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歌声と話し声は違う

 皆さんは意識していますか? 実は歌声と話し声は違います。この違いを、無意識に、あるいは意識的に使い分けている人が“歌える人”で、使い分けられずに、話し声で歌ってしまう人が“歌えない人”であり“へたくそ”な歌しか歌えない人だろうと思います。
 人の声の基本は、当然、話し声です。歌声ではありません。話せない人はいませんが、歌えない人はたくさんいます。

 実際、流行歌を歌う下手な歌手(ごめん)って、よく聞いてみると、音程とかリズムとか、結構正しかったりしますが、聞いた印象はやはり“下手”なんですよ。歌には聞こえないのです。その理由は、話し声のまま歌っているからなのです。

 では、歌声と話し声の違いはどこにあるでしょうか? 私が思うに、話し声って「無頓着に発声された生の声」であり、歌声って「意識的に発声された洗練された声」だと思います。

 私もそうですが、話し声は、話す内容が大切であって、声の美醜にはこだわりませんし、相手に聞こえればいいわけだし、無意識に発声できればいいと思ってますので、実に手抜きでお手軽な発声をしちゃいます。

 でも、歌声は違います。歌う時は無意識に“カッコつけたい”と思うせいもあり、なるべく美しい声を出そうと思うし、大きな声を出そうと思うし、高い声や低い声を出そうと思います。そして、歌う時は、そうなるようにこころがけるわけです。

 つまり、無意識な声が話し声であり、意識的な声が歌声と言えるでしょう。あるいは、生まれついての生声が話し声であり、訓練されて磨き上げた声が歌声とも言えます。

 ですから、声に関する意識が高い人や声を使う職業の人は、話し声が無頓着ではありえませんので、限りなく歌声に近い声で話しているでしょうし、声の美醜に意識の及ばない人が歌えば、限りなく話し声に近い…というよりも、話し声のまま歌ってしまうわけです。

 そうなると、歌声とは訓練された声の事であり、話し声とは未訓練な声の事であると定義しても良いかもしれませんし、声のプロたちは歌声で話すようになり、声に関して意識の及ばない人は、話し声のまま歌ってしまうのかもしれません。

 私が思うに、音痴と呼ばれる人には、リズムや音程が取れずに、歌の形を崩してしまう事で“音痴”と呼ばれる人と、リズムや音程が正しくても、歌声を使うことができず、歌を歌として聞いてもらえないために“音痴”と呼ばれる人の、2種類の音痴がいるのではないかと思うわけです。

 ま、実際に音痴と呼ばれる人は、この2つの要因が重なり合っている事の方が多いんじゃないかと思うのです(だから音痴問題は根深いのです)。

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