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息の通り道をしっかり意識しよう

 非日常的な日常生活が続いています。こんな時だからこそ、直接被災していないところや、被害が軽微だったところは、覚悟を決めて、日常生活をしていかないといけないと私は思います。私たちが日常生活を送り、普段通りの経済活動を営む事で、金銭や物資が動き、それが被災地への援助に繋がっていくと思います。被災地ではないところまで、日々の活動を萎縮してしまったら、日本全体が沈んでしまいます。だから、覚悟を決めて、日常生活を送っていきましょう。

 しかし、計画停電で、電車を止めたりスーパー&コンビニを休業させるより先に、遊興施設などの営業をやめてもらい、電力確保をする方が先だったんじゃないのかな?…ボソボソボソボソ 柏崎刈羽発電所の2~4号機が運転再開すれば不足した電力も補えるはずなのに、この緊急時になぜGOサインを出さないのだろう…ボソボソボソボソ

 というわけ(どういうわけ?)で、声楽のレッスンに行ってきた話をします。これもまだ、震災前の話です。

 とりあえず、いつもどおりの発声をやって、さっそくコンコーネをやりました。まずは15番です。

 一度、通しで歌ったところで、息はカラダのどこを通って来るのかという話になりました。答えはもちろん「気道(気管)」です。では、息が気道を通る時に、どういう感覚で息を通したら良いのかという話になりました。単純に言っちゃえば「気道ってどこにあるの?」って事です。気道のある場所をカラダの前面と感じ取って、息もカラダの前面を伝わって登って来ると感じた方が良いか、気道をカラダの背面にあるものと感じ取って、息がカラダの背面を伝わって登って来ると感じた方が良いか…という話です。

 ちなみに、私は、カラダのどこをどういう風に伝わって息が登って来るかなんて、考えた事もありませんでした。ですから、質問されて、慌ててしまいました。

 皆さんはどちらで感じてますか?

 答えは…どうやら、息は背面を伝わってくると感じた方が、結果オーライのようです。

 この感覚は必ずしも解剖学の結果とは一致していませんが、だいたい、歌とか発声と言うものは“結果オーライ”な部分があるわけなので、細かい部分が事実と食い違っても気にしちゃいけません(笑)。

 [私の場合]息はカラダの背面、ザックリ言えば、背中を通ってやってきます。気持ち的には背骨の中を通って来る感覚。いっそ、声帯もカラダの背面にあると感じるくらいの方が、私の場合は良いみたいです(解剖学的事実とは明らかに違いますが…)。

 ですから、頭が上を向くと、うなじがつぶれて、同時にノドがつぶれるわけです。声を後ろにまわすために顔を下向きにして、うなじを伸ばせば、うなじと一緒になって、ノドが伸びて自由になるわけです。だから「息は背骨を通って来る」と思っているくらいでちょうど良いのです(重ねて書きますが、解剖学的には間違ってます)。

 実際に私の場合、息は背骨の中を通ってくる…と意識するだけで、声がガラッと変わります。なので、その感覚を大切にして、背中を通ってきた息を、素直に上に伸ばして上げれば、それで息は頭の後ろに出て来るわけだから、それで高音が出るようになるはずなんだそうです。頑張りましょう。

 しかし、15番の最後の二小節がうまく歌えません。どうやら原因は、最後の最後にある高音Gの音程がちゃんと取れていないからです。ここがうまくはまっていないと、その後に続く音符たちの音程がグチャグチャ。逆にしっかり取れれば、きちんと歌えます。つまり、しっかりとGを出せば歌えるんです。やっと合格しました。

 次は16番。ざっと歌ってみて、譜読みが甘すぎる事を指摘されました。勢いで歌ってはいけません。コンコーネはテクニックを学ぶための教本なのだから、勢いではなく、きちんと丁寧に楽譜どおりに歌うこと。スタッカート、アクセント、スラーなどは明確にしましょう。不合格、次回また頑張りましょう。

 二重唱です。通しでザックリ歌った後に言われたのは「作曲された年代を考えて歌ってください」という事です。

 「愛の妙薬」はドニゼッティの作品です。ドニゼッティはシューマンやショパンの時代の人。つまり前期ロマン派ってやつだね。後期ロマン派[オペラ的にはヴェリズモ]のヴェルディよりも前の時代の人。これは器楽でも一緒だけれど、音楽はロマン派と言っても、前期ロマン派は歌曲や室内楽が全盛で、まだまだ音楽の規模が小さかった時代です。ヨーロッパには、すでに歌劇場もたくさんあったけれど、まだ当時の歌劇場は小規模のものが多かったのです。ロマン派も後期になって来ると、音楽が大衆化して、大規模歌劇場やコンサートホールでの演奏というのが増えてきて、音楽の規模も大きくなり、オペラ的には、ヴェリズモが現れ、劇的な表現や大音量が求められるようになってきたわけです。

 つまりドニゼッティは、ヴェリズモオペラ以前の作曲家であって、彼の時代の歌劇場はみな小さかった。だから彼のオペラには、劇的な表現とか大音声というのは、全然似つかわしくないわけです。むしろ、軽い声でリズムも軽やかに歌う事。こっちの方が、彼のスタイルに沿っているわけです。だ・か・ら、絶対に歌いすぎない事。

 特に発表会会場は、客席も100席程度の小ホールだから、絶対に大きな声では歌わない事を重ねて注意されました。気をつけます。

 それと、今までは細かい装飾音符は無視して歌ってましたが、そろそろ、その手の装飾音符、特にターン(ド[ターン]レ、なら、ド[レミレド]レ、と歌う)をつけて歌えるようにしましょう。

 二重唱は、暗譜が完了したのは良いけれど、一度暗譜したためか、歌い方が、特に細かいところが、ややいい加減になっているようなので注意すること。今一度丁寧に暗譜しなおしてくること。

 オペラなので、登場人物の気持ちを考えて歌うこと。落胆したり、無邪気な気分のところは、それらしく表現して歌うこと。

 あと、せっかくの二重唱なんだから、二人で合わせるところは、しっかり合わせる事。掛け合いながら歌うところは、しっかり掛け合うこと。自分勝手に歌ったりしてはいけない、急いで歌う必要も全くない。相手の歌を聞きながら、時には相手を待ってあげるくらいの余裕が必要。そのためにも、きちんとアイコンタクトを取りながら歌うことが大切。

 最後はアリア。アリアは…とりあえず一歩前進? しかし、まだまだゴールは遠いです。

 先生曰く「たとえ、本番までに曲が仕上がらないようでも、絶対に曲は変えないから、そのつもりで。もしも万が一、曲が仕上がらなければ、ステージで撃沈して来い!」だそうです。ラジャー。

 もっとも、微々たるとは言え、上達している事は確か。まだ本番までは数カ月あるわけだし、今のペースで上達していれば、発表会までには歌えるようになっているはずだから、しっかりと練習して来いとも言われました。「すとんさんは、人前で歌うたびに上達するタイプの人だから、ピアノ合わせで、みんなの前で歌うと、きっとガラッと変わると思うから、そこに期待してます」なんだそうです。私は“100回の練習よりも1回の本番”ってタイプの人間なのかもしれませんなあ。

 とにかく、アリアでは苦しんでいます。このアリアは、さほど難易度が高い曲ではないけれど、ビギナーなテノールが必ず取り組む曲で、たいていのテノールがやはり苦しむ曲なんだそうです。いわばテノールの“最初の壁”とも言える曲なんだそうです。だから、ここを避けて通るわけにはいかないのです。頑張って、苦労して、乗り越えなきゃいけないのだそうです。

 頑張るよ。

コメント

  1. ミルテ より:

    息の通り道はリップロールでその曲(フレーズ)を歌ってみるとよーくわかりますよ。
    試してみてくださいね♪
    ターンも装飾音も時代によってつけ方、入り方が違います。
    違いがわかるようになってくるとおもしろいですよ!
    頑張ってね!

  2. すとん より:

    >ミルテさん

     そうでしたね、リップロールで息の通り道の確認作業ですね、さっそくやってみます。ターンはとりあえず、ドニゼッティの時代のものは教わりました。装飾音って、こだわっていくと、深そうですね。でも、楽しそう。そういうところの違いにこだわるのって、キライじゃないです。

     一歩ずつ、半歩ずつですが、前進していきたいです。頑張っていきます。

  3. だりあ より:

    きょうは、歌のこともですが、前書き?イントロ?に書かれたすとんさんの言葉にちょっと感動しました。「覚悟を決めて日常生活を送ること」まったくそうですね。
    あまりにも衝撃的だったので、報道も過熱していて、みんながあおられるような気持ちになっていて、「普通に」生活できなくなってしまってるように思います。

    大きな災害になると、急にマスコミがそれっとばかり妙に活気付くのがわたしは気に入らないっていうか、マスコミにあおられて普通の感覚で普通に生活することの邪魔してるような気がします。過熱気味とはいえ、一見使命感に燃えての報道のように見えて、実は大災害に乗じて一般大衆の意識を簡単に操作しているところ(マスコミ関係者は無意識かもしれないけど・・・)がマスコミのこわいところなのかなあ、とふと思いました。
    私も、明日からは普通に普通の日常生活を送りましょう、と思います。

  4. すとん より:

    >だりあさん

     確かに震災は大変な事ですし、一刻も早い復興を目指さなければいけません。しかし、そればかりに目が行き、脇が甘くなってしまったら、敵の思うツボです。

    >一見使命感に燃えての報道のように見えて、実は大災害に乗じて一般大衆の意識を簡単に操作しているところ

     例えば…菅総理大臣が、横浜在住の在日韓国人系金融機関の元理事から計104万円の献金を受けていた事から、国民の目をそらすとか? あるいは日本人に知られちゃ困るような法案(例えば二重国籍法案とか、外国人住民基本法とか、国会法改正案とか…)を、この気に乗じて閣議決定してしまおうとか? やりかねないのが、現在の民主党政権と売国マスコミです。

     計画停電で、交通網をマヒさせ、日本経済を萎縮させるのだって、何を狙っているのか分かりません。だいたい、原発事故だって地震で起きた事故とは言い切れません。地震のタイミングで起こさせた工作員によるテロである可能性だって否定できません。民主党政権は、尖閣の時と同様に、色々と隠しているはずです。

     だからこそ、政府やマスコミに踊らされることなく、日常生活を覚悟して行わないと、日本が亡くなってしまう…そんな気がします。

     日本国とは政府の事ではありません、我々日本人が生きて生活し営みをつづけ、言語と文化と伝統を次世代に伝えている、この土地とそこに生きる人々の事を言うんです。

     踏ん張って、平凡で普通の生活をしていきましょう。

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