アンコール上映で、2008年シーズンに上演された、ロッシーニの「ラ・チェネレントラ」を見てきました。今年はオペラに飢えている私なので、本当にワクワクしながら見ていました。
指揮:マウリツィオ・ベニーニ
演出:チェーザレ・リエーヴィ
チェネレントラ(シンデレラ):エリーナ・ガランチャ(メゾソプラノ)
王子:ローレンス・ブラウンリー(テノール)
ダンディーニ(王子の従者で偽王子を演じる):シモーネ・アルベルギーニ(バスバリトン)
ドン・マニフィコ(チェネレントラの義父):アレッサンドロ・コルベリ(バスバリトン)
アリドーロ(王子の教育係の哲学者):ジョン・レリエ(バスバリトン)
チェネレントラ…まあ「シンデレラ」です。イタリア語で“灰被り姫”の事をチェネレントラと言うのです。ですから、ストーリーは誰もが知っているアレです。もっとも、オペラ化に際して、細部の変更があります。
例えば、意地悪な継母は貧乏貴族の義父に、魔法使いは王子の教育係に、魔法は止めて変装をしたり、ガラスの靴ではなくガラスのブレスレットに、変更されています。なので、かぼちゃの馬車はありません。
つまりファンタジー要素は極力取り除かれていますが…19世紀のオペラ演出では、舞台上で魔法の再現は無理だったから…ではないかと邪推しています。これが20世紀になってマスネが作曲した「サンドリヨン」(フランス語での灰被り姫)になると、魔法要素を加えた演出になりますから、時代とともに演出技術も上がってくるというものです。
それはさておき、ロッシーニの「チェネレントラ」は、恋物語ではあるものの、かなり喜劇色の強いものです。
意地悪な継母ではなく、貧乏な下級貴族である義父は、チェネレントラの実の母親(義父にとっての妻)から相続したチェネレントラの遺産(つまり家の正統な跡継ぎはチェネレントラって話です)を使い潰してしまい、それが世間にバレるのを恐れて、チェネレントラを召使いとして、家に軟禁しているのです。王子に姉たちを売り込み、そのツテで、貴族としての職を得るのが義父の目的なのです。で、チェネレントラ自身は、舞踏会に行きたがるものの、舞踏会では王子様(実は王子に扮した従者)には目もくれず、従者(こっちが本物の王子)に惚れてしまう…という、ひねりがストーリーに入っています。まあ、最終的にはハッピーエンドになるのですが…。
音楽は、いかにもロッシーニっぽくて、美しいけれど、早口でガンガンセリフをまくしたてるので、歌う歌手さんたちはとても大変そうです。実際、このオペラ、歌うのが難しいと思うよ。でも、その難しさをちっとも感じさせずに、見事に歌いきってました。やっぱりメトに出てくる歌手さんは、凄腕揃いだね。
歌よし、歌手よしの上に、しっかり演技は喜劇をしていましたので、ちゃんと笑えるわけで、上質なオペラ上演でした。特に主役のチェネレントラを演じていたガランチャは、まだ若くて美人で可愛い感じなので、ほんとチェネレントラにピッタリでした。
ただ、残念な事もありました。王子役のブラウンリーは美声で歌上手なロッシーニ歌いの歌手なのですが…チビでデブな黒人歌手なのです。さすがに、視覚的にダメでしょう? 何をどう贔屓に見ても、王子様には全然見えません。従者、それも下っ端の下働きにしか見えません。
メトの2013年シーズンの「チェネレントラ」では、王子はフローレスが演じてましたからね。舞台では、視覚効果は大切です。キャスティングは重要です。そういう意味では、黒人はもちろん、日本人を含んだアジア人などの有色人種は、オペラ歌手になって海外で活躍できたとしても、オペラの役を選ばざるを得ません。活躍の場が狭まります。これは人種差別ではなく、役にそぐわないって話です。時代劇で白人さんや黒人さんがちょんまげをしてお侍さんの役をやっていれば、どうしたって変な感じしかしないでしょ? それと同じ話です。
とは言え、メトはアメリカのオペラ劇場だから、黒人歌手でも王子様をやらせちゃうんでしょうね。それは日本の舞台なら日本人歌手が王子様をやっちゃうのと同じでしょう。それを考えても、やっぱりオペラはヨーロッパのモノであり、彼らの文化なんだなって思います。
というわけで、王子のキャスティングには視覚的に問題を感じましたが、それ以外には特に大きな問題もなく、満足至極なオペラ鑑賞でございました。
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