先日、連絡があったのですが、ウチの近所(と言っても、ちょっと離れた他市)で行なわれている、某メサイアの会が解散?してしまったようなのです。
そこは毎年、趣味でメサイアを歌う人たちを集めて、会場を借りて、伴奏ピアノや独唱歌手を用意して、合唱の部分をいわゆるシンガロングの形式にして、みんなでメサイアを歌うという主旨の会でした。私も過去に一度だけ参加した事があります。なかなか楽しい会でした。
メサイアと言うのは、合唱曲と思われがちですが、実はオラトリオなんですね。つまり、オペラの親戚のような音楽ジャンルですから、演奏時間が長いんです。メサイアの場合、慣習的なカットをしても2時間オーバー、カットしなけりゃ3時間を越える大作です。なにしろ、途中に休憩を1~2回入れるのが普通なくらいの規模の曲なのです。それほどの大作ですから、なかなか市民合唱団あたりでは取り上げるのが難しく、でも曲自体は有名ですから、多くの人が歌いたいわけで、そんなわけで、色々な形で、練習少なめですぐに本番で、メサイアだけを歌う“メサイアを歌おう”的な会が日本の各地にあるわけです。
で、そんなわけでウチの近所にも“メサイアを歌おう”の会があったわけですが、それがこの度解散してしまったのです。
解散してしまった理由は…私は知りません。がしかし、私が勝手に邪推するならば、おそらく原因は2つぐらい有りそうだなって思いました。
一つは金銭的な問題。以前から、会の会計が赤字続きだと聞いていました。諸経費が増えていくのに、参加人数が減っていった…んではないかなって思います。つまり、金銭的なバランスシートが崩れてきたんじゃないかしら?
長年やっていて諸経費が増えるのは、世の常だから仕方ないです。参加人数が減ってきったのは、新人の新規参入に較べて、今まで参加してきた人たちの参加取りやめの方が多くなってきたから…でしょうね。今まで熱心に参加していた人たちは、諸般の事情で参加できなくなってきたって事だろうと思います。はっきり言っちゃえば、今までお元気だった人がお元気でなくなったり、天に召されたりして、参加人数が減ってしまったんだろうと思います。
収入が減った分は…広告などで補ったり、スポンサーを探して資金援助をしてもらうという手はありますが…でもそれって、運営陣にとっては、かなりエネルギーの必要な事で、運営を行っている人たち(は、どこでもご老人たちが中心)では担っていけないという現実的な側面もあると思います。
金銭問題はバカにできないよね。これは結構深刻な問題です。
さらに1つの問題が考えられます。それは、今まで会を支えていた人たちの高齢化…でしょうね。皆さん、若い時からこの会を支えてきたわけですが、そんな昔若かった人も、やがて年を取り、皆さん老人になってしまったわけです。老人になり、体力も気力も衰え、昔は何の苦労もなかった事がしんどくなり、その上、仲間たちも一人減り二人減り…ってなってしまったんだろうと思います。
うまく若い世代に引き継げればよかったのでしょうか、世の中、そうは簡単に世代交代ができるわけでもなく、力尽きてしまった…と私は見ています。
以上、私の勝手な邪推です。全然的はずれかもしれないけれど、案外良いところを突いているんじゃないかと思ってます。
と言うのも、合唱団体の高齢化ってのは、日本中で同時多発的に起こっている問題であり、今や単に“高齢化”が問題なのではなく、高齢化と世代交代失敗のために、色々な団体が活動停止に追い込まれているのも問題になっているわけです。
メサイアの会が無くなってしまうのは、とても残念だけれど、他所の市町村の市民団体の話なので、私にどうこうできる問題ではありません。むしろ今、私が心配しているのは、ウチの地元で活動していて、私もたまに参加している、第九の会です。ここも高齢化が激しい上に、世代交代がうまく行ってないんですよ。参加人数自体は毎年多くて盛況だから、今後の継続は不可能ではないと思われるのだけれど、運営している人たちがそろそろバテてしまいそうなのが心配です。
(運営人以外の人たちの会への加入)継続を前提とせず、毎年リブートしていくカタチで運営されているため、運営していく人たちの世代交代がうまくできなかった…んじゃないかな? なんて思うわけです。
人間には寿命があるわけだから、どんな団体も世代交代がうまくいかなきゃ、いずれ行き詰まり活動停止に追い込まれていくわけです。
私が合唱メインに活動していたら、それらの仕事を引き継ぎたいと思うけれど、現在の私にとって、合唱はあくまでも趣味の余暇であって、独唱がメインで勝負どころだから、あまり合唱関係にエネルギーを割けないわけで、あれこれ合唱団体が活動停止に追い込まれていく様子を傍で見て、心配するくらいしかできないんです。
でも、あの第九の会が無くなったら、とっても残念だな。
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コメント
音楽も高齢化と財政難には勝てませんね。
よいお店や芸術も時代の波に飲まれて閉鎖を余儀なくされる。なんか、切ない。
そんなその世の中だからこそ、音楽などの癒しが必要なのにね。よいホールも借りるの高く、習うにはレッスン代が高い。富裕層の贅沢に音楽はますますなっていますね。ヨーロッパのような、町のあちこちに音楽が聞こえ、大枚を払わずとも、音楽が楽しめる、、そんな事は、今や日本は望む余地もありませぬ。。涙、、
アデーレさん
まあ、音楽を“致す側”に回るのは、プロアマ問わず、この国では贅沢な事なのだろうと私も思います。でも“受ける側”に回るなら、いくらでも安価に楽しむ事ができます。特に、昨今のYouTubeの発達と言うか、とにかく、アレってどれだけ合法なのか分からないけれど、大抵のものが無料で楽しめるわけです。音楽を聞くだけなら、お金かかりません。
昔もラジオをエアチェックするという、これまた合法なのかどうか分からない行為もありましたが、でもあれは、狙って録音しないといけないのでハードルが高かったのですが、今のYouTubeは、オンデマンドだもの。ほんと『いつでもどこでも誰とでも』なんだもの。ほんと、音楽を楽しむ…と言うよりも、消費するには絶好調な環境になってきたと思いますよ。
でも誰かがタダで楽しんでいるなら、別の誰かがその代価を支払っているんだよね。それって正しい事なのか…私は大いに疑問を感じます。