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譜読みはした方が絶対に良い その2

 楽譜が読めないのは、私のコンプレックスになっていました。

 声楽の個人練習を止めて、20年近く、歌から離れていた私でしたが、全く歌わなかったわけではありません。一般の音楽ファン同様に、プロの音源に合わせて歌ったり、中高生の頃に使った音楽の教科書を引っ張りだして、歌ってみたりしました。

 それを繰り返しているうちに分かった事は、私の場合、楽譜が全く読めないのではなく、読み慣れていないために、楽譜を読むのに時間がかかってしまい、音楽の進行速度で楽譜が読みきれない…つまり、現実的には楽譜が読めないのも同様な状態だったわけです。

 一応、楽典の知識はあったわけだし…ねえ。

 歌を再開したのは、今から15年くらい前です。このブログに書かれていますが、キング先生の門を叩いて、声楽のグループレッスンから再開したのです。

 すでに初老の域に突入していた私は、若い時ほどのムチャはしなくなりました。課題曲を与えられると、もちろん耳コピは併用しましたが、稚拙ながらも楽譜を読んで、1音1音、音取りをするようになりました。

 楽譜を見て、たどたどしくピアノを叩きながら、音を拾っていったのです。手間と時間は掛かりましたが、プロの音源を耳コピしていた時よりも、きちんと正しく、歌がカラダに入っていきました。思った事は「たとえ手間暇かかろうとも、耳コピではなく、楽譜を読んだ方が良いなあ」という事でした。

 もっとも、譜読みをした方が良いとは思ったのですが、実行は難しかったです。当時の私の読譜力は目を覆わんばかりのレベルの低さだし、ピアノを叩くにしても、ピアノだってロクには弾けませんでしたからね。何しろ私のピアノ演奏力は、バイエル70番程度で、やっとやっとたどたどしく両手が使える程度ですからね。きちんと楽譜を読もうと思ったものの、実際に読むのは大変でした。楽譜が細かく記載されているような曲だと、全面的に耳コピに頼ることもしばしばありましたが、それでもやはり、たどたどしくとも、自分で楽譜を読んで、ピアノを叩いて曲を覚えた方が、最終的にはよかったと思います。

 良いと分かっている事が、自分の能力不足で実行できないというのは、なんとも情けないものです。

 やがて歌と並行してフルートを学ぶようになりました。すると、あれだけ歌では苦労した譜読みが、フルートを吹き始めると、みるみるできるようになったのです。不思議ですよね。やがて、音楽の速さで楽譜を読めるようになりました。そうなると、もはや“楽譜が読めない人”ではなくなるわけです。

 最初に読めるようになったのは、リズムです。まず、メロディのリズムが分かるようになりました。リズムが分かれば、音程はフルートで吹いたり、ピアノを弾けばいいのです。フルートの腕が上達するにつれ、やがて、楽譜を見ると、音程も分かるようになって、簡単な曲なら初見でメロディが思い浮かぶようになりました。

 フルートを学んだおかげで楽譜が読めるようになりました。

 楽譜が読めるようになると、歌の学び方もだいぶ変わります。まず、メロディを暗記する必要がなくなります。なので、自宅練習の時に、エネルギーの相当部分を歌の発声と歌詞の発声に投入できるようになりました。

 耳コピでは気が付かなかった事にも気が付くようになりました。例えば、臨時記号の使用の意味です。耳だけで聞いていた時は「カッコいいなあ」程度にしか思わなかった部分は、メロディに臨時記号が使われていたりします。臨時記号が使われる…つまり音階外の音が使われるのですが、その理由について考えられるようになりました。それって作曲家の意思と関係があったりするわけです。

 歌っている歌詞の恣意的な部分や改変されたメロディ…つまり作曲家の意思とは異なる歌唱の逸脱具合にも気が付くようになります。オリジナル主義…というわけではありませんが、作曲家の意思に忠実な歌唱をなるべくしたくなりました。

 そんなわけで、楽譜は読めないよりも読めたほうが絶対に良いし、歌を学ぶなら、楽譜をしっかり読んで譜読みができた方が良いと思います。

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