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移動ド唱法は、ある意味、宗教みたいなものでしょう

 だからと言って、固定ド唱法が正義であるというつもりもありません。
 信者の方々は、移動ド唱法さえ学べば、音程正しく歌えると思っているようですが、そんな事はありません。生きた実例がこの私です。
 音楽を学ぶ際に、相対音感を身につける事は大切です。これには批判の余地はないと思います。この相対音感と移動ド唱法をセットで考えるのが信者の皆さんの大原則のようですが、私の体験上、相対音感と移動ド唱法は、特に関係ありません。
 相対音感って、前後の音と、和音の中での位置づけで、目的の音程をアジャストしていく音感でしょ? それらの手がかり無しで、バシッと目的の音程が分かるのが絶対音感で、相対音感とは、周囲の手がかりを利用して音程の確認と修正ができる程度の音感の事を言います。
 移動ド唱法というのは、階名唱の別名です。階名という概念は大切ですし、階名唱ができると便利な場面はありますが、だからと言って音痴撲滅には…どれくらい役立つのでしょうね。
 階名…と言うか、音階で音楽を捉える事は大切です。これができないと、アドリブできません。アドリブ演奏するためには、リズムと和音と音階の三要素が必要ですからね。だからジャズやポップスの器楽の人は音階の練習を徹底的にやります。私もフルートの練習の時には、必ず音階練習をします。もう、寝てても十二調の音階をスラスラ演奏できるようになるのが理想なんですよ(結局できるようにはなりませんでした)。
 もちろん歌でも音階練習は必要だけれど、それが階名とつながる必要はあるの? 別に母音唱法でいいんじゃない? いやむしろ、あえてドレミにつなげずに、同じ母音で歌って、純粋に音程の差を感じながら練習した方が良いのではないの? 音程差を意識しながら練習する事は大切よ。ドレミにつなげちゃうと、ドレミを言う事で満足しちゃって、音程にまで意識はいかないでしょ?(少なくとも私はそうでしたよ)。それじゃダメだよね、本末転倒だ。
 まず、大切なのは、ドレミで歌える事ではなく、音程差を感じながら歌える事。そうやって相対的な音感を磨く事が美しい音程で歌えるようになる第一歩でしょう。
 「○○さえすれば問題解決」と言われたら、まずは疑うべきでしょうね。世の中、そんなに美味い話が転がっているわけないものね。美しい音程で歌い続けるのは難しい事です。だから、プロ歌手という職業が成り立つのです。誰でもかれでも美しい音程で歌えたら、プロ歌手なんていらないものね。
 じゃあ移動ド唱法は無意味なのかと言うと、別にそうではないです。例えば合唱なんかは、移動ド唱法で歌っていると、長調の曲を歌っている時は、その調のその和音の中で、自分のパートの音の役割…例えば、今歌っている音が主音なのか属音なのかが分かりやすいでしょ? 分かればハモリやすいものね。役に立ってます。まあ短調の曲とか長短混じっている曲とか激しく転調しちゃう曲では、混乱が生じるので、あまり役に立ちませんけど…。
 移動ド唱法は限定された場面では有用な唱法です。それは固定ド唱法も同様です。なので、移動ド唱法で歌えば音痴は治るというのは、信仰でしかありません。
 ですから「布教活動は、ぜひ余所で行ってください」と私は言いたいです。

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