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暗譜をしてます

 声楽の発表会に向けて暗譜をしています。

 まず暗譜のやり方ですが、実はここ数年でドンドン記憶力が低下している事を実感している私です。

 最初の発表会(今から5年くらい前)の頃は、若い頃と同じ“フォトコピー”というやり方で暗譜をしていました。

 フォトコピー…それは見たままのイメージを画像として暗記するやり方です。つまり、覚える対象(この場合は楽譜ですが)をボケーと見て、その楽譜そのものを覚えてしまうという暗記方法です。なので、頭の中に楽譜がありますので、歌う時は、頭の中で楽譜をめくりながら、その楽譜を読んで歌うわけです。

 実は私、幼い時から、このフォトコピーという暗記のやり方で生きてきました。大学受験の時も、このやり方だったので、試験の時は、頭の中で辞書やら教科書やら参考書やらを思い出して、ページをめくって読んで、それで対応していました。このやり方は脳味噌に多大な負担をかけるらしく、中学生の頃から、テストが終了すると、知恵熱を出して倒れていました。そんな私です。

 この暗記方法の欠点は、暗記作業中は、他人から見ると、ボケーとしているように見られ、とても勉強をしているようには見られないという点です。あたかも読書をしているようにしか見られないので、その努力を認められないって事です(別に、勉強をしている事を認められたいわけでないんですが…)。

 もちろん、社会人になってからも、基本的に暗記は、このフォトコピーでしていました。

 でも、ここ数年で、そのフォトコピー力がみるみると落ちている事を感じています。いや、コピー力が落ちていると言うよりも、コピーの解像度が落ちていると言った方が正しいかもしれません。

 元々、私のフォトコピー力の解像度は、さほど高いものではありません。ですから、私の記憶力は、文字とかそれらに類するパターン化されたモノしか暗記できなかったのです。ちょっと複雑なパターン、たとえば、ホンモノの絵や写真、人の顔など、パターン化できなくて、その細部まで細かく見えていないと役に立たないモノなどの暗記は苦手でした。ざっくり言うと『パターン化できる文字情報は暗記できても、絵や写真や人の顔などのように、本当の意味で丸まる暗記しないと判別できないモノは苦手』という、なんとも中途半端なフォトコピー能力しか落ち合わせていなかったわけなんです。

 で、その中途半端なフォトコピー能力の中途半端さに、ますます磨きがかかってきたのだ、ここ数年の事なんです。

 以前なら、ボーとしていても、結構隅々まで、それなりの解像度の画像として覚えていられた楽譜が、まるで老眼になってよく見えなくなった楽譜のように、ところどころがぼやけてしまい、判別不能になってしまいました。

 これでは暗譜がちゃんとできません。

 そこで最近は仕方なく、耳コピーを併用する事にしました。

 実は私、フォトコピーは得意ですが、耳コピーは苦手なんです。そんな苦手な耳コピーですが、頼りなくなったフォトコピーを補うために、気合を入れて始めてみました。

 具体的には、こんなやり方です。以前なら、ただボーと楽譜を見ていただけの私ですが、今では、楽譜を見ながら歌って暗譜してみたり、音源を聞きながら暗譜してみたりと、目だけからの情報ではなく、耳からの情報も合わせて、フォトコピーをしようと頑張っているわけです。

 とにかく、頭の中に楽譜が再現されないと、歌えない私ですから、仕方ないんです。

 ちなみに、フルート音楽では暗譜が全くできません。これはおそらく、フルートでは、楽器を演奏するために指を動かすので、指を動かす事に脳が使われてしまい、肝心の記憶や、その再現のために脳が使えなくなっているからなんじゃないかと思ってます。

 と言うのも、実は私、手を動かしたり、クチを動かしたりして、筋肉でモノを覚えるは、とてもとても苦手なんです。と言うのも筋肉を動かしていると、筋肉を動かす事に懸命になって、頭の中が空っぽで真っ白になっちゃうからなんです。

 よく、子どもの頃、学校で、漢字書き取りの練習を宿題に出されませんでしたか? あれは漢字を暗記させようという、先生の親心からの宿題なんですが、私は漢字書き取りをしても漢字を覚えられない子でしたので、あの漢字書き取りと言うのは、先生の生徒に対するイジメじゃないかと思っていました。だって、漢字書き取りって、シンドイだけなんだもの。それに子どもだった私は、授業中に見た黒板とか、教科書とかを、授業時間中に丸々暗記していたので、宿題とか不要だったわけだし…。ほんと、漢字書き取りの宿題を、イジメのように感じていました。

 ガッコのセンセになって、他の人がフォトコピーではないやり方で暗記をしている事に気づきました。とりわけ多くの人が、筋肉運動を使って物事を暗記しているという事実に気づきましたので、私もガッコのセンセになってから、漢字書き取りの宿題をよく出すようになりました。時折、生徒の中から、漢字書き取りばかりやる事に対する不満を耳にしますが、その時は「ああ、この子は、筋肉運動で記憶するタイプの子じゃないんだな」と思い、ちょっとだけ同情する事にしていますが、漢字書き取りは、やはり強制的にやらせておりました(同じ事を同じだけやらせるのが、ある意味、公平な扱いって奴ですからね)。

 まあ、苦役にしか感じないものをムリヤリやらせるのは、あまり誉められた事ではありませんが、それでもそれに耐え忍び、納得しないまま、「やらなければいけないからヤル」という、ある種の理不尽な思いをしないまま大人になってしまったら、人生、取り返しがつかない事になりかねません。そういう意味でも、教育的な見地からも、漢字書き取り練習は、全員必修だったわけです。「ダメなものは、ダメ」「やらなきゃいけない事は、納得していなくてもヤレ」ですよ。スジが通らなくても、やらなければいけない事はやるべきなんです。そういう事を経験するのも、人生を生きていくための訓練の一行程って奴です。

 と言うわけで(って、どういうわけなんでしょ?)、今日も今日とて、楽譜を見ながら歌って楽譜を暗譜中の私です。とは言え、解像度の低下のみならず、暗譜の完徹にも時間がかかるようになりました。

 それでも『Non t’amo piu!/君なんかもう』は、そこそこ覚えられたかな? 目標としては、四月中に完璧に覚えたいです。『E lucevan le stelle/星は光りぬ』は、有名曲ですでに何となく耳コピーは終わっていますので、後はこの耳コピーとフォトコピーを一致させる作業をすればOKなので、後回しにしようと思ってます。

 懸念なのは『Caro Elisir! Sei Mio!/素晴らしい妙薬』です。13ページもある楽譜を覚えるのは、さすがにちょっと大変。こいつの暗譜にゴールデンウィーク前後から取り掛かれるといいなあって思ってます。五月から七月の三カ月をかけて暗譜できれば、なんとかなるんじゃないかと思ってますが…大丈夫だよね(汗)。

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コメント

  1. 游鯉 より:

    よく、指揮者の方とかが頭の中で譜面めくるとか、頭の中で一頁、すっとばしてめくってしまったとかそういう話を聞くと、すごいな~と思ってました。

    特に暗記の必要な勉強方法とかで、後からフォトコピーの方法を勉強したとかいう話も聞きますが、すとんさんは、先天的(?)にそれができちゃうんですね。

    人の脳の構造はまだまだ未知の世界で、人によって多く使う場所なんかがきっとずいぶん違うのだと思いますが、きっと私とは全く別の世界が見えてるんですね。

    私は音楽は耳でしか覚えられません…暗譜は繰り返し実際に、あるいは心の中で唄うことでしか実現できないです。

    私は五線譜とかは特に顕著ですが、その場の景色としてしか見ることができません。
    もちろん、理屈ではミとファ、シとドの間は実際は半音だと知ってますが、視覚的に同距離なので、イメージとして全音のつもりで心が音を採りに行きそうになってしまい、困ります。
    しばらく、階段を上る時に、一段抜かしでドレミと唄いながら上ってから、ファを唄う時に普通に一段上るという作業を繰り返しました。

    ちなみに私は子どもの頃、特に習ったわけでもないのに、美術(絵)の成績が良かったのですが、あれは見たままを写し取る技術というよりも(だったら写真撮ればいいですもの)、実際にはないけど、ちょっとこの木はこっちにあった方がいいな~みたいな融通がきくので、景色そのもをきっちり細部まで覚えてるわけじゃないんですよね。
    自分の心に写し取った(感じた)まま、紙に写すという感じでして…

    すとんさん、脳のメモリ容量がきっと大きいんですよね。

  2. operazanokaijinnokaijin より:

    人それぞれ、向き不向きがあって、不向きのことを強いられると、
    気が狂いそうになりますが、まあ、漢字の書き取りくらいは、
    >>>ある種の理不尽な思いをしないまま大人になってしまったら、
    >>>人生、取り返しがつかない事になりかねません
    ということで、やむを得ないのでしょうね。

    中学2年生まで、数学が得意だった私、ですが、
    中学3年生、新たな数学の先生が、
    「毎日3ページ、予習をしてきなさい、それが宿題です。」
    ここから3か月間、大変な悪戦苦闘、というか
    人生初のノイローゼになりました。

    私は完全な復習型。
    学校で、ぼんやりと、受け身で、授業を受けて、
    家で復習して、ああ、そういうことか、と理解するタイプ。

    ところが、数学(に限らず)予習というのは、
    学校で習っていないことを、積極的に、自ら、能動的に、
    自分で勉強するわけですが、これも向き不向きがありまして、
    いやあ、私には予習というものは、全く向いていませんでした。

    3か月、自分なりに葛藤した挙句、
    数学の宿題を、や、ら、な、い、という決断をしました。
    優等生タイプの私としては、先生に逆らうという決断は、
    大変なことでした。

    その結果?
    予習をしている3か月間、急降下し続けた数学の成績が、
    予習をやめ、復習に徹し、急上昇しました。

    おしまい

  3. めいぷる より:

    フォトコピー…って言うんですね♪ 
    イメージで覚えるのも、肉体を使って覚える(書き取り)とか、全部ダメダメの子供でした。 歴史の年号とか漢字の書き取りとか、断末魔の様な(笑)成績でしたねー。

    高校生くらいで、歴史の変わっていく様の面白さやその意味、漢字の成り立ちや書の意味、そういう面白さ(=理屈)を学んで真面目て霧が晴れるように理解して覚えられましたよ。でも時すでに遅し(爆)で、暗記の一切必要しない数学が一番好きになってましたねー。

    完全左脳の石頭は、トップダウンでのほうが物事を理解しやすいみたいです…(^。^;) 仕事でも、新人さんだから〜とボトムアップで教えてもらえるのですが、、、正直イライラします。

  4. すとん より:

    游鯉さん

     私は子どもの時から、フォトコピーの人だったので、他の人がイメージで暗記をしていない事に気付いた時は、むしろビックリしました。

    >きっと私とは全く別の世界が見えてるんですね

     うーん、絶対音感を持っている人は、どんな音でも階名唱となって聞こえるという話を聞いたことがありますが、その話が本当かどうかは別として、もしも階名唱となって聞こえるならば、私はそういう世界を経験した事はないし、想像もできないので、絶対音感を持っている人とは、見えている世界が全然違うはずで、そういうレベルで“全く別の世界”が見えているかもしれないことを否定することはできません。

     ってか、同じ場所にいても、身長の違い、性別や年齢の違い、背負っている文化や使用している言語の違いで、世の中は全く違う風景に見えるわけですから、気にしても仕方ないです。

    >私は音楽は耳でしか覚えられません

     いいなあ、私は耳コピーがほとんど出来ません。いや、音楽の印象は覚えられますから、精密な耳コピーが出来ないというべきなんでしょうね。聞き間違いは、ほんと、多いですよ。「私のお気に入り」を「私のおにぎり~」と聞き間違えたり、「御返答」を「お弁当」と聞き間違えたりなんて、しょっちゅうです。

  5. だりあ より:

    今日の記事を読んで、私の場合はどんなふうに暗譜してるのかなあ、と考えてみました。思い起こせば、歌も楽器も、暗譜にはあまり苦労したことがない・・・、っていうか、繰り返し練習しているうちに、なんとな~く全部覚えてしまっていたという感じなんですが、これは何型なんでしょう。やっぱり耳コピー型なのでしょうか。

    楽器の場合も歌の場合も、気づいたらなんとなく全部覚えてしまってた、という感覚なので特に苦労しないので便利といえば便利なのですが、その曲を繰り返し練習している間は絶対に忘れないけど、別の曲に移ってその曲から離れたとたん忘れるのも早いんです。

    特に最近はせっかく覚えたのに一ヶ月ほど別の曲をやったり音楽から離れたことをしているとせっかく覚えた暗譜が、あちこちまだらに消えてしまいます。三か月も離れたらすっかり消え失せて初見の楽譜なみになります。ほんとに脳の記憶って不思議ですね。

  6. すとん より:

    operazanokaijinnokaijinさん

     私も記事に書きましたが、漢字の書き取りは苦手でしたし、苦役でした(笑)。

     まあ、勉強方法なんて、個人的には、たとえ生徒であっても強制してはいけないと思ってますが、今の時代、マニュアル主義と言うのでしょうか、勉強方法すら教師に示してもらえないと、やれ手抜き、やれダメ教師だとか、非難ゴーゴーな時代です。勉強なんて、自分自身の創意工夫で勝手にやれよ…とか思いますが、それを言っちゃうのはダメなんですね。

     結果が良ければ(つまり、テストでちゃんと点を取れば)、後は好きな事を好きなだけやっていれば、いーじゃんと思ってますが、ま、それを言っちゃあ身も蓋もないので、公には「宿題をちゃんとしなさい」と言って(私の場合は)後は当人たちの自由と自覚にまかす事が多いです。自由と自覚に任せて、ちゃんとやれる子はそれで良し、ちゃんとは出来ない子は、ペナルティ喰らって痛い思いをして、人生を学べばいいだけの話です。でしょ?

     復習主義の子は復習で頑張れば、いいんじゃないの? きちんと結果を出して、それでも文句をいう教師なら、そんな器の小さい教師なんて、こっちから見下げてやればいいだけの話ですって。

     私は学生時代、ノートを取らなかったし、予習も復習もしなかったので、実はあまりエラそうな事は言えません。その代わり、授業内容は授業中に理解したし、宿題は休み時間中にきちんとやったので、提出を忘れた事はなかったよ。いわゆる“要領のいい子”って奴だね(笑)。

  7. すとん より:

    めいぷるさん

     そう『フォトコピー』って言うんですね。

     そう言えば、私も歴史の年号を覚えるのはダメでしたね。語呂合わせで覚えるのが流行ってましたが、その語呂合わせが覚えられない(笑)。英単語も語呂合わせで覚えるという手法がありましたが、それもダメ。結局、語呂合わせって、音声で記憶するわけですから、一種の耳コピーなんですね。だから、私には無理でした。

     歴史の年号は、参考書ごと覚えちゃえばよかったのに、なぜかそれをしなかったので、未だに苦手です。私の歴史の知識は、主に歴史小説から得たものばかりでした。吉川英治とか司馬遼太郎とか山岡荘八などが、私の歴史の師匠でした(笑)。ストーリーで覚えるのは、結構得意でしたね。

  8. すとん より:

    だりあさん

    >繰り返し練習しているうちに、なんとな~く全部覚えてしまっていたという感じなんですが

     すごく正しい暗譜のやり方だと思います。暗譜のための暗記ではなく、練習を重ねているうちに自然と暗譜してしまった…というのは、本当に理想的な暗譜のやり方だと思うし、私もそうありたいと思います。

     実際、きちんと暗譜している曲って、やっぱりなんだかんだ言っても、きちんと練習した曲です。きちんとやったから、きちんと身に付いた…と思う事にしています。

     じゃあ、暗譜できないのは練習が足りない? そう言われると、言い返せない私がここにいます。

     あと、覚えるのは速い人は忘れるのも速いと言います。でも、人は忘れないと次の事が覚えられませんから、忘れてしまって記憶がリセットされるのって、決して悪い事ばかりではないんですよ。

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