音楽家と、私が想定している道楽者の事情は、全く違うと思うのです。大島さんが想定しているような音楽家の場合なら、大島さんのおっしゃる事も一理あると思うのですが、私達のような道楽者には「はあ?」とか「ほえ~!」って感じになります。
私たち道楽者の視点で言わせていただくと、音階とか音感なんて、別に「移動ド」でも「固定ド」でもいいのです。自分たちを指導してくださる方が、きちんとスジを通してくれれば、それでいいのです。
困るのは、私たち道楽者は、ダブルスタンダードには対応できないって事です。それは「移動ド」と「固定ド」の併用もそうですが、一つの曲で転調して、さっきまでドだった音がソになってしまうような“読み替え”などもそうです。私たち道楽者にとって、音楽は楽しみであって、その練習は人生の中での優先順位としては、かなり低いのです、
まずは自分の生業とそれに関わる勉強などが優先されますし、次は家族とか親戚の事かな? それから日常の生活の雑事があって、最後の最後に道楽が来ます。だから、多くの人が道楽に手を出さないのは、そこまで道楽に時間を割けないからです。その無い時間をむりやりひねり出しているのが、我々、道楽者なのです。
短い時間で、少ない努力で、最大の収穫物を得たいのです。だって、道楽だもの。
人生の貴重な時間を割いて、道楽にうつつを抜かしているわけですから、ダブルスタンダードは困るんです。「移動ド」なら最初から最後まで「移動ド」で、「固定ド」なら最初から最後まで「固定ド」で行って欲しいのです。
というのが、道楽者の本音だったりするわけです。
ご返答ありがとうございます。
私は基本的には「アマチュア」(道楽者)と「専門家」という区別はしない立場を取っております。
>短い時間で、少ない努力で、最大の収穫物を得たいのです。
実は、「移動ド」はまさにこの目的のためにあります。
むしろ投稿者様のような意識で音楽に向き合っている方にこそ、「移動ド」が有用となります。
>音楽は楽しみであって
「移動ド」の転調は本当に楽しいものですよ!
>「移動ド」なら最初から最後まで「移動ド」で、「固定ド」なら最初から最後まで「固定ド」で行って欲しいのです。
前者には音名として「ハニホ」が残されていますが、後者には階名として使える言葉が(造語でも作らない限り)残されていない、という点が問題になります。
ただ、これは投稿者様個人にとってというよりは、世の中全般への影響という点から問題になることですが。
(何しろ我々のように階名を必要としている人にとっては、「時代の流れ」や「多数派の数の権力」のせいで階名をなくされては困るので)
なお、私が今一番皆さんに誤解を解いてほしいと思っていることは、
「移動ド」はあくまでも音楽の可能性や、それこそ「楽しみ」を広げるためのものであって、
決してわざわざ音楽を「難しいもの」にするために考案されたものではない、ということです。
(私のブログ中にリンクがある、北山氏の記事でも同様のことが言われていますが)
「移動ド」の「超強力」な利点については、ある程度メソッドに馴染まないと理解されにくいところもあり、私もそのために日々苦労しております。
いずれにせよ、何よりも投稿者様が唱法の問題に関心を持ってくださることを嬉しく思います。
今後このトピックに関して何かお話したいことなどありましたら、いつでもご連絡ください。
それでは、失礼します。
一言重要なことを言い忘れておりました。
>一つの曲で転調して、さっきまでドだった音がソになってしまうような“読み替え”などもそうです。
実は、我々「移動ド」慣れした人にとっては、むしろ読み替えた方が楽なのですよ。
何しろ、転調の箇所では耳が自然にそのように聞こえるので。
大島さん
>実は、我々「移動ド」慣れした人にとっては、むしろ読み替えた方が楽なのですよ。
さっきまで山田さんだった人が、次の瞬間に佐藤さんになるわけで、楽になるのなんて、信じられません。
>何しろ、転調の箇所では耳が自然にそのように聞こえるので。
聞こえませんって(笑)。聞こえないんだから、聞こえないんです。転調したら「なんか変だな。でもかっこいいなあ」ぐらいなモンですって。たぶん、大島さんには、私達の気持ちや感覚なんて、ちっとも理解できないんだと思いますよ。
大島さんの話は、やはり玄人向けなんじゃないでしょうか? 我々、一般人である道楽者の感覚は、想像もできないんでしょうね(溜息)。でも、玄人には玄人の話が必要なんだなって事は分かります…が、道楽者にそこまで求めるられるのは、つらいです。住んでいる世界が違うのですから。
>ある程度メソッドに馴染まないと理解されにくいところもあり、私もそのために日々苦労しております
馴染む時間がないのが、我々道楽者なんですよ。所詮は音楽ですからね。遊びなんです。優先順位が低いんです。我々には音楽以外に大切なものがたくさんあるんです。馴染むための時間がモッタイナイんです。だから、道楽なんですよ。
それに私は別段「移動ド」を否定するつもりはありません。あるとしたら、
>私は基本的には「アマチュア」(道楽者)と「専門家」という区別はしない立場を取っております。
ここかな。これって、軽くバカにされているような気がするんですよ。素人と専門家が区別しないというのは、素人に対しても、専門家にしても、失礼な態度だと思います。素人は素人なりの矜持をもって、音楽を生活の中で楽しんでいるのです。それを専門家と一緒にされては、実に不愉快です。そこを理解されないのは、悲しいです。
再びご返答ありがとうございます。
いろいろ誤解があるようですし、コメント欄で長々と続けるのもご迷惑かもしれませんので、続きはメールにてお返事させていただいてもよろしいでしょうか?
「バカにしている」と受け取られてしまったことは私も悲しいのですが、
そのようなことは断じてなく、(特に音楽での基礎の基礎という点では)「玄人」と「素人」という二項対立自体に疑問を持っている立場だということを言いたかったのですが…。
たびたび失礼します。
こちらの記事に対する私からのコメントは、これで本当に最後にしますね!
私も色々考えました。
もし、投稿者様が感じられているような「専門家とアマチュアは住んでいる世界が違う」という印象を多くの方に与えてしまっているとすれば、
これこそ悲しいことであり、
また、何よりも私を含む「職業音楽家」や「職業音楽教師」に責任があることであると思っています。
(私の今回コメントは、不本意ながらそれを助長してしまったようですね…)
…実は、私の生徒はそれこそ「アマチュア」の方ばかりなのです。
もちろん、投稿者様がおっしゃるように彼らには「専門家」と異なる面もあります。
他方で、あくまでも私の印象の範囲でいえば、意外と違わない面もそれ以上にあり、その結果、私の中では「アマチュア」「専門家」という区別の意識はほとんどなくなっています。
(音楽の話もよく弾みますし)
いずれにしても、まずは現実に上記のような印象を与えてしまっていることを反省し、今後変化を促せるように努めてゆくことが、私の務めであることを感じました。
色々、私の考えに刺激を与えてくださったことに感謝いたします。
いずれにしても、投稿者様も私も同じ人間なのですし、また、音楽を楽しんでいる仲間であることに変わりありませんので、今後ともどこかで(間接的な形であれ)かかわっていければ幸いです。
他の記事もいくつか拝見しましたが、投稿者様のブログは面白くて勉強になるので、また時々閲覧させていただきたく思います。
私のブログにも、よろしければ遊びに来てください。
では、失礼します。