スポンサーリンク

移動ド唱法に関する恨みつらみ愚痴

 昨日の記事は割と冷静に書きました。今日の記事は怨念を込めて書きたいと思ってます。
 私の子ども時代を思い出すと、小学校~大学までの音楽の時間で使っていたのは、いわゆる固定ド唱法だったと思います。先生方が授業中に使っていたのは固定ド唱法だったし、私自身も固定ドで音楽を学んでいました。
 高校時代からいくつかのバンドをやりましたが、そこでも使っていたのは固定ドです。就職して社会人になると、市民合唱団に入って歌いましたが、そこでも使っていたのは固定ドでした。ですから、20代中頃になるまで、私が属する音楽の世界では、固定ドがデフォルトでした。
 20代中頃になって、初めて声楽の個人レッスンを受けるようになりました。その時の師匠が移動ド唱法の人でした。どんな楽譜でも、一瞥の後には移動ドで歌えるんです。もはや、特殊能力ですよ。
 なので、生徒である私にも移動ドで歌うように求めました。コンコーネはもちろん、イタリア古典歌曲も、まずは移動ドで歌わされました。
 …できるわけありません。だって、物心ついた頃からずっと固定ドで音楽をやってきた私ですから、やれと言われたからと言って、即座に移動ドができるほど、二十代半ばのオニイチャンの脳みそは柔軟ではありません。子どもじゃないんだし…ねえ。
 なので、つっかえつっかえ移動ドで譜読みして歌ったのですが、先生のご機嫌はすごぶる悪かったです。固定ドならスラスラ歌えるのですから、固定ドで歌わせてくれないかと頼みましたが、速攻で否定されました。移動ド至上主義者だったようです。
 そこで移動ド唱法をマスターしようと決心しましたが、決心したからと言って、すぐに出来るようにはなりません。特に最初の頃は、ほんと、よちよち歩きだったのです。
 でも先生はそれを認めてくれませんでした。たかが譜読みに何を手間取っているのかと、散々叱られました。ヒステリックな叱り方をする人だったので、とても辛かったです。
 私なりに頑張りましたが、移動ドに慣れる事はありませんでした。一つの曲をどうにか移動ドで歌えるようになっても、別の曲になれば調が変わるわけで、また覚え直しだし、同時に2~3曲やっていたので、それらの曲の移動ドが混ざる混ざる…いやあ、本当に辛かったのです。
 どうしても移動ドでスラスラと歌えなかった私は、そのうち、楽譜の上に、それぞれの移動ドでの階名を書くようになりました。メロディはメロディで、事前に別に音取りをし、そこで音を取ったメロディに歌詞として、移動ドでの階名唱を加えるようにしました。これなら、表面上は移動ドで歌っているように聞こえます。それだけの準備をしてからレッスンに臨むようにしたところ、先生は、ひとまず満足していたようです。
 でも、歌っている私は、すごく違和感を感じていたし、気持ち悪かったんですよ。だって、楽譜上は“ラ”なのに、それを“ミ”と歌わないといけないんです。ほんと、気持ち悪くなりました。吐きたい気分です。ですから、やがて五線譜を見ずに、上に振ったカタカナの階名だけを見て、歌うようになりました。
 私の場合、階名だけ見て歌うのは、あまり正確には歌えません。やはり五線譜を見て、視覚的に表された音程差を頼りに歌いたいのてす。それに階名だと、時々間違えます。「ラミ」と書かれていると、後ろにある「ミ」は「ラ」よりも高い音なのか低い音なのか分からないじゃないですか? で、たまに間違えました。そりゃあそうでしょ?
 その先生のところでは1年程学んでいましたが、この先生について習っている間は、歌は苦行でしかありませんでした。歌はカオスになってしまいました。結局、歌(ってかソルフェージュ)で言えば、習い始めるよりも下手になってしまいました。今、音程が不安定になりがちなのは、この頃に移動ドを仕込まれて、散々混乱した影響が大であるとすら思っています。
 まあ、それ以外にもアレコレあって、以前このブログにも書きましたが、門下生全員が一度にその先生から離反するという事件があり、私はイの一番に先生から離れ、同時にクラシック声楽や合唱が大嫌いになり、その後、十年以上も歌の世界から離れた生活をするようになりました。
 あの時、移動ド唱法にさえ出会わなければ、私はずっとずっと楽しく歌っていたんだろうなあと思います。私は移動ド唱法によって、人生が狂わされました。音楽が嫌いになりました。歌を憎むようになりました。
 今思うと、移動ド唱法によって、失われた数十年間が、本当にもったいなく感じます。移動ド唱法が憎いし、それを崇め奉る人に嫌悪感を抱かざるを得ません。私の人生を返してくれ!と叫びたい程です。
蛇足 ドレミファと口で唱えたからと言って、必ずドとレの間は全音で、ミとファの間は半音になるわけないじゃん。特に素人なオトナなら、無意識で歌えば、ドとレの間も、ミとファの間も、ほぼ同じ。意識して「ミとファの間は半音だから…」とか思わないと半音の音程にはなりません。いやいや、それ以前に「ドとレの間は全音だから…」とか思わないと全音の音程にもなりません。オトナの素人なめんなよ。
 ドレミファソラシドと唱えても、最初と最後のドの間が1オクターブにならないのが当然なんだからね。その間の音程なんて、もうその日の気分だよ。
 そんな不確かな移動ドに頼らなくても、たとえ呼び方が固定ドでもドイツ語読みでも、一つ一つの音の音程を確認し、音と音の音程差をきちんと確認しながら、音取りしていければ、呼び方(歌い方)なんて、どーでもいいと思うわけです。
 むしろ、肝心なのは、譜読みの際に、譜面を見て、楽器等で音取りしないで歌っちゃう事でしょうね。実は、私、面倒くさくなると、これやっちゃいます。本当はピアノで音を取るべきでしょうが、フルートを学んでいた時に、楽器で演奏する前に、歌って譜読みをする癖が付いていた(まず、楽譜を初見で見て歌って、それで曲のイメージを掴んでから、楽器を手にする…という手順ね)ので、初見で歌ってみて、曲のイメージを掴んだら、そこからピアノで音取りをせずに、そのまま本番の歌の練習に行っちゃう癖があるわけで、これはこれでダメですね。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。

にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ

にほんブログ村

コメント

  1. tak より:

    初めまして。最近よくすとんさんの記事を拝見している声楽愛好家です。
    なんだか、すとんさんは個性的な先生に当たることが多いのですね…
    自分の流儀を押しつけるとか感情に任せて怒るとか、私はそういう先生に当たったことがないのでとても気の毒です。
    ですが、その度に適合しようと努力するところにすとんさんの真面目で誠実な人柄が伺えます。
    合わないと思ったらさくっと先生を変える、というのが気軽にできたらどれだけ楽だろう、と最近よく思います。
    習い始めは合っていると思っていた先生も、上達するにつれ「あれ、この先生合わないかも…?」と思うようになることだってありますし。
    ですが、お世話になったのに先生を変えるのは申し訳ないし、今の先生と新しい先生が知り合いだったら気まずくならないか…?なんてことも考え始めてしまうと、なかなか行動に移しづらくなるんですよね。

  2. 如月青 より:

    移動ド以前に、初見ができるというだけで尊敬します。私のような音痴は、ピアノその他で自分のパートの音を聞かせてもらってそれに合わせて、というプロセスがないとどの楽譜にもついていけません。
    と同時に、和音コードが字を見ただけでは理解できません。「Aマイナーのサスフォー」とか。五線譜なしでコードネームだけで演奏できるギターやポピュラーピアノの方は天才に見えます。
    移動ドって、もともと和声法の都合で各調の始まりの音をドにして音階を理解しやすくするためのものではないかと思うのですが、作曲・編曲をする人、あるいは移調楽器を扱う人でなければ必要かな、と私も思います(単にコード規則が理解できないだけ?)。
    ただ音大では必須の課題なんでしょうね。すとん様の元先生は、自分が絞られた経験を生徒は皆しなければならない、と思い込んでおられたのでは?

  3. すとん より:

    takさん、いらっしゃいませ。
     ええと、あえて一般論で言うならば、例え教え方が下手であっても、師弟の関係となった以上、誠心誠意を尽くして、師に仕え、師から学んでいこう…というのが、私の基本的な考え方です。たとえ師匠から無茶振りをされようとも、それもまた修行の一環であるとわきまえて、その無茶に応えようとしちゃうんです。
     実際、生徒側からは「こんな事、一体、何の役に立つんだい?」と思われるような無茶振りであっても、先生側には深謀遠慮があっての必要な課題だったりする…こともありうると私は考えちゃうわけです。だから、一生懸命に、先生の無茶に応えようとするわけです。ちょっと損な性格だなって思わないでもないです。
    >合わないと思ったらさくっと先生を変える、というのが気軽にできたらどれだけ楽だろう、と最近よく思います。
     こういう悩みを抱えている人って、少なからずいるみたいだし、ネットのフルート友達には、やはり数名、こういう人がいました。
     私が思うに、気軽かどうかは別として、小学校課程終了したら中学校へ進むように、習い事であっても、ある程度の年月を経過したら、先生を変わる/変えるべきだと思います。ずっと同じ先生に習い続けるというのは、大人になっても小学校に通い続けるようなモノだと思います。
     本当に上達したいと思うなら、自分の上達に合わせて、または、自分の学びたい事に合わせて、先生も変えるべきだと思うのです。初心者はともかく、中級者以上なら、複数の先生から学ぶのもアリだなあと思わないでもない私です。
     とは言え、現実問題としては、先生同士のつながりとか、経済的な側面もあったり、地縁や学閥問題もあったりして、そんなに簡単じゃない事も分かってます。

  4. すとん より:

    如月青さん
    >五線譜なしでコードネームだけで演奏できるギターやポピュラーピアノの方は天才に見えます。
     実は五線譜なしのコードネームだけで演奏できるのは“基本のキ”だったりします。私も、もちろん出来ます。だから全然“天才”の仕事ではありません。むしろ、ポピュラー音楽の世界だと(最近はだいぶ減ったようですが)譜面の読み書きができないプロの方もいらっしゃるみたいです。
     音楽のジャンルが違うので、必要とされる技能が異なるだけです。
     例えば、ビートルズのポール・マッカートニーは、ビートルズ当時、五線譜の読み書きが全くできなかったそうですが、それでもあれだけの名曲を作曲し続けたんだそうです。
     ちなみに、ボールは楽譜の読み書きができないため、それを他人任せてしまった結果、50歳の頃に作曲した最初のクラシック作品である「リヴァプール・オラトリオ」が、100%ポール自身の作曲なのに、彼の音楽を楽譜に書き留めただけの人に、著作権の半分を取られてしまったと、後のインタビューで答えています。なので、その次のクラシック作品「リーフ」からは、他人に頼らずに、パソコンに頼って、彼の音楽を楽譜に書き起こしているんだそうです。

  5. 巌本 康治 より:

    「固定ド」でないと歌いにくいということに大変興味を覚えました。私は20歳過ぎるまで「固定ド」という言葉を知りませんでした。そのときは、すべての調をハ長調(あるいはイ短調)で読むものと解釈して実践してみましたが調号が増えると実行不可能でした。
    私は大学生になるまで鍵盤楽器もギターもリコーダーも触ったことがなく、家にはCのハーモニカが一つあっただけなのでハ長調以外の曲は全部ハ長調に移調して吹いていました。
    「固定ド」で楽譜を読むとなると音域に合わせて移調して歌うときなどは「ドーシラソー ラーソファミー」を「ミーレドシー ドーシラソー」とか読みなおすのでしょうか。メロディーとドレミの対応が一致しないような気がするのですが支障ないのでしょうか。

  6. すとん より:

    巌本 康治さん、いらっしゃいませ。
    >「ドーシラソー ラーソファミー」を「ミーレドシー ドーシラソー」とか読みなおすのでしょうか。
     「読みなおす」というのがよく分かりませんが、移調して楽譜を書き換えたのなら、書き換えたように読みます。その結果、元の楽譜に「ドーシラソー ラーソファミー」と書かれていたものが、移調されて「ミーレドシー ドーシラソー」と書かれていたら、そのとおり「ミーレドシー ドーシラソー」と読みます。
    >メロディーとドレミの対応が一致しないような気がするのですが支障ないのでしょうか。
     メロディーと言うよりも、音階ですね。音階とドレミが対応していないのが『固定ド』の特徴です。その代わり、音高(絶対音程)とドレミが対応しているわけです。ドレミを階名として使っているのが移動ドで、音名として使っているのが固定ドなのです。
     なので、私のように固定ドで慣れている人間からすると、移動ドは「音高とドレミが一致していないけれど、それで気持ち悪くないのですか?」って思うわけなのです。
     誰でも、自分が慣れ親しんだ世界が一番気持ち良いわけだけれど、それを他人に強要するのは他人の尊厳を認めていない専制的な行いだと思うわけです。
     「私とあなたは違う人間なのだから、それぞれのやり方が違っていても全然構わないけれど、そんな違うことをしているあなたの事を、私は尊重しますから、あなたも私の事を尊重してくれると、うれしいです」というのか、自由主義的な考え方だと思うわけですし、現代日本社会はそうあるべきだと思うのですが…これがなかなか難しいのも理解しています。

  7. 巌本 康治 より:

    すとん様、お返事ありがとうございます。
    絶対音程とドレミが対応しているのが「固定ド」で音階とドレミが対応しているのが「移動ド」なのですね。
    そうすると絶対音感がないと「固定ド」は無理なのでしょうね。
    私は子供のころからずっとラジオで時報のA=440Hzを一日に何回も聞いているのにそのAの高さの音を思い浮かべることも声にして出すこともできません。なので、私には絶対音感はなく、「固定ド」は無理かもしれません。

  8. すとん より:

    巌本 康治さん
     ん? 私にも絶対音感なんて無いですよ。あんなものは、職業音楽家と一部のお金持ちの子女が持っているもので、一般人は持って無いのが普通です。
     でもね、絶対音感というほど厳密なものでなくても、普通に記憶力ってヤツがあれば、ドと、一オクターブ上のドが違う音だって分かるでしょ? もう少し記憶力が良ければ、ドと、5度上のソが違う音だって分かるでしょ? 3度上のミが違う音だって分かるでしょ? もっと耳が良ければ、ドとレの違いとか、ドとド♯が違う音だって分かるでしょ? そういうふうに“違う音”だって分かっているのに、それを同じ名前で呼ぶ事の気持ち悪さを感じるかどうかって話なんですよ。
    >ずっとラジオで時報のA=440Hzを一日に何回も聞いているのにそのAの高さの音を思い浮かべることも声にして出すこともできません
     注意力の問題なのかもしれませんね。私だって、聞き流す程度にしか聞いてなかったら、時報の高さを思い浮かべることができなかったと思います。でも、音楽を趣味にするようになって、音を丁寧に聞くようになって、自分が感じている音を声に出す訓練を受けてきたら、自然と分かるようになり、時報の音だって、思い浮かべられるようになりましたよ。
     音楽って、自然にできるようにはならないと思います。どういうふうに学び、どんな訓練を受けてきたかでアレコレ変わると思います。私の場合も、最初っから移動ドの訓練を受けいたら、今は移動ドの人になっていたかもしれないけれど、私はそうではなかったわけです。むしろ、絶対音感の人たちに囲まれて音楽やってきた…のかもしれませんね。
     だから絶対音感は持ってないけれど、やっぱりドはドだなって感じるわけで、それ以外の何者でもないじゃない? それを別名で呼べと言われる方が、私は気持ち悪く感じるような世界にいたわけです。

タイトルとURLをコピーしました