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何事も、想像力が大切

 発表会後、初めての声楽のレッスンに行ってきました。

 まずは発表会の反省から。『愛の妙薬』の二重唱は「まずまずの成功。良かったですよ」との事です。問題は、ソロで歌った、モーツァルトの「Un’aura amorosa/恋のそよ風」です。「学習の過程としては大成功で、この曲に取り組む事で、格段の進歩を遂げたわけですが、曲の仕上がり的には疑問が残る結果になりましたね…」って事でした。とは言え、曲の出だし部分は、なかなか良かったそうです。しかし、始まってすぐにメロディを間違えてしまったわけですが、やはり聞いていて、あそこから色々と崩れていくのが分かったんだそうです。で、崩れていくのを必死で押さえながら歌っているわけで、それでまあ、あんな仕上がりになったんだろうなあ…との事でした。「もしも、あそこで間違えずに、歌い出しの調子のまま最後までいけたら、良かったですね」って事でした。

 まあ、本番ですから。色々あって当然ですから。結果は謙虚に受け入れないと。

 先生がおっしゃるに、モーツァルトの曲って、本当に難しいのだそうです。楽譜を見ると、あまり難しくは見えないので、歌が下手な人は、サラっと歌ってしまって「モーツァルトなんて簡単だよ」とうそぶくのだそうです。歌に真面目に取り組んでいる人は、モーツァルトに対して真正面からぶつかっていくわけで、モーツァルトの楽曲って、簡単そうに見えて、実はかなりテクニカルな処理を要求する曲が多いので、きちんと歌おうとすると、やたらと難しいのだそうです。だから、モーツァルトの曲を難しく感じるというのは、真正面から音楽に取り組んでいるわけだから、良い学習をしているって事になります…って事らしいんだけれど、私の場合、そんなに立派なモンじゃなくて、単純に、サラっと歌えるほどの力すらないので、難しく感じてしまう…という身も蓋もない状態だと思ってます。

 まあ、それはともかく、100回の練習よりも1回の本番です。今回の発表会を通して、先生にも色々と私の課題が見えてきたそうなので、さっそくレッスン開始です。

 まずは息を流す練習から。私は無意識のうちに、息を吐かずに歌ってしまう(キング先生の元で学びました!)ので、きちんと息を吐きながら歌うこと、それも上手に息を吐きながら歌うことを目指して練習を始めました。

 “よく回った速い息”で歌えるようになるための練習です。いきなりは無理なので、まずは速い息で歌う練習をし、その次によく回った息で歌えるようにして、最後によく回った速い息で歌えるようになれればよいのですが…なかなか難しいです。速い息は冷たい息であり、よく回った息は暖かい息なんですが、よく回った速い息って、暖かくて冷たい息の事? いやあ、よく分かりません。

 と言うわけで、リップロールをしました。リップロールとは、クチビルを軽く閉じて、そこに息を通して、クチビルをブルブル言わせるアレです。これをやりながら歌ってみたわけです。この練習は私のような欠点を持つ人間には、良い練習なんだそうです。と言うのも、クチビルをブルブル言わせるためには、クチビルが脱力していないといけないし、息が常に流れていなくてはいけないのです。私のように、脱力とか息の流れとかに難点がある人には、必要な練習なんだそうです。

 実際、最初のうちは結構苦労しましたが、やがて慣れて、普通に出来るようになりました。

 最初は先生が見本を見せて「これをやってください」と言われて、行うわけなんだけれど、先生がバリトンさんであるため、先生の見本を見て行うと、どうしても音域や響きが低めになってしまいます。なので、ついつい低めの響きで始めると「テノールはもっと高い響きでやらないといけませんよ」と注意されます。なんでも、声になるかならないかのギリギリの響きの音程でやらないといけないのだそうです。

 で、リップロールが出来ると確認されたので、次はリップロールをしながら実際に歌います。これが案外難しい。まあ、歌うと言っても、発声練習に毛の生えたようなモンだけれどもね。

 で、先生のリードの元で、リップロールをしながら必死になって歌っていきます。何しろ、ちょっとでも気を抜くと、リップロールにならなくなってしまうわけだから、脱力とか息を流し続けることとか、その他諸々まで神経を行き届かせながら歌わないといけないので、ほんともう必死です。

 で、そうやって必死に歌っていったところ、最終的に、HI-Cまできちんと音が当たって歌えたんだそうです。私自身は必死ですから、どの高さまで歌っているかなんて自覚はないし、上行音型だとは分かっていましが、もっと上までも行けそうな楽な感じでした。なので、先生がピアノを止めた時は「まだイケるよ、早くねえ?」と思ったものです。

 とりあえず先生はHI-Cを確認して止めました。なんでも、私はテノールなのでHI-Cまで歌えればいいので、それ以上は無理してトライする必要はないし、そういう事をすると発声が壊れしまう事もあるので、今回はHI-Cまでで終了って事になりました。

 確かに、HI-Cよりも高い音を出すテノールもいるけれど、ああいうテノール(ウチの門下ではIさんが相当します)と私では、同じテノールであっても、種類の違うテノールなので、ああいう人を真似たり、憧れたりしてはいけないんだそうです。

 「テノールの人は、やたらと高音にこだわるけれど、高い声が出ても、それでお客を感動させられないなら、それはつまらない高音なんですよ」との事です。だからHI-Cが出ても、ラクラクと出せてしまうなら、そこに感動はないわけです。でも、HI-Cがラクラク出せないと歌えない歌(ベッリーニとかドニゼッティのオペラアリア)もあるわけです。逆に言うと、そういう難しい歌は、歌える人にまかせて、歌手ならば、自分の声が一番良く響く箇所を使う曲を歌うべきなんだそうです。だから、一般的なテノールにとって、HI-Cなんて、ラクラクに歌えてはいけないわけなんです。客から感動をもらえる発声で歌えないといけないわけで、声は出ればいいというわけではないのだそうです。

 あああああ~、難過ぎて分からないよ。高音なんて、出りゃあいいじゃん、ダメなの、それじゃあ!

 …ダメなんだそうです。高音って奴は、出りゃあいいわけじゃないんだそうだし、出なければダメなわけでもないのだそうです。要は、自分の“勝負どころを間違えるな”という事であって、高音そのものが勝負の弾にはならないって事らしいんだけれど、やっぱり高音なんて、出れば出るだけ偉いんじゃないの?

 閑話休題。リップロールでHI-Cまで歌った私です。つまり、これ、息の流れさえしっかりできれば、HI-Cまで歌える能力を、すでに現時点で持っている…という事なんだそうです。なのに、私と来たら「Gまでは完璧。G#になると崩れ始め、Aで崩壊」してしまい、そこから上の音を使うことが出来ません。

 発声できる能力を持っていながら、実践では使えない。その理由の一つとして『想像力の欠如』があるんじゃないかと言われました。具体的に言えば、Gが完璧なのは、私がGという音のイメージをしっかり持っているからで、Aがグダグダなのは、私がAという音のイメージを持っていないためグダグダになってしまっているのだ…という事です。

 たぶん、合ってる。確かにGに関してはイメージがあります。どれくらいの音程であるとか、カラダをどう動かしているのかとか、どんな響きなのかとか、私なりにGのイメージがあるので、そのイメージ通りに行かないと「失敗した!」ってなるわけだし、実際、失敗しています。

 一方、Aに関しては、音程に対するイメージは、まあないわけじゃないけれど、あんまり自信はないわけで、よくうわずったりぶら下がったりするわけです。カラダの動かしからも試行錯誤の最中でよく分からないし、響き? イマイチ分かんないよなあ。

 そうか、イメージの欠如か。確かにそうかもしれないです。なので、先生から「しっかりAという音のイメージを持つ」事を言われました。それも自分の声のイメージで…なんだそうです。

 美しい声で歌うためには、美しい声のイメージがないとダメなんだそうですが、その美しい声のイメージが、誰か別の人の声のイメージではダメなんだそうです。と言うのも、その別の人は私ではないので、全然参考にならないのだそうです。大切なのは“美しい自分の声”であって、誰かのものまねであってはいけないのです。

 つまり、私の場合、私自身の声で、美しくAを発声するイメージがあれば、Aの発声をクリアできるわけです。でも美しくAを発声できないのに、美しくAを発声するイメージを作るなんて、なんか難しいよね。鶏が先なのか、卵が先なのか。難しいよなあ。

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