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力の入れすぎは、全てをぶっ壊す

 声楽のレッスンに行きました。

 実はこのレッスン日の私は、明らかな練習不足でした。何しろ、前回のレッスンからこの日まで、自宅練習が出来たのは、たったの1回ですからね。フルートと違って、楽器の組み立てとか片付けとかの面倒が無い分、短い時間でも、ちょこちょこ練習できる声楽なのに、今回は仕事の都合の上に体調不良もあって、たったの1回、それも時間にすると10分程度の練習しかできないまま、レッスンを迎えてしまいました。

 声楽の場合、日々の練習は、そのまま、日々のトレーニングにつながっていきます。その点は、スポーツなどと一緒で、あんまり練習していないと、筋力が衰えていきます。おまけに、体調不良もあって(レッスン当日は、実は午前中いっぱい寝込んでました)、本当に歌の調子も悪かったのです。

 なので、ハミング練習から始めたのですが、筋力不足のためか、カラダがなまってしまったためか、どうしても息が上に上がっていかないのです。ダメなのはいつも通りとも言えますが、いつも以上にダメなのが自覚できるほどにダメでした。半月ほど歌っていませんでしたから、仕方ないと言えば仕方ないのですが、だからと言って、良しとしてはいけません。ですので、しっかりと息を上の方向にしていく事を意識化してみました。カラダが自動的に動かなければ、意識的に動かすしかないわけです。

 さて、発声練習です。息を通すルートを変えないようにと言われました。これは前々から自覚があるのですが、私は歌い出しの1音目と、それに続く2音目以降で、息のルートがしばしば無意識に変わってしまいます。変わってしまうのは無意識だけれど、変わったなあ…とは意識しています。むしろ、無意識に歌うと、2音目で息のルートが変わるのが私だとも言えます。

 で、先生曰く、最初の1音目は良いルートを通って歌われているのに、2音目以降は、違うルートに息が入ってしまうのが残念。2音目以降も1音目と同じルートで息を通して歌ってください…ってわけです。

 無意識だと変わってしまうので、意識的に変わらないようにしました。何をしたのかと言えば…ノドやクチのカタチを力を入れて固めたわけです。このやり方が良いかどうかは自信ありませんが、固めないと音程が上がるたびに、ノドやクチのカタチが(高音を発声しやすいように)変わってしまい、その結果、息のルートが変わってしまうからです。

 力を入れるのは、カタチが変わることを防ぐためであって、発声のための力みは禁物です。

 つまり、目指すは声の音色の統一、ですね。高音も低音も同じ音色で歌いましょうって事です。これはキング先生時代からも散々言われていた私の大きな欠点の1つです。

 とにかく、クチの中は広く、大きく、です。そして、高音になるに従って、上へ上へ広げていきます。逆に言えば、いくらクチの中は広く大きくと言っても、歌い出しの低中音の時にはクチを全開にしてはいけないわけです。最初に全開にしてしまうと、それ以上広がる事はありませんから。そこは余裕を持って、広く大きくして歌うわけです。

 今回のレッスンでは、腹筋の動かし方にも修正が入りました。今までは、腹筋全体を上下動しているようなイメージで動かしていましたが、それでは動きが大げさすぎるし、大変だし、何より動きが鈍くなるので、これからは、机に広げたハンカチの中心をつまんで持ち上げるように、腹筋を全面ではなく、一点が動かすようにしましょうと言われました。イメージするのは、なかなか難しいのですが、確かにこのやり方なら、さほど大変でもないし、多少は機敏に腹筋も動きそうです。

 歌う時に大切なのは、ノドであれ、腹筋であれ、楽である事。十分である事。…なんだそうです。無駄な力は力みに通じるし、機敏に欠けるわけだし、なによりスタミナを削ります。よくキング先生に「すとんさんは、歌のスタミナが足りない」と言われていましたが、スタミナは確かに足りないのでしょうが、それよりも今ある力を有効に使う事ができず、無駄な事ばかりをし、無駄にエネルギーを消耗していたんだろうと思います。自分の体力に応じた、それなりの歌を楽に歌う事。それが大切であって、自分の器以上の事をしようとすれば、あっちこっちに無理が生じ、ひいては楽器が壊れてしまうのです。くわばら、くわばら…です。

 そうそう、キング先生には、よく音程の注意も受けましたが、それも力みが原因なんですよね。無駄な力が加わると、音程ってフラットするんです。ぶら下がるんです。それをぶら下がらないように意識しても、根本原因である力みが取れなきゃ、何をやっても、無駄なんです。かように、歌う際の無駄な力は、障害にこそ成れ、有益な方向に行きません。

 何よりも、力んだ声は、怒鳴り声にも通じるわけだし、そんな声で歌われても、聞いていて不快でしかないわけです。ノドなんて、鳴らさずに歌えるなら、それに越したことはないのですが…ついつい、ノドを鳴らして歌ってしまう私が、ここにいるんです。

 ああ、厄介だな。

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コメント

  1. 青子 より:

    大事なことですよね。
    初めてレッスンを受けた日から、4年近く経った
    今日まで、「無駄な力を入れないこと」と
    毎回毎回言われ続けて、未だにできませ~~ん(@_@)

    >力の入れすぎはすべてを壊す
    ほんと、ほんと!
    わかってはいるんですよ~

  2. 青子 より:

    失礼しました。”未だに”は間違いです。
    私にとっては、これから5年、10年、15年(?)・・
    声楽を続ける限り求めては、なかなかできないね~となりそうな
    課題になりそうです。

  3. すとん より:

    青子さん

     力を抜いて歌うのは…分かっていても、やはり難しいです。

     明日の記事にちょっと書きましたが、我々が歌う時力んでしまうのは、DNAが関係しているんじゃないかって思ってます。純粋邦楽のヴォーカルって、ほぼすべて、力んだ声で歌うでしょう? 遺伝子レベルで「歌う=力む」ば刷り込まれているんじゃないかしら…と言い訳にもならない言い訳を、並べる私なのでした。

     でもまあ、クラシック声楽は、日本の文化ではなく、西欧文化なのですが、四の五の言わずに、イタリア人のように歌わないといけないなあ…っては、思うんです。思うんですよ、マジですね。

     おそらく、私にとっても、脱力は一生の課題…になると思ってます。

  4. ドロシー より:

    すとんさん。、
    「脱力」を意識すると、「体を使っていない」とか言われて怒られるのですよね。
    体の力を入れるべき所と脱力するべき所があって、そこを正しく認識しているのかどうか、ってことなのだと思うのですが、なかなか理解できません。

  5. すとん より:

    ドロシーさん

     そうなんです、脱力を意識すると、カラダを使っていないと叱られ、脱力の意識を失うと、無駄な力が入るんです。部分的な脱力を企てると、別の箇所に不要な力が加わるのです。おそらく、こちらを立てれば、あちらが立たず…的な、堂々巡りです。分かる人が見れば「何やっているだ、こいつは!」的な状態なんだろうと思いますが、私は私なりに真剣だったりするんです。

     ああ、色々と難しい。

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