今年最後の声楽のレッスンに行きました。
軽く発声練習をしましたが、音程をあっちこっち直されました。とにかく『気を抜くと音を外す』『フレーズの頂点の音に当たりきらない』『下降音形で音が下がりすぎる』のです。まあ、音程正しく歌うのは、私にとって、本当に至難の業です。でも、諦めない。だって、諦めたら、そこで終わりだから。音程なんて、よく分からないけれど、気を抜かずに歌っていきましょう。
時間の都合で、本日はコンコーネはカットです。さっそく、モーツァルトの「Dalla sua pace la mia dipende/彼女こそ私の宝」を歌いました。
ひとまず、一度通して歌ってみました。もう、息も絶え絶えになりました。ああ、シンドい(涙)。
とにかく、たかが4ページの曲ですが、歌い終わったら、見事に声が無くなっていました。いやあ、しゃべるのさえ苦労するほどでした。本当に声って消耗するんだねえ…。もっとも先生からは「よく、最後まで(沈没しかけたと言えども)歌いきりました。よくやりました」と誉められました。どうやら、現在の私の力量では、最後まで到達するだけでも難行な曲らしいです、こいつは…。
でも、本当はこのアリアを歌った後も、オペラは続くわけで、だから、アリアを歌い終わって、息も絶え絶えになってはいけないわけで、アリアを歌った後も元気ハツラツでいないといけないのだそうです。つまり、モーツァルトアリアを一曲歌った程度で、バテてちゃ、お話にならんって事なんです。
さて今回は、この時の歌唱の前半部(笑)をアップしましたので、もしよかったら聞いてみてください。今回はYouTUBEに自分のチャンネルを作ってみたので、そこにアップロードしてみました。こちらの方がブログの読者に便利かな?って思ったのですが、いかがでしょうか?
「なぜ前半だけアップしたの?」と思われるでしょうが、それは簡単な理由で、キング先生が「前半だけアップしたら~?」とおっしゃったからです(笑)。まあ、後半は息も絶え絶えになりすぎて沈没しかけていたから、そりゃあ後半はアップできないです(涙)。なので、前半だけというのは、キング先生のお優しい言葉………と解釈する事にしました。
いつの日か、フルサイズでアップしてやる~!
しかし、録音を聞くと、いかに私がダメかよく分かります。音程が数ヶ所、下がっているどころか、違っている!(ちゃんと音取りし直さないと…)上に、りズムも数ヶ所違っているし、なによりも…声張りすぎ!…ダメじゃん。まったく…。たしかにこれじゃあ、モーツァルトと言うよりもイタオペだなあ。おぷーさんのアドヴァイスの通り、歌うよりも先にしゃべる練習が必要だな…。
これ、先生に「アップしなさい」って言われなかったら、お蔵に入れてるレベルだよ…、ほんと、まったく。
とにかくこの曲を歌う上で大切なことは『声を張らない事』『歌うべきところ以外は歌わない事(歌っちゃいけない部分にも良いメロディがあるけれど、そこはガマンする事)』『モーツァルトの美しさは、フォルテにはないので、高い音は一つ一つ確実に当てていく事』なんだそうです。
イタリアオペラではないので、決して歌い上げてはいけません。だいたい、考えてみると、モーツァルトって古典派の音楽なんですよ。つまり、イタリアベルカントオペラ以前の作曲家なわけだし、当然、カルーソーによるテノール革命以前の音楽家なわけで、当時の音楽を今の歌い方で歌う事自体が、実に難行苦行なわけですね。
歌じゃ分かりづらいので、ピアノで考えると、よく分かります。モーツァルトの時代って、まだ現代ピアノが無いんですよね。彼の時代にあったのは、クラビコードとかフォルテピアノとかチェンバロなわけで、いずれも現代ピアノとは仕組みや構造がちょっと違う楽器なわけです。で、特に違うのは、鍵盤の重さだそうです。モーツァルト時代の鍵盤楽器って、いずれも鍵盤が軽かったわけで、その軽い鍵盤を前提にして曲が書かれているのがモーツァルトのピアノ曲です。それなのに、それを現代ピアノで弾くから、大変なことになる…なんて聞いた事があります。
おそらく声楽でも似たような事があるんだろうと思います。モーツァルト時代のテノールの歌い方って、絶対に、現代のテノールの歌い方とは違うはずです。だから、現代テノールの歌い方でモーツァルトのアリアを歌うのは、そりゃあ難しいはずです。
…と、まあ、自分を慰めてます。ああ、愚痴もいいけど、練習しないとね。
とにかく、手は抜いちゃダメだし、声はしっかりと響かせないといけないけれど、同時に声のスタミナをしっかりと残せないとダメです。つまりは、省エネならぬ、省声で歌わないと。そのためには、声を絶対に張ってはいけません。ブレスコントロールをしっかりして、次のチャンスを待ちながら、歌っていかないといけません。高音が出てきても、軽く当てるだけで、絶対に声を張りあげてはいけません。
スポーツにたとえれば……、まるで攻めではなく、守っているみたいです。モーツァルトの音楽って、ディフェンスの音楽ですか? 私は攻めるタイプの人間なので、こういう守備の練習って、気乗りしないんですよ…。
この曲で学ぶ事は…声を抑えながら歌う事、なんだそうです。先生曰く、私の欠点(の一つ)は、一度声を張りあげたら、最後まで張りあげっぱなしになって、結果として声を使い切って撃沈してしまう事なんだそうです。曲の途中で声を張りあげるのはかまわないけれど、張りあげる箇所が過ぎたら、すぐに声を戻さないといけないのに、行ったきりになって絶対に戻れないのが、私なんだそうです。
つまり、鉄砲玉というか、オフェンスオンリーな私なんですね。…だって私はオレ様なんだし、イケイケゴーゴータイプなんだから、そりゃあ、そうなるよね。「最初から最後までクライマッ~~クス~!」な人だもん(笑)。
でも、それじゃあ、アリアは歌えないわけです。攻めるべきところはきちんと攻めるけれど、抑えるところはしっかり抑えないと、オペラアリアは歌えないのです。攻めて攻めて攻め終えたら、すぐに戻って、相手の攻撃から自分たちのゴールを守る事もできなきゃダメって事です。
攻めるオンリーな私なので、オペラアリアを歌えるようになるためにも、今は声を抑える事とか、攻めた後、すぐに守りに入る事などを覚えないといけないのだそうです。
モーツァルトの「彼女こそ私の宝」という曲は、そんなディフェンスの大切さを教えてくれる曲(つまり私が苦手とするタイプの曲)なんだそうです。とにかく今は、このモーツァルトの曲を通して、地味に(声の)守備練習をするのが、現在の私の課題なんだそうです。声を守れないと15分にも及ぶガラコンサートでファントムを歌いきる事など、できるはずがない! って事なんですね。…確かにそうかも。
とにかく今は、声の守備練習ですよ。地味だけれど、ディフェンスの勉強をしないと。
一度通した後は、抜き出しながら練習しました。あっちこっち音程を注意されながら歌いました(涙)。音程も大切だけれど、ポジションも大切です。同じように歌っていても、ポジションが下がっていると、音がぶら下がるのです。だから、まずはポジションに気をつけて歌うこと。ポジションを高めに取っていると、案外音程は安定するそうです。また、声は押さない、たとえ高音であっても、なるべくカラダを使わずに、声を軽く当てるように歌っていく事が大切です。
はあ~。
次回も、この曲の最初の2ページまでを、きっちりと練習してくるように言われました。とにかく、最初の2ページをきっちり歌えるようになると、おそらく最後までいけるはずだからだそうです。さあ、頑張ろう。
おまけ
YouTUBEに音声をアップするのは簡単でした。
1)録音機で録音したデータをパソコンに吸い込んで編集してmp3ファイルにする。
2)ムービーメーカーに落として、タイトルを作ってwmvファイルにする。
3)YouTUBEのアップロードのリンクをクリックしてアップロードする。
4)埋め込みコードをブログに貼り付ける。
5)完了
こんな感じでした。
コメント
前の録音よりは、発声も上手くなっていると思いますよ。
ただ、もう少し声をまとめて、前にフォーカスする感じで出す様に心がけたら
大分変わってくると思います。
私も昔は、声が拡散し過ぎる発声をやっており、それはちゃんと響かない声だと
散々怒られてましたが、声を前に持って行く技術がなかった為に
なかなか治らず苦労したもんです。
声は、先ず喉を開けておいて、sotto voceで出すのですよ。
下げる時も同じ様に。
そうすると大分違ってくるとおもいます。
もう少しや!頑張って下さい。
大変お上手ですよ。
ただ、欲を言えば、声の出し過ぎですね。
録音では分かりにくいのですが、声量能力100の対して110ぐらいの声量を出そうとしているように聞こえます。私なんか、こんな大声は出ません。
大声を出すあまり、発声が乱雑になって、その結果音程を悪くしているように思います。
音程の良し悪しと発声の良し悪しは比例しますね。
声量を30%ぐらい落として、ゆとりのある声を出すと抜群の仕上がりになりそうですね。
とにかく、私なんかとても出ない、うらやましいような声量ですね。
おぷーさん
誉めていただけると、うれしいです。
>声は、先ず喉を開けておいて、sotto voceで出すのですよ。
うむ、なるほど。ノドを開け続ける事から始めないといけませんね。私はノドを開け続けるのが上手ではないです。だから疲れてしまう…って事があるんだろうと思ってます。それこそ、ノドを開け続けるのに、余計な力が入っているのだろうなあって思います。
sotto voceも難しいですね。頭じゃ分かっているのですが、お腹の支えがまだまだ弱いのでしょうね。sotto voceであり続けるのが難しいです。が、いわゆるベルカントの基本はsotto voceらしいですから、苦手だ難しいだ言わずに、歌い続けて身に付けるしかないのだろうと思います。
省声って、つまり“小さな音量でよく響く声”なんだろうと思ってます。ポイントは…“よく響く声”って部分なんでしょうね。パワーで聞く人を圧倒するのでなく、美しい響きで人の心をつかむ…うわぁ~、難しいなあ。でも、それができたら、すごくステキですね。
がんばろ。
ゆきちゃんさん
ありがとうございます。確かに、声の出し過ぎはありますね。マックスを100とした時に、この録音の終わりぐらいで、瞬間的に90手前ぐらいまで来てます。歌い出しは60ぐらいから始めているんですけれどね…。アップしていない後半は、どんどん声量が増していき、90前後を行きつ戻りつしながら、スタート時の60に戻ることなく、終了しちゃっているんですよ。で、歌い終わって、声がない…ってわけです。
90程度の声で歌い続けていたために、スタミナ切れを起こしちゃいました(笑)。行ったきりで戻れないんですね(汗)。
さすがに110の声で歌うと、ノドをつぶしますから、それはしませんよ。大ホールでソロを歌った時も、限りなく100に近い声で歌いましたが、100を越える事はしませんでした。十年以上前は、それこそ声のコントロールが全然分からず、よく100越えの声で歌って、途中で撃沈してました(笑)。
アップした歌唱に関しては、キング先生にも言われたのですが、歌っているうちにドンドンキツくなってきて、それで途中からカラダを使って歌い始めたのですが、それがアダとなって、余計つらいところに追い込まれているようです。カラダを使わずとも、最後まで歌えるように、色々とセーブしないといけないんですよ。
>私なんか、こんな大声は出ません。
私は逆に小声が出せませんので、ひそひそ話や内緒話ができません。どんな雑踏にいても、声が通ってしまうので、色々と困ることは多いですよ(笑)。
>音程の良し悪しと発声の良し悪しは比例しますね。
それはあると思います。私は自分の声に振り回されている部分が、正直、あると思います。だから先生に、音程やらポジションやらを注意され続けているんだろうなあって思います。
>声量を30%ぐらい落として、ゆとりのある声を出すと抜群の仕上がりになりそうですね。
響きを今以上に付加しながら30ぐらいまで声量を落とせたら、それは理想ですね。響きを犠牲にしていいなら、簡単に声量は落とせるのですが、それでは不可で、先生からすぐにダメが出ます。音量を下げる条件は“響きを付け加える”ですから、なかなか簡単には行きません。
すとんさん、譜読みです! 譜読みをもっとしましょう!
そしたらきっと、音の入りでユラユラしなくなりますよ!
そしたらきっと、歌うのがもっと楽になると思います
(合唱でも、音取りがおぼつかない状態で歌うとすごく喉が疲れませんか? 私はそうです)
と録音を拝聴して、そう思いました。
いつも流れていていいな~と思いました。
椎茸さん
譜読みか…。譜読みはしているつもりだけれど、やっぱりまだ色々と足りないのかな? 少なくとも自信をもって「譜読み大丈夫です!」とは言い切れない部分はあります。
音の入りがユラユラしているのは、譜読みとは関係なく、単純に音感の問題です。私は音感がないので、イントロを聞いてリズム的なタイミングを図るけれど、イントロから出だしの音が掴めているわけではありません。そこは相対音感の無さなんですよ。
私の場合、歌い出だしの音は、イントロ関係なしで、あくまでも自分が記憶した音で始めています。そういう意味では、相対音感よりも絶対音感に近いのだろうけれど、この絶対音感が、極めて精度が悪いんですよ。とりあえず、頭の中に音叉が存在するようになって、大抵の場合は半音もズレないようになりました(それでもたまに+-3度程度ズレる事あります:涙)が…、ま、そんな感じで出だしは、不安定で不正確なんですよ。
なので、実際に声を出して、そこからうまく音階にはまるように歌いながら自然と微調整している(和声感覚ってのはちゃんとしたのを持っているんですよ:笑)ので、どうしても出だしの音がユラユラしてしまうのです。
そういう意味では、出だしの音をしっかり取るのは、私にとって、とても大切な事なんです。
>いつも流れていていいな~と思いました。
声が? それとも音楽が? とりあえず、レガートに歌う様にこころがけています。そう言えば、合唱主体の方は、どうしてもマルカートに歌ってしまう癖があるんですよね。そこは、ソロと合唱の大きな違いかもしれません(笑)。
おお!YouTubeにアップしているなんて驚きました。
でも、確かにこのほうが聴くのには便利です。ありがとうございます。
(ケロログの時は、そっちを聴こうと思ってクリックするとブログの画面がケロログになってしまうので、聴きながら記事を読むにはブラウザを二つ立ち上げる必要がありました。)
発声面では明るい響きの声にいつもながら感心しました。とても勉強になります。
音程のことに関しては自分自身もいつも問題を抱えているので皆様のコメントも参考にさせていただきます。
私も守備練習しなければ・・・という状態です。
流れていていいな~と思ったのは、声です。わたしは、典型的な合唱の人らしく、普通に歌うと全くレガートできません…録音して聴くと愕然とするんですよね~
なので今はそのあたりの修行をしています。
ちょっと調子が悪かったものですから 今 聴かせて頂きました。明るくて伸びやかでとても良いと思います[E:note]でも長く歌えないのは本当に残念ですね、先生もその辺がご心配なのでしょうね、モーツァルトは私には難しいので とてもレベルではありません[E:down] アレルヤとか歌いたいのはあるのですけど 音の飛び方が器楽的なので その辺のセンスがないと本当に苦労します。頑張って もう少しで 見晴らしの丘に立てそう[E:shoe]
すとんさんの声はいつものびのびしていて、雑味がなく澄んでいて、とても聞いていて気持ちいい声質だなあと思います。これは天性のお声なんだと思いうらやましいです。
その上での音程に難ありな状態は、天が与えた試練だと思うんですよ。音程を絶対音感で当てていく、ってのは、よくないくせだと思うんです。次は相対音感を徹底的に鍛えるっていうのはいかがですか。ピアノのドを聞いてソを発声、するとか、音程を意識した相対音の発声練習をされるといいかなあと思いました。若かりしころ、私はそれをかなり鍛えられまして相対音感には自信があるんですわよ。伴奏音から離れた音でも一瞬で相対的な音程のあった音がとれるようになりますからおススメです。地道に毎日の長い訓練が必要ですけど、これはピアノがあれば一人でできますし、ピアノも一音そっと鳴らせばいいし、声も小さい声のほうが当たりやすいのでうるさくないから夜でもできますよ。音楽は、絶対ピッチより相対音程がキモだと思うんです、お声の良さがますます生きるようにがんばってくださいませ。
Ceciliaさん
やはり、YouTUBEの方が良いですか。私も色々なブログに出かけて行って、音源を聞いたり、画像を見たりしてますが、やはり余所へリンクで飛ばすより、ブログに埋め込んだ方が、見る側からすると便利だなあと思っていました。元々、ココログには音声を埋め込む機能があるのですが、私がブログを始める少し前に、ファイルの容量に制限がかかるようになり、まともな音質で音源をアップする事ができなくなりました(当初の私のアップした音源がそれ)。そこで最近まで使っていたケロログならば良い音質でアップできるというアドヴァイスをいただいて、それに従っていたわけですが、やはり時代の流れには勝てませんね。
実は直前までYouTUBEにアップするのは、躊躇していました。YouTUBEですと、全世界公開ですからね(笑)。一応、検索対象から外すように設定してありますが、それとて、いつどうなるか分かったもんじゃないです。なにしろサービス提供者がアメリカ人ですからね、あまり信用してはいけません。でも、読者の皆さんの利便性を第一に考えて、今回YouTUBEアップに踏み切ってみました。私的には、一手間二手間増えましたが、まあ、大した事ではないです。音声ファイルを直接YouTUBEにアップできると、なお良いのですが(笑)。
守備練習は…私が攻撃型の人間であるゆえに、必要なのでしょうが、難しいです(笑)。
椎茸さん
やはり声ですか。レガートに歌うのは、最初の関門ですからね。私もキング先生についた当初は散々注意されました(笑)。無意識に歌っていると、どうしても、マルカートになってしまい、声がつながらないのです。で、そのつながらない事を、何とも思っていないから、なかなか直りませんでした。
私がレガートに開眼したのは、フルートを吹き始めてからです。
声は無意識が支配する部分が多い楽器ですが、フルートって楽器ですから、一から十まで無意識では出来ないのですよ。何事も意識をもって意図的に操作していくわけです。当然、レガートも意識的に行いました。フルートでレガートを叩き込まれたので、それを声楽に応用しているわけです。
私の思うレガートとは『声や言葉には区切りや切れ目をつけても、そのベースとなる息は切らずに絶えず流し続けている事』と考えます。ですから(理想的には)ブレスや休符以外では、常に息は流し続けています。いや、フレーズによっては休符であっても息は流し続けています。そんな事をすれば、息は大量に消費しますが、息が流れている間は、音楽は前進し続けます。
まあ、あくまでも私なりの自己流の歌い方なんですが、もしよかったらヒントにしてみてください(笑)。
グレッチェンさん
長く歌えません(涙)。基本的に無理をして歌っている部分もあるし、余計なところに力が入っている事もあるでしょうし、何より、まだテノールとしてのカラダが出来上がっていない事も原因でしょう。これらは理屈ではなく、練習を重ねることでしか克服できないわけですから、頑張って歌い続けていくしかないのでしょうね。頑張りますよ。
しかし、モーツァルトは難しい上に、地味です(笑)。テノール気質な人間には、何とも手強い相手です。『アレルヤ』ですか…確かに、ソプラノなら歌ってみたい曲ですね。
>音の飛び方が器楽的なので その辺のセンスがないと本当に苦労します。
ああ、確かに、ムチャクチャな音程の取り方してますものね…。いかにも、歌って作曲したのではなく、頭の中でピアノを弾いて作曲したんだなあって想像がつくようなメロディですね。だからこそ、一部の歌手にとっては、やりがいがある…のかもしれませんね。
だりあさん
>これは天性のお声なんだと思いうらやましいです。
ありがとうございます。少し前に、古い録音から私の歌を順番に聞き直したのですが、少しずつですが、ここ数年で声が変わっているのが自分でも分かりました。ドンドン声が若く、明るくなってます。確かに二十代の頃は、こんな声をしていたなあ…と懐かしく思います。おそらくこれが私の本来の声なんでしょうね。その本来の声を取り戻せている事に感謝をすると同時に、いかに生活の雑事で声が老けてしまっていたのか、思い知らされました。
音程は…私の場合は、相対音感でもなく、絶対音感でもな、大体音感なんですね(笑)。「大体…このあたり?」なんて思いながら歌っているわけです。
年齢も年齢ですから、本来、絶対的な音感に頼るのでなく、相対音感を鍛えるべきだというだりあさんの説には至極納得させられます。本来は、ソルフェージュの先生にでもついて、徹底的にそのあたりの修行をするべきだろうと思いますが、なかなかそこまでは徹底できません(汗)。簡単な音感訓練のような練習は、時間がある時に、ちまちまとやっています。なかなか効果は見えませんが、諦めずにやってます。
>音楽は、絶対ピッチより相対音程がキモだと思うんです、
ですね。要は、聞いていて気持ちのよい演奏をするためにも、相対音感って必要だと思うんですよ。それにしても、ほんと、音程は鬼門です。