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なぜ歌うの?(フルートの練習なのに)

 ポピュラーの練習の終わり頃、先生に、どうして最初に歌わせるのかと尋ねてみました。

 答えは、いくつか返ってきました。

 まずは、先生がその曲について、よく知っているとは限らないこと。むしろ今回の曲は二曲とも、よく知らなかったそうです。だから、まずはどんな曲なのか知りたいという、単純な理由。つまり、先生は全然知らない曲でも平気で伴奏しちゃうということね。

 次に、私がどういう感じで、その曲をやりたいのかを知りたいから。「こんな感じで…」と口で説明されるよりも、実際に歌ってもらった方が、よく分かるからだそうです。

 主な理由としては、そんなところ。まあ、歌ってもらった方が色々と手っとり早いので、歌ってもらいました、ってところでしょう。

 さらに先生は説明を付け足しました。「歌は音楽の基本です。フルートを上手に吹くためには、まずきちんと歌えないと…。歌えない人はフルートも上手になれません。だから…」

 聞き方によっては、ちょっとキビシイ言葉ですね。でも先生は深刻に言ったのではなく、サラっと言い流したので、特に悪意はないセリフだと思います。でも、やはりキビシイ一言かな。

 と言うのも、実際問題として、フルートに限らず、器楽の人の中で「歌って」と言われて躊躇なく歌っちゃう人って、一体どれくらいいるんだろ? プロやその卵はともかくとして、趣味レベルだと「私は歌えないから楽器をやりま~す」って人の方が多いような気がする。そうなら、この言葉は結構キツいなあと思います。

 でもね、笛先生に限らず、器楽系の先生って、皆さん口をそろえて「歌が基本」とか「楽器を持つ前に歌ってみよう」とか「歌うつもりで演奏する」とかおっしゃいます。ポピュラーの人のみならず、ラ・フェル・ジュルネのマスタークラスで見た、クラシック系の先生たちも、みなさん必ずこう言っていたよ。「楽器を演奏する前に、そのフレーズを歌ってごらん」 ちなみに昨日の記事のmegiさんのコメントでは、ウィーンでも状況は同じらしいです…「オーケストラや、オペラ歌手を想像しろ」だそうです。

 つまり、歌は音楽の基本。

 そうなんだろうね。そして、少なくとも「旋律を奏でる」ということに限るならば、やはり楽器は歌の延長線上にあるんだろうし、そうあるのが理想なんだろうね。

 しかし、レッスンの場で、いきなり実際に歌わされるとは思わなかったよ。おかげで、次のレッスンのために、フルートの練習にプラスして、歌の練習もしておかないといけなくなっちゃったじゃない…。

 というわけで、自宅で次のレッスンのための曲の練習をしてます(フルート&歌…です)。

 フルートと合わせて歌の練習もしてみて、分かったことがあります。それは…

 頭の中に階名唱を思い浮かべながらフルートを吹くのと、実際の歌詞をつけて頭の中で歌いながらフルートを吹くのでは、フルートの吹くフレーズが全然違ってしまうこと。もちろん、違うと言っても、譜面上では全く同じだけれど、アーティキュレーション? フレージング? なにしろ、その手の細かなニュアンスのようなものが違ってきます。もちろん、実際の歌詞をつけて頭の中で吹いた方が、より良い、より歌に近いニュアンスが出るような気がします。

 そう言えば、前回の「踊ろよ、ベイビー」にしても「ホワイト・ルーム」にしても、階名ではなくて歌詞を思い浮かべながら吹いていたなあ…。だから良かったのかな?

 実際に今練習している、次回持っていくつもりの「愛のプレリュード」は指がすごく難しいところがあります。「愛のプレリュード」は、基本的には歌詞を思い浮かべながら演奏しているのだけれど、どうしても、その難しい箇所だけは歌詞ではなく、階名を思い浮かべながら吹かないと上手くできなくてねえ…。

 と言うのも、歌詞でなく階名ならば、何とか指もまわって吹けるのですよ。でも、途端に演奏がつまらなくなるんだよね。歌詞で吹くと、いい感じでニュアンスのある演奏になるけれど、途端に指がまわらなくなる(涙)。両立できればいいのだけれど、両立できません。実際難しい指遣いでねえ…。

 いやはや、頭に階名を浮かべるか、歌詞を思い浮かべるかで、フルートの演奏が変わるんですよ、ホントのホントに。

 それにしても、とりあえず私、歌える人でよかったよ、決してうまくはないけれど、ネ、マジで。

コメント

  1. Cecilia より:

    私が常々思っていることです。
    たとえばフォーレの「夢のあとに」。
    器楽演奏が多いですね。
    でも歌を知って演奏している人はどれくらいいるのかな・・・と思うのです。
    歌を知っているのと知らないのではアーティキュレーションが変わってきますよね。
    アマチュアだから仕方がないとかこれくらいでいいと思わずに、できるだけもとの曲を知った上で演奏する・・・という気持ちを持ちたいですよね。
    歌の私達はそういう気持ちなしに楽器演奏ができないと思える点で、楽器しかしてない人に比べて得していますよね!

  2. 松尾篤興 より:

    歌と楽器の事についての記事を掲載していますが、お知恵を拝借したいと存じます。
    何卒、宜しくお願いいたします。
    http://blogs.yahoo.co.jp/matsuoatsuoki/folder/1148862.html

  3. すとん より:

    >Ceciliaさん

     基本的に同感です。でも…

     歌をやっている人は、何でも(と言うと言い過ぎかもしれないけれど)歌から入りますし、何でも歌のルールでやりがちです。“楽器を歌わせる”という点では有利だけれど、その一方で何かを見失っているのかもしれません。実は私、その“見失っているもの”が不気味で仕方ありません。

     という杞憂はあるのですが…、まあそれは横に置いて、フルートの場合、演奏曲目は、オリジナルが少ない&難しいということもあり、アレンジものを演奏するケースがとても多いと思います。そんなアレンジものを演奏する上で、元の歌を知っているか知らないかでは、大違いだろうと思います。

     日本人は一般的に外国語が苦手です。だから、有名な声楽曲やオペラアリアを、原曲そのままの形でなく、演奏曲として、言葉を抜いた形で、親しみ、そのまま定着している事が多いのではないかな? アレンジされた器楽曲の方がオリジナルだと錯覚しているケースも、なきにしもあらずのような気が…。

     フルートでもよく演奏する、ヘンデルの「ラルゴ」とか、バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」とかに、歌詞があるって知ってる、アマチュアフルーティストさんって、どれくらいいるのかな?

  4. そういや、私も生徒さんたちによく言いますね。
    「歌って~!!」と。
    しかし、ちびままっちの頃の私は歌うのが恥ずかしかったのと、音楽の時間の歌のテストがキライだった(今の私しか知らない人にはぜ~~~ったい信じてもらえないけど、ちびままっちは引っ込み思案で恥ずかしがりやな女の子だったのですよ)

    だから、歌うのがイマイチだから器楽に走ってしまうという気持ちはわかる、わかるよ~~~。

    でも逆に、器楽だからこそ歌わなきゃという理由も1こ思い当たるんです。
    ピアノなんて息してなくても弾けちゃうもんね。
    声楽の伴奏をやっていたら(学生の頃の話ね)「く、苦しい!!しぬ~~~~!!」と、友達に怒られました。
    アタシの伴奏では息ができないと。
    ポピュラーの指導とか、それこそ合唱コンクールの伴奏指導とかしますが、歌モノを弾き語りではなく、ピアノソロでやる場合なんかは歌詞も考えてねといいます。合唱も、『伴奏者も歌の一員だと思って、伴奏してなかったら歌っていたであろう自分のパートを歌いながら弾け』といいます。

  5. すとん より:

    >松尾さん

     お伺いして、場違いではないかな? と思いながらも、コメントしてきました。よろしくお願いします。

  6. すとん より:

    >ことなりままっちさん

     確かに、ピアノは息をしなくても弾けますね。

     息で思い出しましたが、「息を合わせる」という言葉。

     少なくとも歌手と伴奏ピアニストの場合は、文字どおり「息を合わせる」ことが、何よりも大切でしょうね。息を合わせることで、細かなニュアンスまで共有できる。息は大切です。

     生きているから息をする。そして、その息に乗せて声を出し、声がやがて歌となるわけだ。だから何だと言われれば、それまでだけれど、歌は生きることとつながっているのかもしれない(ちょっと無理あるかな?)。

    >歌モノを弾き語りではなく、ピアノソロでやる場合なんかは歌詞も考えてねといいます。

     ははは、確かにブレスのタイミングを取ってくれない楽器演奏は、聞いていて、息苦しくなりますね。だって観客って、演奏に合わせて、息をしているんだよね。うんうん。

  7. 松尾篤興 より:

    To Ston
    早速の投稿、まことに忝のうございます。
    物事を運ぶにはそれなりの論理が必要とされるでしょうが、それらを裏付ける実践論を軽んじるわけにはいきません。
    すとんさんの音楽にかける情熱が伝わってくるコメントを頂いて、大変嬉しく存じます。
    今後とも是非、この芋神対談に御参加下さいますようお願い申し上げます。
    有り難うございました
    松尾篤興

  8. めいぷる より:

    歌う事は大事だと思いますよ。
    あと、歌詞の言語構成も重要ですね。アウフタクトの歌えない日本人は、その概念が日本語に存在しないからなんですって。。。その曲の生まれた国、生まれた時代の文化を理解する事、バックグラウンドを知る事も大事ですね。

    皆さんのコメントも読んでいて、ある事を言っていた音楽家のことを思い出しました。

    音程の取れないフルーティストと、ブレスの出来ないヴァイオリニストがアンサンブルする事が一番大変!なんだって。…納得。

  9. すとん より:

    >松尾さん

     松尾さんのブログの中で、私のような者に声をおかけくださった事に対する、感謝の気持ちとして、コメントを書かせていただきました。果たして、あれでよかったのでしょうか? 不安が残ります。でも、うれしかったです。

     他の方々へ。私がコメントを寄せた「芋神対談」は以下のアドレスです。
    http://blogs.yahoo.co.jp/matsuoatsuoki/20652053.html

  10. すとん より:

    >めいぷるさん

    >音程の取れないフルーティストと、ブレスの出来ないヴァイオリニストがアンサンブルする事が一番大変!

     あ痛! フルートは普通に吹けば正しい音程が出る管楽器なのに、私はうまく音程が取れません(涙)。ま、楽器を変えたら、だいぶマシにはなりましたが…。でも、やっぱり少し音がうわずります。歌だとぶら下がるのにねえ…。

     それにしてもアウフタクトですか…。確かに日本語にはないリズムだねえ。アウフタクトで始まる“音頭”があったら、それはそれでかっこいいと思うけれど…。ないだろうなあ…。

  11. 松尾篤興 より:

    To Ston
    芋神さんは私と同郷の博多在住の合唱指揮者。高校の後輩でもあります。
    私が目指している事。アマチュアの音楽愛好家(私のお弟子さんを含む)がプロの連中と期して戦える程の実力をつけて欲しい、この一言につきます。
    つまり音楽界の石川遼を誕生させる事でしょう。
    そのためにアマチュアの皆さんの応援とお力添えを必要としています。
    すとんさんもその中のブレーンの1人として是非お出まし頂きたいと願う次第であります。
    何卒、今後とも宜しくお願い申し上げます。松尾篤興

  12. すとん より:

    >松尾さん

     ブレーンなんて大層なモノは無理ですって。でも一ファンとして見守り、時どき戯れ言を垂れ流すくらいならできます。そんなところでどうでしょうか?

    >つまり音楽界の石川遼を誕生させる事でしょう。

     かっこいいな~。でも、真のアマチュアリズムって、そういうものなのかもしれませんね。『プロになれなかったからアマチュアとして、くすぶる』のではなく『プロとは異なる地平を目指すために、あえてアマチュアで行く』。で、違った地平から、ポ~ンと新星が飛び出すわけですなあ、かっこいい、かっこいい。

     松尾さん、かっこいいです!

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