あらかじめ書いておくと、今日の記事はボイトレ系の話です。
「モイーズとの対話」という本がある。
最近は目がアレ(ずばり老眼)なので、なかなか読み進まないのだが、フルート系では名著の誉れ高い本である。この本を読んでいて、ハッと思ったことがあったので、引用して、感想をグダグダ書いてみたいと思う。
この本の中に「フル・トーンへの道」という章がある。その冒頭で、腹式呼吸の大切さに、著者は触れている。フル・トーンと言うのは、充実した音のこと。フルートも吹き方で、中身の詰まった美しい充実した音も出れば、スカスカの音、さらには息だけで音になっていない音と、色々な音が出る。単に楽器を構えて息を吹き込んでも、即座に鳴ってくれる楽器ではないので、より美しい音、より充実した音を出せるようにしましょう。
と、その美しくて充実した音を「フル・トーン」と呼んでいます。
で、そのフル・トーンの出し方なんだけれど…。しっかり腹式呼吸をすれば、必ず出るというのです。で、問題は腹式呼吸だ。
腹式呼吸の一番の問題は、腹を使って息を吸う呼吸だと勘違いされている事だと著者は書いている。無論、腹を使って呼吸するのだが、肝心なのは、吸う方ではなくて、吐く方なんだと著者は力説しているわけで、吸う方はサラとしか書いていないが、吐く方がそれなりにページを割いて書いている。その部分をチョコチョコと引用すると…。
はき出す息はロケットの噴射のように、それを支える土台がなければならない。ロケットの発射台が真綿みたいなものだったら、いくら噴射しても逆の方向に飛ぼうとする力を減じてしまう。下がコンクリートならば直接的に逆方向に飛び上がる力になる。息の柱はロケットの噴射と同じでその支えがなければぐらぐらしてしまう。それを支えるのが横隔膜である。(145ページ)
横隔膜は逆すりばち状に胸部に入っているのがそれが圧えられて広がるので、腹部のまわりがあたかも息が入ったかのように膨張する。つまり吹奏している間中その息の柱の底は、横隔膜にかかっていなければならないので、腹部はその圧力におされて張り放しでなければならない。吹くときにお腹がすーとへこんできてはいけないのである。(146ページ)
この腹に支えさせながら排気する方法を腹式呼吸だと考えた方が正しい。「腹の底で吹く」のを「腹の底で吸う」のと勘違いしてはならない。大げさに言えば「吸う」ときなどどうでもよいのである。(146ページ)
お分かりですか? うまく引用したり、まとめたりすればいいのでしょうか、なんか難しくて…、分かりづらかったらすいません。
よく「声をお腹で支える」「息をお腹で支える」と言いますよね。もちろんこれはオカルト的表現なんだけれど、分かったようで分かりづらい用語ですね。で「モイーズとの対話」の中のこの部分の説明も、明らかにオカルト。分からない人には全く分からない表現だと思うけれど、私はこの部分を読んで、ピンときました。私にとって分かりやすいオカルト表現だったんです。それもフルート的ではなく、声楽的に。
床が硬くないと、うまくジャンプできない。まさにその通り。だから、著者の意見に全く同意します。その“床を硬くする”が腹圧で腹部を張る、ひいてはそれが息を支える原動力になる。納得です。
でも私はさらに先を考えます。床がたとえ柔らかくても、真綿のような柔らかさではなく、バネのようなしなやかな柔らかさだったら、硬い床よりも、もっとうまくジャンプできるんじゃないだろうか? 例えば、武道場の床のように、ボクシングのマットのように、器械体操で使うロイター板のように、さらにはトランポリンなんか、いい感じじゃない?
真綿のような柔らかさは、息のエネルギーを吸収し殺してしまう柔らかさ。それならば、しっかりと固めて、息のエネルギーはきちんと跳ね返す固さの方が良い。
しかし、しっかりと固めるだけでは、息のエネルギーだけしか利用できない。床を固めるではなく、息にエネルギーを加える方向で動くなら、しっかり固めるよりも、なおよろしくないだろうか? 息のエネルギーに床のエネルギーが加わるじゃない。
ううむ、考え過ぎかなあ…。しっかり、ばっちり、固める方がよいのか、固めつつもエネルギーを加える方向で動いていった方がよいのか? ああ、分からない。分からなくなったら、考えないことが一番。というわけで、とりあえず今日のところは、ここらへんで思考停止にしておくけれど、本当はどうなんだろ? 呼吸の森で迷子になりそう。
ま、だいたい、オカルトにオカルトで考えても、解決できるわけがないし…。
それにしても、腹式呼吸って、歌だけでなく、笛でも大切なキーワードのようですね。
[2008年8月8日追記] 松尾さんがこの問題に関する記事を書かれています。私のようなオカルトではなく、きちんとした内容の記事です。よろしかったら、そちらもご覧ください。
コメント
>大げさに言えば「吸う」ときなどどうでもよいのである。
そうは言えないですが…。
>それにしても、腹式呼吸って、歌だけでなく、笛でも大切なキーワードのようですね。
ほんとに。すべてのことに必要ですね。
先日ラジオを聞いていたら(なんか目的もなしに聞くこともあるので、ふと耳に入ることがあります。)何歳くらいか覚えてませんが一応老齢としておきましょう、女性の方が声が出にくくなってきたので耳鼻咽喉科で見てもらったら、「声帯溝症」だとか。簡単に言うと歳のせいで声帯が萎縮するのだそうです。固くなるとも言えますが。特にひどい時は手術という方法もありますが、その前なら腹式呼吸で声を出すことで改善されますとのこと。つまり喉を使わないでお腹から声を出すようにしてくださいと。老齢の女性は「はい、お腹から声を出すのですね」と希望に満ちた返事をしていましたが…。私は一人で「はいはい、それがとっても難しいんですよ。わかるかなあ~?」と思っておりました。
そういうわけで、私はふとしたはずみに声が出にくくなっていることに気づき(病的ではありませんでしたが)何か声を出すことをしなくちゃと考えて声楽にたどり着きました。腹式呼吸というのも奥が深いこともわかってきました。おかげさまでなんとか声の衰えを少しでも防止できるかもしれないと、ありがたく思っています。
でも老化ということで考えると、ほとんどのことが筋肉が固まってしまうことから起こってきますから、若い時より更に意識的に身体の筋肉を柔軟に保っておくことが必要だと思います。人間の身体って素晴らしいですね。何歳になっても努力さえすればそれなりに鍛えることができます。
お腹の支えはがんばって獲得してくださいね!声楽や楽器だけではなくて健康にもいいですからね。声楽でいうとお腹の支えができるとノドの力みがなくなります。(すぐにはなくならないけど、方向性として可能性が生まれるという話です。)
>ticoさん
吸う時などどうでもよいと言ってるのは、私じゃありませんからね、あれは引用です。念のため(笑)。
お腹の支え、がんばっていきま~す。
それはともかく、いわゆる「廃用症候群」と言うのは、本当に他人事ではありません。多くは老人問題として語られる事が多いのだけれど、実は若くてもあんまり関係ありません。“使わなければ使えなくなる”これはどうやら真理の様です。
私の場合で言うと、お恥ずかしい話ですが、20~30代の半ばまで歩くのが苦手でした。私は、車には乗りませんが、それでも移動手段は、もっぱら自転車&公共交通機関を利用していました。すぐ近くのスーパーにだって自転車で行ってましたもの。
だから、犬の散歩(当時はビーグル犬を飼ってました)が苦痛で苦痛で…。家族がなんとなく交替で散歩に連れて行ったのですが、私の場合はだいたい近所を30分程度一回りして帰って来ます。犬的には物足りないかもしれませんが、人間的にはそれが精一杯。30分以上歩くと、足が痛くてたまりませんでした。
典型的な現代人の常として、ほとんど歩かずに生活してました。その結果、病的ではありませんでした(笑)が、歩くのが苦手になりました。雨の日は職場まで歩いて通勤していたのですが、歩き慣れていなかったので、徒歩1時間かかりました。もう職場に着くとヘトヘトでした。
30代半ばで、これでいけないと思い、積極的に歩く様にした結果、今では普通に歩けるようになりました。実は今さっきも、近所をグルっと3時間ほど散歩してきたところです。炎天下の散歩って、実は大好きなんです(笑)。歩く速度も速くなり、職場までなら徒歩30分で、何の支障もなく歩ける様になりました。
声を出すこともそう。教師をやっていた頃は、毎日大声でしゃべっていたわけですが、夏休みをはさんだ二学期の最初の時期は、どうしても声が大きく出せませんでした。休みの間に発声関係の筋肉を使わなかったから、大きな声でしゃべれなくなってしまったのです。たった40日ほど使わなかっただけなのにね。
人間、どうしても加齢とともに弱くなる部分はあるそうです。例えば神経系の機能低下などは逃れられないそうです(だから老眼は受け入れることにしてます)。しかし筋肉系は年齢とは全く関係ないそうで、鍛えれば強くなり、使わなければやせ衰え動かなくなるそうです。80才すぎたボディービルダーさんというのもいますね(ネットで見ました)、お年寄りなのにマッチョですごいなあと思いました。
人間の身体って、イヤになるほど正直にできているだと思います。
そうそう、呼吸、つまり息は大切ですね。なにしろ息が止まれば、人間死んじゃいますから。それくらい大切。だから腹式呼吸をマスターすることは、音楽のみならず、命にとっても大切なことだと、割と最近、自覚する様になりました。いや、ホント。
でもね、腹式呼吸って、なかなか難しいですね。お腹から声を出すって、なまやさしいことではありませんね。はい。
>吸う時などどうでもよいと言ってるのは、私じゃありませんからね、あれは引用です。念のため(笑)。
そうですね!わかりにくい引用をしてしまいました。(汗)
>神経系の機能低下などは逃れられないそうです(だから老眼は受け入れることにしてます)。
えー、一応説明をしておきます。老眼は神経系ではなく水晶体を伸び縮みさせている毛様筋(間違ってなければ…)という筋肉の衰えで、水晶体というやわらかいレンズの薄さ厚さを変化させられないことで起こります。といっても、この筋肉は自分で訓練できるということは聞いていません。目をグルグル回したりして少しは鍛えられる?違ったかな?
他のどうしようもないことは仕方ないですが、訓練でなんとか出来ることはちょっとがんばった方がいいですね。私が最近になって実感したこと。『しんどいことはしんどいからやらない』というのが人間だなあってこと。身体を鍛えろと言ってもできることばかりやるのが普通の人間です。だから出来ないことはずっと置き去りになります。
実は私は背筋とか腕立て伏せとかそこら辺の筋肉が弱く、足は人より強かったのでした。肩凝りが激しいなあと思っていたら、背筋などの筋肉が弱ってくると肩凝りもするということを知り、仕方なく出来る範囲で背筋と腕立て伏せ(ひざ付き)を続けていると、肩凝りがましになりました。
すとんさんも歩けるようになられてよかったですね!『しんどいことはしんどいからやらないのだ』と思うと、ちょっとだけでもしんどいこともやらないとダメだなあと思ってます。私も老化に対抗してがんばります!
>ticoさん
うむ、確かに老眼の原因は神経系ではありませんでした。私の勘違いでした。勘違いを訂正してくださってありがとうございます。
でも、ticoさんのおっしゃるとおり、目の周辺の筋肉って鍛えられるのかなあ…。
最近は、ゲームなどで視力回復をうたったものもあるようです(個人的には未確認です、ごめんなさい)が、もし筋トレで視力回復ができるなら、修行好きな日本人にこれだけ、近眼とか老眼とかが大勢いるはずはないと思います。
とは言え、目のことはあまり詳しくないので、この辺にしておきます。
>。『しんどいことはしんどいからやらない』というのが人間だなあってこと。
実はこれが一番の問題ではないかと思ってます。これって精神の老化だろうと思ってます。とは言え、分かっていてもできないのが人間というやつで、ちょっと悲しいですね。
私も節食すれば、すぐにやせられると分かっていても、なかなか節食できずに、今日に至ってます。もっとも、これは老化でなく、怠惰ですね。