今年の夏の連載は、作曲家について語ってみたいと思います。今まで、曲については多くを語ってきた私ですが、それらの作り手に関して書いた事がない事に、ふと気づきました。別に作曲家に興味がないわけではないので、なぜ今まで書かなかったのか、不思議に思う次第です。
別に取り上げる順番は、私の好きな作曲家ランキング…ってわけじゃないですが、それでもやはり、最初に取り上げるのは、大好きで大好きでたまらない、モーツァルトからです。
私、モーツァルト、本当に大好きなんですよ。皆さんも好きでしょ?
現在残っているクラシック音楽作品の中で、モーツァルトの曲って、ほんと、どれを聞いても「ああ、モーツァルトの曲だな」と分かるほどに特徴的なのが魅力です。彼の時代、まだ音楽家、とりわけ作曲家なんて、芸術家ではなく、料理人とか執事や家政婦などと同じ扱いの、いわゆる“使用人”と言われる範疇の職業だったわけです。仕事だって、その多くは、パーティーなどでのBGM演奏だったわけで、つまり、没個性で上等だったわけです。実際、モーツァルトの音楽だって、クチの悪い人たちによれば、同時代の他の作曲家とどっこいどっこいだと言いますし、モーツァルトも十分没個性的な音楽家でしかなかったと言う人もいます。実際、彼の初期~中期にかけての、子ども時代とか、ザルツブルグ在住時代の音楽は、そう言われても仕方ないと思います。
当時、必要とされていた音楽は、耳障りの良い無個性な音楽であって、思わず耳をそばだててしまうような魅力的な曲は、会話の邪魔ですから、曲に個性なんて必要なかった時代です。そんな時代に生きていたモーツァルトですから、時代の影響を受けないわけにはいきません。
でもやはり、同時代の多くの作曲家の作品が消えてしまったにも関わらず、なぜモーツァルトの作品ばかりが現代まで残ったのかと言えば、それは彼の作品に彼の個性が現れているから…だろうと思います。とりわけ、晩年(と言っても十分若いんだけれどね)の作品の魅力と言ったら…もう、筆舌には尽くしがたいほどです。
モーツァルトだって、若い時代は、金持ち貴族の家に仕えたり、教会のオルガニストだったりしたわけです。でも、それに安住せず、枠に収まることを良しとせず、故郷のザルツブルグを出奔し、都会(ウィーン)に出て、彼は(おそらく最初の)フリーの作曲家となりました。やっと、自分の個性を前面に出して仕事ができる環境を得たわけです。そこからのモーツァルトが、私は好きなのてす。
まあだいたい、彼のように作家性の強い作品を書く人間が、自分の名前を出せない、単なる使用人で収まっていられるわけがないのです。いずれは田舎を出奔するのも、当然と言っちゃあ当然ですね。
もっとも、音楽家としての独立を勝ち取ったモーツァルトは、その後、生活に苦労するわけです。何しろ当時は音楽事務所も無かった時代ですからね。フリーランスにありがちですが、モーツァルトも経済的な苦労をし、借金にまみれて、挙句の果てに若死にしてしまうわけです。まあフリーランスになって経済的に苦労した事だけが、彼の若死の理由ではなかったとは思いますが、もしも彼が現代の作曲家だったら…と考えないわけでもありません。
例えば、彼に優秀なマネージャーとかプロモーターとかが付いていたら、彼の生活だってしっかり管理されていただろうから、健康を害することだってなかったろうし、若死にする事もなかったでしょう。著作権というモノが当時から守られていたなら、経済的にも潤っていただろうし、仕事の管理だってやってもらえば、作曲に演奏に、晩年までバンバン働けただろうし、名曲だってたくさん書き飛ばしていただろうし…って考えると、音楽家におけるマネージメント活動の大切さと、著作権の保護って大切なんだなって思います。
あと、彼の下品な人間性も、私、大好きです。モーツァルトって、下ネタ大好きで、博打狂いで、金遣いが荒くて、酒飲みで…。それって彼が正直で、他人に見栄を張らない性格だったから、そう言われているんだろうし、彼の仕事や人生におけるプレッシャーとかストレスとかが莫大だったからだろうと、私は思います。つまり、彼が人間として下品に振る舞うことで、ストレスの発散をし、あの天国的な音楽たちを生み出してきたわけだから、あの下品な下ネタたちが、天国のような音楽を作成していく代償だったんだろうと思うわけです。
とにかく、作品も作家も大好きなんです、モーツァルトって。ただし、実際に私のすぐそばに実在していたら、友人になっていたかと問われると…ううむ、おそらくモーツァルトって、他人を振り回すタイプの人だと思うんだよね。それに、性格も人生もハデハデだし、ちょっと私の友人としては、手に負えないかも…。彼は、私にとっては、アイドルなんだと思います。アイドルなんて、手の届くところにいちゃダメだよね。遠くから憧れて見つめているのが吉ですよ。
さて、モーツァルトの作品で、一番好きな作品と言うと…ううむ、1曲に絞るのは難しいです。「フィガロの結婚」を始めとオペラたちも捨てがたいし、おそらくは彼自身がソリストを務めるために作曲した、ヴァイオリン協奏曲やピアノ協奏曲も良いですが、やはり1番好きな曲と言うと…交響曲40番ですね。
やっぱり、小林秀雄の影響は隠しきれないのです。40番、サイコーです。という訳で音源です。
指揮は往年の名指揮者、カール・ベームです。ベームのMozartって、全然今風ではなくて、時代遅れなロマンチックな演奏だけれど、私は好きだよ。オケは…よく分からないけれど、雰囲気的にはウィーンフィルっぽいよねえ…どこだろ?
40番はそのまま聞いても最高だけれど、小林秀雄の「モオツァルト」を読んでから聞く40番は、また格別だと思うよ。
ああ、やっぱりモーツァルトは最高だよ。
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コメント
こんにちは。
> やっぱり、小林秀雄の影響は隠しきれないのです.
こちらも小林秀雄の「モーツァルト」のやさぐれた雰囲気に一時期かなりはまりました。で、似たような雰囲気の吉田秀和の「ロベルト・シューマン」にはまって結局彼の全集まで読んでしまいました。
> 時代遅れなロマンチックな演奏だけれど
カール・ベームが時代遅れですか。第一楽章のテンポ設定は??ですがこちらは最近の古楽風の演奏よりよっぽどいいです。
画像はコンマスがゲルハルト・ヘッツェル(メチャ若い)で、17:44とか22:30あたりのオーボエはウィンナーオーボエです。というところでオケはVPOです。
tetsuさん
好き嫌いはともかく、今は古楽風の演奏が常識なんですよ。ベームのような、ロマン派っぽい演奏はダメダメダメなんだそうですが…私の好き嫌いで言えば、やっぱり古楽風の演奏よりも、ベームのようなコテコテのロマン派っぽい演奏が大好きです。
ところで音源のオケはウィーンフィルですか。私の感覚もまだまだ捨てたもんじゃないですね(笑)。