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 別にフルートに限った話ではないですが、私個人的にはフルートの話になります。

 練習が不足している…とよく言いますし、実際、私もブログで書きます。

 この“練習が不足している”状態とは、別に完璧に演奏できるようになっている事を指しているわけではありません。完璧に演奏できるようになったなら、練習が足りているどころか、違う練習をするべきであって、量の問題ではなく質の問題になるからです。

 “練習が不足している”とは、あくまでも練習の量の問題であって「もっとたくさん練習していれば、当然クリアしているはずの問題がクリアしていないのは、単純に練習の量が不足しているからだ…」と自覚しているって話なんだろうと思います。

 練習不足の解決方法は、練習をするだけの話です。量の話ですから、量を満たせば良いだけの話です。

 とは言え、練習量ってのは目で見えるものではありませんから、何を以て、不足しているのか、十分なのか、余っているのか、分かりません。困ったものです。

 H先生がおっしゃるには「練習をきちんとやっていれば自然と暗譜できる」んだそうです。つまり、暗譜するほど練習しないと、練習した事にはならないし、練習不足だ…という事なのでしょう。頭が上がりません。だって私、今までフルート曲で、一曲たりとも、きちんと暗譜できた事、ないんですもの。今のエルステユーブンゲンなんて、完璧に暗譜課題なのに、ちっとも暗譜できないので、前に進まないくらいだもの。そのラインで言えば、私の練習不足は明々白々なのでした。

 別の方がおっしゃるには、暗譜まではともかく…楽譜を見ながらなら、任意の場所からいつでも演奏ができる…くらいまで練習しないと、練習不足なのだそうです。具体的に言えば、フレーズの切れ目はもちろん、たとえフレーズの途中からであっても、指定された箇所から、すぐに演奏が始められるほどに吹き込んで、始めて練習十分と言えるって話です。この感覚なら、分からないでもないです。でも、フレーズの途中から演奏を始めるのって、楽譜がきちんと読めなかった頃は出来なかったなあ。今は、それなりに楽譜も読めるようになったので、まあなんとか対応しちゃうけど…。って考えると、これは練習量の多寡ではなく、読譜力の問題かなって気もしないではないです。

 もっと近視眼的な感覚で言えば、その日の目的が達成されれば、その日の練習は十分だ…と言えなくないです。例えば、今日は、曲の出だしの4小節をばっちり吹けるようになればいいや…と考えて練習始めて、その練習の終わりには、その4小節がばっちり吹けていれば…もちろん合格です。これは悪い感覚ではないと思います。ただ(私だけでしょうか?)練習開始時に、本日の目標みたいなモノを決めないよね。ただ、漫然と練習を始めて、ある程度時間が過ぎたから、本日の練習終了みたいな感じになっている…から、全然進歩しないわけだ。ああ、そうだったのか。

 何をどう言ってみたところで、私の練習不足は逃げることのできない現実です。いや、自分の気持ち的には、決して練習をしていないわけではないのですが、結果として、私程度の練習量では、全然成果につながらないわけで、それをもって“練習量が足りない”と言い訳してしまうのでした。

 ああ、色々残念だなあ。

蛇足  じゃあ声楽は練習十分なのかと言えば、やっぱり練習不足です。ただ、声楽は楽器を持たなくても練習できるので、フルートほど極端な練習不足にはなりません。例えば、道を歩きながら、鼻歌交じりに歌ってみたって、風呂に入りながらの鼻歌だって、目的さえ履き違えなければ、これはこれで立派な練習になるけれど、フルートではそんなにお手軽にはいかないものね。

 

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