さて、声楽のレッスンの続きです。曲の練習に入りました。トスティ作曲「Malia/魅惑」です。
まずは、たった今行われた発声練習を踏まえた、鳴りと響きが両立している(?)声で歌ってみました。いやあ、難しい。でも曲そのものは簡単なので、なんとか頑張れます。これが難しい曲だったら、歌うだけで精一杯で、とても発声にまで気が回らないので、今回の課題曲が「Malia/魅惑」で良かったのかもしれません。
しっかり息は支えないといけません。息の支えが足りなくなると、鳴りと響きの両立は途端に難しくなり、ただのつまらない声になってしまいます。
この曲では“息を支える箇所”と“息をしっかり支える箇所”と“強烈に息を支える箇所”があるだけですから、どこを歌っていても、息は支えないといけないみたいです。
とにかく、支える支える支える…です。特にフレーズの歌い出しは、ウンと支えないといけません。あたかも“PPAP”の「ウーッ! ペンパイナポーアポーペン」の「ウーッ!」の部分のように支えるのです(笑)。腹筋をキュッと締め上げて声を出すわけです。
声のポジションの確認は、母音ではなく子音、特に発声に時間がかかる“g”とか“r”などを使って効果的に行う事。とにかく、子音にたっぷりと時間をかけて歌うのが吉なのです。ただし、子音にたっぷりと時間をかける際に、決して顔を崩してはいけないのです。だって、顔を崩して歌ったら、ブスになってしまうでしょ?
“ソプラノブス”という言葉はありますが“テノールブス”という言葉はありません。代わりにあるのが“テノール馬鹿”です。
“ソプラノブス”というのは「ソプラノなんて皆ブス」という意味ではなく、ソプラノという人種はたいていクソ真面目ですから、真剣に歌っているソプラノは、ついつい歌に夢中になりすぎて、顔面が崩壊してしまいがちで、それを揶揄して“ソプラノブス”って言うわけです。それくらい、ソプラノさんは全身全霊を打ち込んで歌っているわけです。
そこへ行くと、テノールは基本的に「俺って、かっこいいだろ?」ですから、決して顔を崩すなどという事はしないのです。だってテノールって、みんな“自分サイコー!”“自分大好き”ですからね。
さて、高音を出すコツですが、それは“失敗しても決して心を折らない事”なんだそうです。「今日はダメでも明日がある」とか「やるべき事をやったのだけれど、失敗したんだから、それは自分のせいではない」とか「今日は単純に体調が今ひとつだった」とか「なんかよく分からないけれど、運が悪かったなあ」とか、そういう能天気さが高音を出すコツなんだそうです。
つまり馬鹿になれ…って事ですね。成功しても失敗してもくよくよしない。そこがテノールの馬鹿たる所以なのでしょう。だから、何度失敗しても、決してあきらめず、心を折らずに頑張っていれば、やがて高音も出るようになる…って事らしいです。
ほんと、アタマの悪いやり方だよね。
というわけで、今回は発声に重点を置いて歌ったので、アリアの方はやりませんでした…ってか、この発音じゃあ、まだまだアリアは歌えませんって。
それでもとにかく、今の私は、良い状態なのだそうです。以前「声楽の上達は階段状」って話をしましたが、今の私は(先生によると)階段を登っている最中なのだそうです。一つ上の段に足がかかっていて、もう少しで上に行けそうなんだそうです。まあ、本人的にも、なにやら自分が変わってきている自覚はあるのだけれど…それが上達と言えるかどうかの確信はありません。
以前は感じていた、音が高くなると声にフタがかかっていた、あの感覚が、最近はちょっと違って感じるのです。以前、私に覆いかぶさっていたフタは、とても分厚くて重くて、ちょっとやそっとではこじ開けることすら困難だと感じていました。今、私の上に覆いかぶさっているのは…ちょっと厚めのビニール。園芸用の簡易温室を作る時に使うビニールです。ビニールの向こうは見えるし、ビニールはまだ突き破れないにせよ、多少は伸びるし、伸ばせるし、もう少し頑張れば突き破れそうな感じすらします。
まあ、日々の進歩はわずかでも、Y先生に師事するようになってから、それなりの年月になり、キング先生のところいた当時の私と比べると、今ではほぼ別人と言えるほどになっています。それがフタからビニールへの感覚の変更なんだと思います。
歌であれなんであれ、以前の状態から上達するって嬉しいし、それが実感できるって楽しいですね。
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コメント
こんにちは。
ちょっとした質問をお願いします。
私は我流にてテノールをたしなんでいる者です。
我流ですので曲を覚えるのは、ユーチューブ等での
耳コピオンリーです。
ただし、歌詞に関してはネット上で拾ってきて
正確?に適用しています。
また、海外物ではイタリア語に限ります。
他の言語は、読めないもので。(^^;)
以前の記事にて、歌手の物まねをしてはいけない様な
話があったと思いますが
ほぼその状況にあります。
主にパバロッティ。
この方法、何か弊害があるとすれば
どのようなことが考えられるでしょうか?
自分の中では声がきれいでない事を除けば
上手く歌えている気はしてます。(^^;)
ちなみに今回の記事の
トスティ作曲「Malia/魅惑」であれば
https://www.youtube.com/watch?v=eHkbSg_E_n4
これを参考にします。
よろしくお願いします。
ソプラノブス、(笑)わかります!だって、ソプラノは高音専門、しかし高音は響きをつけなければ、ただの叫び声になってしまいますから、響きを安定させるにはテクニック的に響きを集める、それにより多少?顔は変動します(笑)プロはそれがわからないようにできる、だから美しい顔のままの美声はプロで、ソプラノブスになってしまうのはアマチュアなんですよ。。悲しいかな。ソプラノは特にビジュアル重視であり、多分ある程度歌えるなら完璧にビジュアルでオペラのキャストは決まるような気がする、だから我が課題も美しい?顔のまま美声で歌える事!オペラはなおさらにね!舞台は華がないといけませんからね。姫は姫らしく、王子は王子らしく(笑)違和感ある顔で歌っていけませぬ。テナーの殿方もそうですぞ(笑)
名無さん
まず確認ですが、歌手のモノマネをしてはいけないのは、声楽学習者さんです。別に純粋に楽しみとして歌っている方は、モノマネでも何でも、音楽を楽しめば良いと思います。それどころか、その歌手のファンであるならば、モノマネして歌う事こそが正義なんだと思います。
と、前置きをしてからお答えします。
>この方法、何か弊害があるとすれば、どのようなことが考えられるでしょうか?
1)声を壊す可能性があります。名無さんがパヴァロッティと同じ声質(リリコレッジェーロ)の方であったり、もう少し重い声の方ならば、問題が無いわけではありませんが、ひとまず良しです。パヴァロッティよりも軽い声質であったり、本来バリトンの声であるなら、無理をして歌っている事になりますので、声に良いことはありません。
また、パヴァロッティという人は、実に技巧的な歌手であって、真似する側が技巧を理解せずに表面的な歌いぶりを真似ると、これまた無理をして歌うことになるので、声によくありません。
2)パヴァロッティの歌唱は、あまり楽譜に忠実とは言えません。作曲者であるトスティが聞いたら、どう思うか微妙なところです。とにかく最初っから最後までパヴァロッティ節が炸裂しています。彼なりに音を加えたり、音程を変更して歌っている箇所すらあります。声楽学習者であるならば、楽譜をよく検討分析し、作曲家トスティの意図を汲み取った上で、自分なりの個性を込めて歌うべきであって(堅いことを言えば)パヴァロッティ節をマネするべきではありません。
どうせ耳コピをするのならば、数多くのテノールの歌唱を聞いて、その最大公約数的なところを取り入れてた上で、楽譜に立ち返って歌うのが良いと思います。まあ、あくまでも声楽学習であるならば…という前提の話です。楽しみのために歌われるなら、どう歌おうと、楽しんだものの勝ちです。
アデーレさん
21世紀のプロの歌手さんは、単に歌えれば良いのではなく、ビジュアルも備わっていないといけない。そうでないと、仕事が回ってこないのだそうです。
>多分ある程度歌えるなら完璧にビジュアルでオペラのキャストは決まるような気がする
と言うか、プロはみなさんほぼ完璧に歌えるわけですから(そうでなきゃプロは勤まりません)、オペラのキャストはビジュアルか、あるいは観客動員力で決まるのだそうです。ちなみに、ビジュアルと観客動員力のどちらがより求められるのかと言うと…観客動員力なんだそうです。簡単に言えば「何枚チケットをさばけるの?」って話です。
まあ、もっとも、その観客動員力の中に“ビジュアルの良さ”は、当然入っていると思います。
>テナーの殿方もそうですぞ(笑)
そうなんですが…テナーはソプラノほど競争が過激ではありませんし、基本的に希少種ですから、ビジュアルが良い方が良いのですが(古くはドミンゴ、今ならカウフマン)、絶対的な声(つまり高音)を持っていれば、デブもクマでもチビでもハゲでも、まだ可能性があるのがテナーなのです。だから未だに、テノールにはデブもチビもハゲもいるのです。ただ、不思議な事に、顔面が崩壊しているテノールは…いないような気がします。おそらく、顔面が崩壊していると、バランスの良い発声が難しくなり、とても高音なんて発声できないからじゃないかな?
回答ありがとうございます。
そうですかー。パヴァロッティは歌い崩してるんですか。
楽譜で聴いてませんので、これが正しいと思って聴いてました。
だから、別の歌手が同じ歌を歌うのを聴くと
パヴァロッティ重視で、うわへたくそ、或いは間違ってるって思ってしまいます。
ただ、歌詞に関しては非常に忠実な様に感じます。
でもRとかLやNの発音や語尾の延ばし方がおかしいところは気付きます。
ビンチェーローをビンネチェーローって歌ってるところとか。(^^;)
そうですね、耳コピも他の歌手と比べれば
楽譜無しでも正しい歌い方に近づけるかもしれませんね。
今後は聞き比べも重視してみます。
ありがとうございました。
名無さん
まあ、楽しみで歌われているなら良いのですが、もし歌を学ぼうという気持ちが少しでもあったならば、楽譜は購入された方が良いですよ…ってか、クラシック声楽は“楽譜ありき”の音楽ですよ。楽譜なんて、高いものではないのですし、持っていて損はないので、耳コピをするにせよ、楽譜を見ながら耳コピをされると良いと思います。
またまたすみません。
ちなみに声楽の場合、楽譜オンリーで学習した場合
初見のものでも皆さん同じ様に歌えるのでしょうか?
つまり、強く歌う、弱く歌うといった楽譜上の指示にしたがって。
耳コピの私としては、いろんな人を聴いてると
かなり違うような気がします。
この場合どれがいいと言うのは
聴く人の主観、あるいはコンクールなら
審査員の主観と言うことになるんでしょうか?
ちなみに耳コピで完璧にできたとしても
聴く人が聞くと真似してると分かっちゃうものでしょうか?
名無さん
>楽譜オンリーで学習した場合、初見のものでも皆さん同じ様に歌えるのでしょうか?
初見であろうがなかろうが、楽譜は音楽の保存法としては不完全なものですから、当然、楽譜通りに歌っても、それぞれの歌に歌手の個性が反映されますので、結果として、同じ曲であっても歌手ごとに違ってきますし、そこがクラシック声楽の面白さだと思います。
>いろんな人を聴いてると、かなり違うような気がします。
正解です。皆さん、それぞれに違います。違いますが、たいていは楽譜通りに歌っているんですよ。
>この場合どれがいいと言うのは、聴く人の主観、あるいはコンクールなら、審査員の主観と言うことになるんでしょうか?
そうなりますが、その前に、きちんと楽譜通りに歌えているという事が絶対的な前提になります。まずは楽譜通りにきちんと歌う。その上で、演奏者の個性や音楽解釈や声楽テクニックが審査対象になるわけです。
>ちなみに耳コピで完璧にできたとしても、聴く人が聞くと真似してると分かっちゃうものでしょうか?
歌っている人が、元の歌手と同等の歌唱テクニックと声を持っているならば、丸分かりになると思います。ただし、歌っている人が、元の歌手と較べてテクニック的に劣っている場合は、言葉は悪いのですが「下手くそが、何、でたらめな歌を歌ってんだい」という評価になってしまうと思います。
クラシック音楽は声楽に限らず、楽譜に始まり楽譜に戻っていく音楽です。まずは楽譜ありきの音楽がクラシック音楽なのです。ですから、耳コピをしようが、何をしようが、とにかく楽譜を分析し、読み込み、忠実に歌うことが、基本の基なのであり、最低条件なのです。
そこがクラシック音楽と、その他の音楽の最大の違いなんだと思いますよ。
ありがとうございます。
そうですかー。
私の声楽に対する取り組みが中途半端なことが分かりました。
ポップス的な或いはカラオケ的なのりに留まっている状態ですね。
本格的な声楽に入り込む意思は薄いので今のままの様です。
上手くなりたい気持ちは有るんですけどねー。
私の場合、いろいろな歌手のいいとこ取りで
耳コピに精進したいと思います。自己満足の域で。(^^;)
名無さん
別に自分の楽しみのために歌っているなら、なんでもアリですよ。他人になんと言われようと関係なんですって。
クラシック音楽って、楽譜ありきの音楽で、そこがハードルを上げている残念な部分だなあって思ってます。だって、みんながみんな、楽譜の読み書きができるわけじゃないからね。ほんと、そこが残念なんだよね。