私は、孤独と孤立は違うモノだと思ってます。そして、たとえアマチュアであっても、音楽に取り組む者は、孤独を愛し、孤立を避けなければいけないと考えてます。
孤独とは、一人でいる事。または一人でいる事を好む事です。一方、孤立とは、他人との関わりを持たない事です。
音楽家は、孤独を愛せる人でないといけないと思います。一人でいる時間を大切にし、自分の内面を見つめる事ができる人でないといけません。現実的な話をすれば、音楽には練習や勉強と言うものが欠かせないのですが、実に人生のうちの、かなりの時間をそれら練習や勉強に捧げないといけません。そして、それらの時間は、自分と音楽が真剣に向き合っている時間であって、他者の存在を許さない、孤独で厳しい時間であります。この孤独で厳しい時間を、積極的に楽しんでいける人でないと、音楽はできません。
だから、常に周囲に他人がいないと心の平安が保てないというタイプの人には、音楽趣味は、本来、合わないのかもしれません。
音楽家は孤独を愛せないといけませんが、孤立は避けなければいけません。常に他人との関係を重視し、人と人との縁を大切にしていける人でないといけません。協調性や思いやりの心は必要でしょう、外面が良く、ある意味、八方美人でないといけないのかもしれません。
と言うのも、音楽って、基本的にアンサンブルでしょ? 自分一人で音楽を形作ることはできないわけで、いつでもどこでも、常に誰かと一緒に音楽を作っていくのが、音楽家なのです。
おそらく、たった一人で音楽を作れるのは、ピアニストとオルガニストだけでしょう。その他の楽器や歌では、いくら“ソロ演奏”と言っても、必ず伴奏という形で、他の人との共演が必要不可欠ですし、ましては合唱合奏ならば、大勢の人間との共同作業になります。
…いや、ソロのピアニストやオルガニストだって、孤立はいけません。自分一人で音楽を消費してはいけません。なぜなら、音楽は、作り出す人と、それを受け取る人が、同じ場所で同じ時をすごさなければならない“時間芸術”だからです。
ですから、演奏家のエゴだけで、観客を無視した音楽演奏は、演奏としては成り立っていないのかもしれません。
音楽って、聴く人がいて、始めて命がふきこまれるもの…じゃないかな? もちろん、孤独になって練習に励むのは大切だけれど、それはあくまでも“生みの苦しみ”であって、まだ未完成。いずれは音楽を形にして世に送りださなきゃいけません。その時に、音楽家が孤立したままで、誰にも聞かれないままの音楽では、ある意味、死産と同じです。せっかく音楽として作曲家に作り出されたのですから、演奏家としては、その音楽に肉体を与えて、この世に生み出してあげなきゃ、ダメじゃん。
なので、音楽家は変人じゃダメなんです。だって変人って孤立しがちでしょ。
音楽家は、常に周囲の人と仲良くでき、時間に厳しく、社交的でなければいけません。つまり、マトモな社会人であり、良き市民であり、明るい常識人でなければいけないのです。本来、コミ障や人嫌い、心を病んでいる人には、音楽は無理なのかもしれません。いくら豊かな才能を持っていても、共演者に嫌われていたり、音楽を観客と分かち合うことができなければ、ちょっと音楽は厳しいのです。きっとそういう人には、音楽以外に、ふさわしい自己表現方法があるに違いないので、無理して音楽をやる事はないかな…だって本人も楽しくないでしょ?
とまあ、こんな事を、私は考えてます。
蛇足 プロの音楽家でも、成功されていらっしゃる方は、たいてい、円満な性格の方です。たまに変人さんもいますが、そういう方は、その変人の面倒をしっかり見てくれるマネージャーさんがいるものです。つまり、いくら才能と実力に恵まれていてプロの音楽家のタマゴになったとしても、変人なら、優秀なマネージャーさんがいない限り、成功することはないのです…って考えると、マネージャーさん次第で、音楽家として成功するかしないかか分かれるわけ? でも、確かに、マネージャー無しで活動していた人が、優秀なマネージャーさんを雇った途端に大成功している例をいくつか見ています。もしかすると、プロの音楽家には、音楽の実力以上に、マネージャーさんの力の方が大切だったりして!
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コメント
孤独と孤立、かなり難しいお題ですが、
また、少し(だいぶ?)書かせていただきます。
孤独と孤立は似て非なるものであり、
明確に分けることもできないと思います。
で、今回、私が思い出したのは、
某ビオラ奏者さん。
弦楽四重奏を長らくやっていて、
で、練習と本番だけ、4人一緒。
それ以外、食事とか団欒とかは、
一切、別々、別行動だとか。
ある日、演奏旅行中、某都市。
練習が終わり、解散し、夕食は別々、
のはずが、同じレストランに偶然、
別々に4人が入ってしまって、
ま、たまには一緒に食べますか、
って話にはならない。
レストランの、四隅に、1人ずつ、
別々に座って、食事をした、と。
全ての弦楽四重奏団がそういう関係でもないのでしょうが、
上記の弦楽四重奏団のあり方って、孤独、孤立とは、
ちょっと違うかもしれませんが、
ちょっと似ているかも。
練習、本番以外では、孤独を演出し、
いや、むしろ、孤立を演出し
各自の内面を極め、決してナアナアにならず、
練習と本番だけで、極限までの協調を演出している。
協調を演出するために、徹底的に孤独と孤立を追及し、
孤独と孤立を追及すれば、そのコントラストで、
練習と本番では協調を追及できる、ということなのかも。
ああ、何を書いているのか、わからなくなりました。
お題は、孤独と孤立の違いのはずが、
私が書いているのは、孤独と孤立を一緒にして、
その正反対の、協調の話でした。
ここまで書いちゃったので、
そのまま投稿しちゃう、愚かな私を、
どうか、すとん様、お許しください。
おしまい
operazanokaijinnokaijinさん
operazanokaijinnokaijinさんの『孤独と強調』の話、ほぉ~っと感心しました。なるほど、なるほど。
お笑い芸人さんも、相方の連絡先など知らず、稽古と本番以外では、全く別行動って人たちは多いそうです。ジャニーズの某グループも仲はいいけれど、仕事以外のプライベートは全く別って聞きます。私生活でつきあわない分、仕事では濃い人間関係を作り出す…んでしょうね。そういうところで、人間関係にメリハリをつけているようです。
翻って、我々、一般的な日本人の場合はどうでしょうか? 最近はだいぶ減ったと思いますが、それでも、仕事の日も、休みの日も会社の人と一緒に時間をすごす…なんて方々がいらっしゃいます。私の身の回りにもたくさんいますよ。仕事終わりに仕事仲間と毎度のように飲みに行き、休日も仕事仲間と遊びに行く。すごく濃い人間関係を作り出してます。それが居心地よいのでしょう。
私はそういうのは、無理かな(笑)。仕事は仕事、遊びは遊びって感じですかね。
最近、人の嫌な面ばかりをみてきてるので、社交家であるのをやめてる私です(^0^ゞ
まともな社会人で良識人だと思ってた人が、実はとんでもない腹黒い人だと知ってしまって。
それはさておき、「孤高」が私は大好きですよ(^0^)
すずめおばさん
>まともな社会人で良識人だと思ってた人が、実はとんでもない腹黒い人だと知ってしまって。
たまにそういう人との出会いが私にもあります。信用していただけに、その腹黒さが自分に向けられた時は、たまんないです。ただ、私はそれで相手を責める事はしません。そういう人である事を見抜けなかった自分の未熟さ(いい年してるんだから、さっさと見抜けよ!)と、腹黒さを向けられた自分のワキの甘さを呪うだけです。そして、次に同じようなタイプの人で出会った時に、今度は同じ失敗をしないように、注意深くなるだけの話です。
世間の人の、みんながみんな、悪人ってわけじゃないです。悪人もいれば、善良な常識人だってたくさんいます。悪人とは悪人なりのお付き合いを、善良な方々とはお互いを高めあい励まし合うつきあい方をするだけの話です。
人間って、そんなに捨てたもんじゃないですよ。
もっとも、私は、元々がそれほど社交的な人間でもないので、デフォルトに人間関係の距離がやや遠目なので、そんな悠長な事を言ってられるのかもしれません。他人にあまり近づかないので、逃げるにも早くなれる…のかもしれません。
>「孤高」が私は大好きですよ(^0^)
孤高は……きっと、寂しいですよ。私、職場では、孤高ではありませんが、年齢的に『敬して遠ざけられる』存在になりつつあります。まあ、若い人間同士で活気よくやってくれれば良いと思ってクチをはさまないのですが、ちょっと村八分っぽい感じは、なんとも寂しいですよ。