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なぜクラオタは懐古的なのか?

 私もクラオタですが、クラオタの友人たちと話していて感じるのは「どうしてこの人たちは、こんなにも古いものが大好きなのか?」です。とにかく、クラオタで、古いもの、昔のものが大好きって人が多すぎます。
 もちろん、クラオタって年寄りばかりです。平均年齢高めです。ですから、ある程度は昔の世界に生きているわけだし、懐古的になるもの分かるけれど、それでもなあ…って思うわけです。
 例えば、今ここに現役のクラオタさんがいるとします。彼は毎月たくさんのクラシックCDを購入し、コンサートにも足繁く出かけるくせに「あなたにとって、最高の第九はなんですか?」と尋ねると「フルトヴェングラーの第九です」なんて平気で答えちゃうんです。
 ちなみに、フルトヴェングラーのあの有名な第九が録音されたのは1951年ですし、彼自身1954年に死んでます。フルトヴェングラーのリアル世代のファンだとしたら、どんなに若くても、彼の死去の年に20歳だったとして、今は90歳です。
 当然、その方、フルトヴェングラーなんてリアルタイムじゃ知らないんですよ。あの、ノイズだらけの音源でしかフルトヴェングラーを知らないのに、アレが最高の第九だと答えてしまうのです。
 所詮、音楽鑑賞なんて趣味ですし、好き嫌いの問題ですから、誰が何を最高だと思っていてもいいのですが、それにしても、まるで判で押したように「フルトヴェングラーの第九」を最高だと言う人が多すぎます。
 私が???と思うのは、クラオタたちの意見って、案外バリエーションが少なくて「○○が最高」の○○が、老若男女問わず、一致しているのが、私的に???なんです。
 例えば、「第九」はフルトヴェングラーでしょ? 「運命」はカルロス・クライバーで、ソプラノ歌手と言えば、マリア・カラスか、シュヴァルツコップ。ドイツ歌曲と言えば、フィッシャー=ディースカウ。フルート奏者は、ランパルか、ゴールウェイ。他にも、上げていけばキリがありませんが、ここで名前が挙がる人たちは、概ね故人か年寄りです。現役バリバリの演奏家の名前が挙がる事って、めったにありません。
 これらの人たちは、確かに悪くはないけれど、現役バリバリの若手にだって、良い人たちはいますよ。また、音源でクラシック音楽を聞く人なら、録音の良し悪しは大切な条件ですから、昔の人よりも今の人の方が評価が高くなって不思議ありませんし、コンサート・ゴーアーならば、もはや聞けない昔の人よりも、今聞ける現役の演奏家の方が評価が高くなるはずです。
 でも、クラオタという人種は、そうではないんですね。
 私に言わせれば、時間が止まっているんです。時代は令和なのに、まだ頭の中は昭和なんです。下手すると、昭和は昭和でも、高度成長期以前なんです。
 なぜそんな事が起こっているのか言えば…たぶん、若い人がクラオタにならないからではないからだと思います。ある世代を最後に、若い人たちがクラシック音楽に興味を失ったからだと私は思います。クラオタという趣味のジャンルに新しい人が入らないために、新陳代謝が行われず、いつまでも昔のままなので、自然と懐古主義にならざるをえない…のではないかしら?
 たぶん、私の世代が最後のクラオタの世代なんだろうと思います。私よりも若い人たちは、クラシック音楽を聞かないわけではないけれど、決してのめり込まないし、クラシックのオタクにはならない…のです。もちろん、オタクにならないわけではなくて、アニメだったり、ゲームだったり、パソコンだったりのオタクはいるのですが、クラシック音楽のオタクはいないのです。
 ではなぜ、今の若い世代は、熱心にクラシック音楽を聞かないのか? それはまた別の話です。今の私には分かりません。もう少し考えてみたいと思いますが。

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コメント

  1. tetsu より:

    >なぜクラオタは懐古的なのか?
    クラシック音楽は新作がないので範囲はメチャ狭いです。コンクールの是非はおいといて、新人の演奏はこちらはコンクール経由でしかほぼ情報が得られません。フルートではたまたま神戸でパユを聴けましたが、ピアノ、ヴァイオリンはお名前知ってからコンサート行くあたりです。声楽のキッカケは曲目とTVでのNHKガラコンあたりです。
    指揮者はマジ指揮者コンクールさえ聞いたことないしフルトヴェングラーのCDは持っていますがそもそもBPOも直接聴いたことありません。某指揮者が「棒の振り方はメチャクチャだけど出てくる音がキレイ」と、とある指揮者の方へコメントされたのが記憶にあるくらいです。
    なぜ懐古的かと言われると、初めて聴いた音楽が録音でもライヴであってもショーゲキ的すぎた場合、そこで判断停止になっているところはあるのでしょうか。
    こちらも完璧にクラオタですね。失礼しました。

  2. すとん より:

    tetsuさん
    >初めて聴いた音楽が録音でもライヴであってもショーゲキ的すぎた場合、そこで判断停止になっているところはあるのでしょうか。
     うむ、確かに…。私にも見に覚えがあります。私、モーツァルトの40番は、なんと言っても、ベーム&ウィーンフィルなんですよ。当時大学生だった私は、当時すでに古い演奏扱いだったあの録音に衝撃を受けてしまい、それっきり判断停止をしていますので、実は他のクラオタの事を言えなかったりします。
     そうですね、判断停止なんです。それが懐古主義の原因なのかもしれません。

  3. Hiro.MTB より:

    お久しぶりです。
    今年に入ってしばらくアクセスできませんでした。
    お正月の分から読み進んでいるところです。
    遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
    さて、フルヴェンの第九とかクライバーの運命とか、いわゆる名盤ですね。
    「愛聴盤」とも言いますね。
    服部和久氏(だったと思います。記憶があいまい)のエッセイで、お弟子さんから「私もそろそろレコードの愛聴盤が欲しいのですが、授けてください」と言われて「愛聴盤というものは自分が気に入ったものであって、師匠が弟子に授けるものではないよ」と返答したが弟子は不満げだった、というエピソードを読んだことがあります。
    海外ではどうか知りませんが、日本では「一子相伝」で名盤を愛聴盤として語り継ぐ文化があるのかもしれません。師匠がいない人はレコ芸とかを読んでそこで祭り上げられている名盤を愛聴盤にするのかも。
    すとんさんの記事を読んで自分の書架(CDラックです)を振り返ってみるとフルヴェンもクライバーも無い…あんまり古い録音(ステレオ初期や、モノラル)はノイズなどの関係で苦手なので、それで持っていないんだと思います。
    ゴールウェイは持ってますがパユのほうが数が多いですし(ゴールウェイで持ってた曲もパユで買い直したくらいです)。
    私には師匠もいなければレコ芸も読まないので、「権威によって授けられた」指針がありません。文字通り、自分が気に入ったものが「愛聴盤」です。
    ですが…
    私のように古いものにリスペクトが無くてホイホイ新しいものに買い替えるのもどうかと思いますけどね(と、自虐の(笑))。
    あ、でも最近買ったベーム/ベルリンフィルのモーツァルトの交響曲全集はお気に入りになりました。60年代の録音で、同じベームでもウィーンフィルのものより古いのですが。

  4. すとん より:

    MTBさん、あけましておめでとうございます。
     レコード芸術は、一時期、貪るように読んでいた私です。で、当然、特選盤は購入していましたし、毎年発表される名盤もチェックしていました。
     ただ、私の場合は、権威にひれ伏す…と言うよりも、同じお金を使うなら、なるべく良い演奏のモノが欲しい。その参考として、特選盤等の専門家(ってか評論家)が薦めてくれるディスクが欲しい…ってわけで、ハズレを掴みたくないという気持ちが動機ですね。つまりケチなんですよ。ですから、いくら名盤として持ち上げられていても、あんまり古い録音のモノは避けていましたよ。
     とは言え、レコ芸とは関係なしに、カルーソーのディスク(100年以上前の録音ですね。カルーソーは名テノールです)を買って、それこそ愛聴盤にしていたくらいですから、好きなモノなら音質は関係ないかもしれません。とは言え、やはり普通に聞くなら、SP時代の録音は、なるべく避けています。
     昨今は、市販されているプロの音源は、一定水準以上の出来であると思うようになり、録音が良くて(ステレオ録音以降のモノね)廉価なモノを購入するようにしています。
    >ベーム/ベルリンフィルのモーツァルトの交響曲全集
     私にとっては、モーツァルトの交響曲の標準的な演奏です。時折、ディスクを取り出して聞いています。今どきのモーツァルトの演奏は、古楽風に演奏するものらしいですが、どうもその手の演奏は味気なくていけないと思っています。

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