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器楽演奏は歌を越えられるか?

 楽器が歌に絶対勝てないのは、声そのものの魅力と、歌詞とメロディの相乗効果だと思います。とりわけ歌詞の役割は大きく、歌詞にはもちろん意味があって、歌詞の意味が歌の曲想をさらに盛り上げる働きがあるけれど、たとえ意味が分からなくても、子音と母音の多彩な組み合わせによる、メロディーラインの彩りの変化の妙というものもあります。 そう、歌って音色豊かなんです。
 しかし、同時に言語の壁というのがあります。言語が変われば、歌詞の意味は分からないし、外国語で歌われる場合、聞く人や場合によって演者にも、心理的な壁を作ってしまいます。
 だから楽器演奏は、そんなハンディをものともせずに、逆に歌にはない利点で勝負をかけないといけないと思います。
 その昔“歌のない歌謡曲”というジャンルの音楽が流行っていました。当時のムード歌謡曲とか演歌とかを、伴奏はそのままで、歌の部分をヴァイオリンとかサックスとかの楽器で演奏していました。私個人は、そういう音楽に物足りなさを感じていましたが、ことさら、この手の音楽を好んで聞いていた人たちもいました。耳馴染んだ音楽だし、歌が無い分、BGMとしての需要があったのだろうと思います。
 今でも、吹奏楽でポップスを演奏するのなんてのも、このジャンルの延長線上の話なのかもしれませんね。
 ただ、歌の旋律を楽器で演奏しただけでは、歌には敵わないと私は思います。せっかく歌の旋律を楽器で演奏するのなら、歌ではできないような演奏をしないと物足りなさが生じてしまうと思います。そのためには、歌では表現できないよう器楽特有の表現を付け加えてみるとか、歌の制限(例えば、必ずブレスが必要とか)を超えた演奏をしてみるとか、重音を巧みに使ってみるとか、とにかく演奏上の何らかの工夫が必要だろうなあって思うのです。

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コメント

  1. オペラ座の怪人の怪人 より:

    経理部で働いている私は、
    決算中も、ず~っと、すとん様エッセイを読んでおりましたが、
    決算で心の余裕を失っており、
    コメントは、ほとんど書きまへんでした。
    色々と、私好みのお題もあったのに、残念です。
    先週、株主総会が終わり、
    心の余裕も取り戻しましたので、
    しばらくはコメントを(ひょっとすると多数)
    書いちゃおうかな、と思っております。
    私、音楽を集中して聞く、
    音楽だけを聞く、ということはせず、
    テレビを見ながら、本を読みながら、
    勉強をしながら、音楽「も」聞く、
    というスタイルに徹しており、
    まあ、音楽はBGM、ということです。
    歌は、日本語だと意味が気になり、心が乱れ、
    外国語だと、意味は何だろう? と心が乱れるので、
    もっぱら器楽演奏、
    特にフルート演奏を延々聞いております。
    一方、ごくまれに「歌」を聞いていて、
    日本語でも、外国語でも、
    とってもうまい「韻」を踏んでいるのがあると、
    ちょっと感動します。
    韻、なんて、ダジャレに過ぎない?
    いえいえ、優れた韻が高い評価を得ているのは、
    大昔からです。
    と、長々、とりとめのない私のコメント、
    お許しください。
    ヾ(・◇・)ノ ヽ( ̄▽ ̄)ノ ヽ(・∀・)ノ
    (-A-) (-A-) (-A-) ← ざっくぅ
    おしまい

  2. すとん より:

    オペラ座の怪人の怪人さん
     ああ、私はむしろ集中して音楽を聴くタイプです。「ながら」はちょっと無理です。勉強しながら音楽を聴くと、勉強に集中して何を聞いているのか分からなくなるし、音楽に聞き入ってしまうと、手も頭も止まってしまいます。まったく「ながら」ができない人です。
     でも、「ながら」をしないわけではないのですよ。例えば、お菓子を食べながら音楽を聴くなんて、しょっちゅうやってますが、何を食べたか、どんな味だったかは分かりませんが、分かんなくてもいいやと思って食べてます。風呂に入りながらも音楽聴きますが、つい音楽に聞き入ってしまうと、今しがた何をやっていたのか分からなくなります。「あれ、頭を洗っていたんだっけ? それともカラダかな?」なんて、よくやってます。
     でも、電車のホームで音楽を聴いて、音楽に聞き惚れて電車を乗り過ごした…という経験はさすがにありません。知人でそういう人がいますが、なので彼女は絶対に外で音楽は聴かないのだそうです。音楽に集中しすぎて、身の危険すら感じるそうですよ。

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