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やりたいけれど出来ない合唱について考えてみた その2

 昨日の続きです。

 なぜ、以前は合唱団に受け入れてもらっていた私が、ブランクを経たら受け入れられない存在になってしまったのか…色々と考えてみました。

1)ヴォイストレーニングの結果、純粋に声が独唱向きになってしまったから

 合唱団を辞めて、私は最初の声楽の先生と出会い、その先生がヨーロッパに移住するまでヴォイストレーニングという名の声楽個人レッスンを受けていました。

 それまでの、素人丸出しの歌しか歌えなかった私が、あれこれ声楽テクニックを覚え、効率的な発声方法を知り、歌うためのカラダづくりをしてしまったので、ほんの短い学習期間でしたが、私の声は、いわゆる“素人の声”ではなくなってしまったという事が考えられます。

 だからと言って、その先生には声が完成するまで面倒を見ていただいたわけではなかったので、オペラ歌手のような声でもなく、いかにも中途半端で扱いづらい声になっていたと思います。

 とにかく、音質・音量ともに、素人離れしてしまったので、合唱団的には受け入れられない声だったのだろうと思うし、その点に関しては、おそらく今も同じだろうなあって思ってます。いや、今は当時よりも、もっともっと、音質・音量ともに素人離れをしているので、もっと受け入れがたい声になっていると思います。

 市民合唱団員の皆さんが20名ほどで声を合わせて歌うよりも、私一人で歌った方が、ホールによく響くと思うし…。別に自慢しているわけではなく、きちんと発声を学ぶと、声なんて、あっという間に変わってしまって、元に戻らないって事です。

2)音程の甘さが目立つから

 以前、素人丸出しの声で歌っていた頃は、私がどんなに調子っぱずれな声で歌っていても、声が飛ばず、誰にも聞こえなかったので、私が何をどう歌おうと、問題にはならなかったのですが、声が素人離れしてしまってからは、私の声は遠くまで良く響く声になり、合唱の中にいても丸聞こえになり、ちょっとしたミスや音程の甘さでも目立つようになりました。ある指揮者さんから「君が間違えると、合唱団全体が間違えたように聞こえるんだよ」と言われた事があります。つまり、私が歌うと私の声しか聞こえない(?)って事で、何とも名誉な話です(汗)。

 私の音程が甘いのは、声のパワーとテクニックのバランスの問題です。声にパワーが無ければ音程などの制御は簡単です。しかし、声にパワーが付いてくると、声をコントロールするのが難しくなってきます。ですから、パワーが付いた分だけ、声をコントロールするテクニックも磨いていかないといけません。

 例えれば、おとなしい馬ならば、誰が乗ってもおとなしく歩いてくれるけれど、なかなか走ってはくれません。暴れ馬を乗りこなすには、乗り手にかなりの技巧が必要になりますが、上手に乗りこなして走らせられれば、驚くほどのスピートで走りだしてくれるのと、同じような感じなのかもしれません。

 最初の声楽の先生のところでは、声が完成するまえに先生とお別れしてしまったので、私の声は、まさに“暴れ馬状態”だったと思います。その後、キング先生に習っても、当時のキング先生は、声楽的なテクニックを教えない事をポリシーとしている人だったので(今考えると、不思議なポリシーです)、やっぱり私の声は暴れ馬のままでした。今はY先生に少しずつテクニックを教えていただいているので、ちょっとずつですが、テクニカルに歌えるようになり、以前ほど、声が暴れなくなりましたが、それでもまだ声は完成したわけではありませんから、やっぱり合唱はまだまだ厳しいかもなあ…って思ってます。

3)主役じゃなきゃイヤだという厄介な性格

 これは私の人間性の問題(笑)なのですが、私、何事も主役をやらないと落ち着かないタイプの人なのです。主役が無理でも、せめて名脇役ぐらいにはなりたいものだと、常々思っている人なのです。

 つまり、目立ちたがり屋さんなのです。仕切り屋さんなのです。その場を支配したくて支配したくてウズウズしちゃう人なのです(まあ、多くのオッサンが該当すると思いますが…)。

 なので『他の人たちと同じことをする』とか『個を埋没させてチームワークに徹する』とか『名の無い存在として全体を支える』とかが、なんとも苦手…と言うか、落ち着きの悪さを感じるタイプの人なのです。

 本来、そんな人に合唱なんて、無理だよねえ(笑)。

 なので「合唱やりたい」と言いつつも、私は、いわゆる邦人作曲家の作品は歌いたくないのです。だって、その手の合唱曲って、ソプラノだけがメロディーで、その他のパートの人は、ただのハモリパートでしょ? 私という人間は、そこに喜びを見いだせない人なのです。ですから、合唱曲を歌うなら、洋物の宗教曲がいいなあ、ぜひ宗教曲を歌いたいと思っている人なのです。と言うのも、洋物の宗教曲の場合、すべてのパートにメロディがあるし、特にテノールはソプラノに次いでメロディを担当する事も多く、メロディもハモリも両方堪能できるでしょ? だから、私は洋物の宗教曲をぜひぜひ歌いたいのです。

 まあ、合唱も楽しそうだけれど、まずは自分の発声を完成させないとね。それが先決だ。

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コメント

  1. かもめ より:

    すとんさまは、何をもって自分の声が「暴れている」と判断され(でき)ますか?
    「自分の声を客観的に聴くこと」という答えが100点なのでしょうけれども・・・

    わたしはいつまでたってもひとりだちできない自分?というもの(とりあえず音楽に限ります)をふがいなくも、しかたないな、と思いもしています。

    演奏を録音するとか、あとわたしは弾いて(歌って?)いるときに先の音を頭の中で鳴らす、とアドヴァイス受けたことがあります。

    邦人合唱曲はほとんど知らないのですが、日本人って和声に目が開かれたのが遅い(歴史的、時間的に)ゆえか、和声感覚が発達不十分なのかしら。それって勝手な思い込みかな?今ほんとに個人差、格差の大きい時代ですよね。え、いつの時代もそうだった??(笑)

  2. アデーレ より:

    すとんさんの感性、激しい同意(笑)
    そうなんですよね、もう集団で歌っている場合ではなく、というか自分の声が埋没するのが許せない?楽しくない!すとんさんのように飛び出る声ならばよいですが、そこまでの声量はなくても、でも合唱は曲もつまらないし、ハモりも気持ち悪い〜〜《そこまでゆーか(笑)》したがって、数年前に合唱とは、さらばじゃ〜でございます(笑)一人歌い、あーすっきりしたこと!良くも悪くも自己責任でございますからね!!スキルアップして一人、ニマニマするのもオツなもの。目指すゴールもあれば、なお一層楽しい!合唱さんは山の頂きにいるこの景色を見たことがない。
    だからわからなくても仕方ない。合唱でソロしても、合唱の延長の発声で求められ、やっぱり声楽バリバリのとは、かなり違うしね〜。だからやっぱり別物ですね。やっぱ一人歌い、独唱が良いですわよ!あと、同じ声楽者での重唱も宜しいわよね!それが声楽の醍醐味ですかね!すとんさんは独唱の人、まさにそんなタイプの典型ですよね、、私もかな(笑)

  3. すとん より:

    かもめさん

    >すとんさまは、何をもって自分の声が「暴れている」と判断され(でき)ますか?

     以前は録音された自分の歌声。今は鏡の声です。

     以前は歌うのに一生懸命だったし、側鳴りの声で歌っていて、自分の声がうるさくて客観的に聞けなかったので、スマホの録音機能やパソコンの録音機能を使って、よく自分の声を聞き返していました。今は、大きな姿見の鏡を購入し、いつも鏡に向かって歌っていますので、自分の声がリアルに聞こえて便利です。姿見の鏡って、実によく声を跳ね返してくれるんですよ。声だけでなく、歌っている時の姿もよく見えるので、表情や手の動きとか、色々とフィードバックしてくれます。良い先生です。

     自分が歌いたい音程やリズムのイメージと実際のズレが“暴れる”なんだと思います。声量を減らせば、ズレはほとんどありませんが、声量を増やすと、途端にズレが生じて声が暴れるのです。困ったものです。

     邦人合唱曲と言うのは、やはり日本独特の音楽だと思います。あちらの合唱曲と言うのは、まず神様ありきだし、教会や劇場で歌うことが前提だし、伴奏はオーケストラかオルガンでしょ? 神様のいない世界で、天井の低い会議室で歌い、ピアノ伴奏では、やはり違うと思うし、あちらの合唱曲は、どのパートも音域が高い方に広いですからね。邦人合唱曲のソプラノって、あちらの合唱曲のアルト程度の音域だったりします。

     邦人合唱曲と言うのは、音楽としては、なかなか良いですし、何と言っても日本人の心に訴える曲が多いです。でも、私はあんまり歌いたくない…だけです。

     なんか、違うんだよね。

  4. すとん より:

    アデーレさん

     合唱は合唱で楽しいし、山の頂きにも行けますが…声楽で登る山とは、山の種類が違うんだろうと思います。合唱で登る山は、登山道が整備され、リーダーの指示に従いながら、みんなでわいわいと楽しく、仲間同士助けあって登っていくのです。声楽で登る山は、道無き道をアタックして、時には崖をよじ登り、時には岩をよじ登り、たどりついた山頂も、人間一人がやっと立てるくらいの尖った山頂だったするわけです。孤独なんですよ、声楽は。

     合唱の登山がスポーツならば、声楽の登山は冒険なのかなって思います。どちらが良いと悪いとかの問題ではなく、自分はどっちが好きかって話になってくると思います。

    >同じ声楽者での重唱も宜しいわよね!

     そうなんですよ。独唱も良いですが、重唱は格別です。楽しいです。私は妻と二重唱はよく歌いますが、それでもなかなか三重唱とか四重唱とか、それよりも人数の多い重唱の経験はありません。だから、今度の夏の発表会でのボエームが楽しみなんです。

     男声の二重唱から始まって、三重唱、四重唱と、どんどん歌手が増えて、音楽が複線化していく第一幕とか、男女6人がそれぞれに歌って物語を推し進めていくフィナーレとか、絶対に合唱では経験できない事ですからね(当たり前だね)。私も初体験なんですよ。わくわく。

     結局、声楽を勉強していくと、オペラにたどり着く…んだと思います。

  5. 通りすがり より:

    声が通るんじゃなく汚い地声だから目立つので他の方々の迷惑になってるだけですよ
    録音して自分の声をよく聞いた方がいいですよ
    首締めて死ぬ間際のニワトリみたいな声ですから。

  6. すとん より:

    通りすがりさん

    >声が通るんじゃなく汚い地声だから目立つので他の方々の迷惑になってるだけですよ

     汚い地声で大声上げていれば、声が壊れるし、ノドは傷つきます。確かに、キング先生に習っていた頃なら、そうだったのかもしれないし、たぶんそうだったんだろうと思います。

     でもね、汚い地声は、みんな一緒でしょ? 市民合唱団の大半は、特に男声は、多かれ少なかれ、みんな地声で歌っているじゃないの? ただ、みんな、声が小さかったり、側鳴りだったりしていたから目立たないだけ。胸声も頭声も、発声訓練を受けていないんだから出せなくて当然。ただ、胸声みたいな地声、頭声みたいな地声で、歌っているわけだし、私も合唱団にいた頃は、そんな感じだったんです。

     だから汚い地声で歌っているのは、私だけでなく、あなたも一緒(笑)。自覚があるかないかだけの話です。

    >首締めて死ぬ間際のニワトリみたいな声ですから。

     そんな発声をしていたら、合唱は歌えても、オペラは絶対に歌えませんよ。オペラをなめちゃ、いけません(笑)。

     だからと言って、私は自分の声が美声であるとは思っていないし、そう書いた事も(たぶん)無いです。ただ、余るほどの声量があるのと、声の直進性が強くて、声がよく通るだけの話です。声の音色に関しては、ただ今、磨いてる最中ですが、美声は骨格との関係もあって、これがなかなか美しくはならないのですね(涙)。

     そうそう、他人のブログに来て、絡んでくるのなら、ハンドルでもいいですから、お名前を名乗ってくださいね。それがマナーだと思いますし、ここでは、それをローカルルールとしていますので、ルールは守ってくださいね。

     よろしく。

  7. ズドン より:

    読ませてもらいましたが、
    「音質・音量ともに、素人離れしてしまった」、「音程が甘い」(音痴とも言いますね)、「何事も主役をやらないと落ち着かないタイプ」


    どう考えても、合唱には向かないですよね 独唱を極めることを強くおすすめします

  8. すとん より:

    今度はズドンですか、やれやれ。

     何を興奮して、アタマに血がのぼっているのか知りませんが…、日本語、苦手ですか? 私は自分で自分が合唱には向かないと、最初から最後まで、徹底的に書いているのですが、それで…

    >独唱を極めることを強くおすすめします

     …と、あなたに勧められるまでもなく、そうしますと言っているのだけれど、それが読み取れないようですね。

     どうやら、ブログで使われている単語や、短いフレーズを部分的に取り上げて、興奮して、我を忘れているようですが、心を落ち着けて、全体をきちんと読めば、あなたの一人相撲である事が…分からないから絡んでいるのでしょうね(溜息)。

     まるで、自分の尾を追い掛け回して、グルグル回っている犬みたい(笑)。

     私が合唱苦手な理由の一つに、あなたのような、排他主義な人間が合唱界にいるからと言うのもあります。合唱界の人って、ほとんどの人は他人を尊重して和を喜ぶ人たちですが、ごくごく少数ですが、声楽をやっている人間に、いわれのない憎しみの心を向けて、妬みに心が焼かれて、彼らを追い出すことにやっきになる人がいるのです。

     なぜ、そんなに声楽をやる人間を憎むのですか? なぜ、そんなに独唱を好む人間を妬むのですか! 何があなたの劣等感を刺激するのでしょうか? あなたの問題は、私に解決できません。ご自分の問題は、ご自分で解決してください。私は私の音楽を楽しむだけで、あなたの面倒まではみれません。

     よろしく。

  9. 椎茸 より:

    お久しぶりです。
    個人が好きに書いてるブログなので、内容に絡むのは野暮とはいえそうです。ただ、合唱が好きな人が読んだらいい気持ちはしないでしょうね。おそらく、全体的に、合唱やってる人を(主に発声的な見地から)見下してる感が出ちゃってるのですよ。合唱独自の発声メソッドがはっきりしてない、というのも要因としてはある気もします。
    また、定期的にこの、若干合唱をdisる記事をあげられているのは、個人的にはいかがなものかな? と思います。また、キング先生ネタも同じくように思いますね〜。もちろん、すとんさんのブログなので何書かれてもいいのですが、「前にも読んだ内容」「テイストがネガティブ」のふたつが備わっている記事よりは、別のことを書いてくださればいいのになあ、と思うことがあります。声楽レッスンやフルートレッスンの記事は、いつも楽しく読ませていただいてます。

  10. はひふ より:

    ごめんなさい。
    ご自分のブログで何を書くのも他の方が言うとおり自由だし、「小さな親切大きなお世話」ってたぐいの話で、まあ良い感情は持たれないこともわかるし、卑怯なのも承知してますが匿名で書かせてください。

    >>首締めて死ぬ間際のニワトリみたいな声ですから。

    > そんな発声をしていたら、合唱は歌えても、オペラは絶対に歌えませんよ。オペラをなめちゃ、いけません(笑)。

    その通り。
    だから、すとん様は歌えていないのです。
    「Aが出せるようになった。B♭が出せるようになった。」と言ってらっしゃるが、とりあえずあげてらっしゃる音源では一回も出せていません。
    E、Fあたりからぶら下がりG(を出すべきところ)以上では完璧に違う音(もっと低い音)を歌っている。
    本番の記事を読む限り気づいていないのだろうなあと思ってしまいます。
    お気づきかも知れませんし、練習では歌えているのかも知れませんが。
    ただ、あの演奏を聴いている限り「声が良く出ているから音程の制御が難しい」というレベルの話ではないように思います。
    ピッチが悪いのは今の先生につく前からずっとですし、大変なところだけが狂うというわけでもないですから。

    声質に関しても、まだ決して「声楽独唱者らしい発声」にはなっていない。
    骨格の問題のせいにするのも楽な逃げ道ですが、違いますよ。
    声の軽重、遺伝的なハスキーとかならともかく、すとん様の声の問題はそういうものではありません。
    普通に出し方の問題です。

    基本的に自己評価が高すぎるのだと思います。
    その上で合唱愛好家を見下すところで反感を買うのだろうと感じます。

    好きほうだい失礼いたしました。

    ちなみに私は独唱を専門とする者です。

  11. アデーレ より:

    あらあら、なにか勘違いをなさっておりませんか?すとんさんのBlogでご本人様の侮辱はやめて頂きたいです。
    声楽に精通なさっていた方だと仮定しても、、実際に生でお聴きしたりしても声というのはその都度、調子が違いますよ。また世界的にみれば声楽家のメソッドは山ほどあります。正しいとは、誰しも認める世界的な歌い手だけに許される特権でありましょう。プロでもそうなのですから、プロではない場合は色々あって全てが正解でもよいのではありませんか?その中には明らかに良くない発声も実際にはありましょうが、しかし、まだ学びの途中において他人がとやかくいうのは品のある方のする事ではないのではありませんか?アマチュアですよ。アマチュアは楽しく、がなによりなのですよ。すとんさんはある意味、身をさらして色々と、御自分の事も含め、情報を提供して下さる、それは賛否あり、リスクを承知で提供して下さる有難い存在です。すとんさんが楽しく歌ってくれて話題を提供してくださる、それを邪魔する意見はどうか、?品のある方であるならば、これ以上はお辞めくださいね。どうか頼みますよ!blogを毎日楽しみにしている方も沢山いらっしゃるんですよ。ファンとして黙っておれませんでした。すとんさま、どうぞ、何事も気になさらずに。色々な方が世の中にはおりますね。ファイトです!!貴方の後ろには山程、ファンがおりますからね(笑)気にしない、気にしない〜〜(笑)

  12. すとん より:

    椎茸さん

    >合唱やってる人を(主に発声的な見地から)見下してる感が出ちゃってるのですよ。

     これは神様に誓って言いますが、私、合唱を見下してなどいません。合唱愛好者さんも好きですよ。

     このブログを始めた当初は、合唱と独唱の区別をつけずに同じ“歌もの”として共通したモノとして話題にあげていましたが、最近の記事では、ご存知の通り、合唱と独唱は別物であり、それは良いとか悪いとかではなく、単純に『違うジャンルの音楽です』というスタンスで書いています。

     違うジャンルの音楽ですよ…という書き方の中で、合唱に対して見下した感がにじみ出ていたとしたなら、それは私の筆力の不足ですから、その件に関しては、謝罪します。

     私は、合唱も合唱愛好者も好きです(だから、ブログでたびたび取り上げるわけです。嫌いなモノなら、ブログに取り上げない)が、正直に告白すれば、一部の合唱人の言動には、過去に心的外傷を負わされた経験もあり、好きにはなれません。ズドンさん(ってハンドルも、私の事を揶揄している事が明らかですが)には、その手の、加害者的な合唱人の臭いを感じてます。当然、アタリも厳しくなりますが、それは彼に対してだけで、別に他の合唱愛好者さんとは、ノーマルにお付き合いしたいと思ってます。

     だから、今後も(おそらく)合唱ネタをアップしていくと思いますが、それは合唱を見下して喜んでいるからではなく、独唱とは別のジャンルの私の好きな音楽として、これまでどおり取り上げていくと思います。

    >キング先生ネタも同じくように思いますね〜

     キング先生は、このブログのレギュラー出演者ですからね。かつての師ですし、恩義だって感じているので、見下す気持ちはもちろん無いです。

     でも、是々非々ですよ。

     今となっては分かるのですが、彼が私に対して行った声楽指導のうち、かなりの部分は、私にとって、間違っていたし、不適切だったし、むしろ害悪になっていたと思います。その間違っている部分や、不適切な部分はもちろんの事、彼の指導姿勢も含めて、今となっては批判的にならざるをえないし、今の私の事を書くためにも、それらを避けて通るわけにはいかないので書いているだけです。もしも本当にキング先生の事を悪く書こうと思ったら、ネタはいくらでもあるのです。ざっくり書けば、彼が私に対して行った非人道的な言動の数々や、金銭トラブルの件などを書き連ねていけばいいだけの話ですが、私、今までブログでそれらの話題に踏み込んだ事が無いのは、彼の行った誤った声楽指導、それも私に関係した部分に限ってしか書いていないからですし、今後もその方針です。

     さらに付け加えると、キング先生が行っている声楽指導だって、すべて間違っているわけじゃなく、生徒さんによっては、実に素晴らしい効果を上げているわけで、その実例も、私はよく知っています。ただし、私と私の妻に関して言えば、効果がなかっただけでなく、害悪にすらなっていたってだけの話です。私も妻も、もう少しの間でも、キング先生の元で学び続けていたら、確実にノドを壊して、声を失っていたと思うわけです。つまり、キング式発声方法は、学ぶ人を選ぶ発声方法ってわけなんですよ。

    >「前にも読んだ内容」「テイストがネガティブ」のふたつが備わっている記事よりは、別のことを書いてくださればいいのになあ、

     同じネタで記事を書くことは避けているつもりですが、前に書いた事を忘れて、同じネタで書いている事もあるかもしれません。でも、ブログは私の個人公開日記なわけですし、たとえ内容がダブったとしても、今とその時では、同じ問題に関しても、感じ方が違うだろうから、極力、記事のダブリは避けていますが、単純なダブリではなく、心境の変化が伴っていたら、それはそれで良し…と思ってはいけませんか?

     テイストがネガティブ…なのは、勘弁してください。ブログの文章は、スポンサーがいて、お金をいただいているわけではありません。ですから、自分の気持ちに嘘をついてまで、ハッピーな文章を書くつもりは全くなく、ハッピーな時はハッピーな文章を、ネガティブな気分の時はネガティブな文章を書くように(変な書き方ですが)心がけています。と言うのも、ブログは、公開文章でありますが、それ以前に私の日記であり、記録であるからです。そこは了解した上で、ご覧くださいませ。

  13. すとん より:

    はひふさん、いらっしゃいませ。匿名での書き込みは、ネットの常識ですから、気にしないでください。私も気にしてません。私はただ、名前(ハンドル)も書かないで言いたいことだけを書くという姿勢が嫌いだし、それはマナー違反だと思っているので、ローカルルールにさせていただいているだけの話です。

     さて、最新のアップ音源ですら、半年前のモノですからね。人間、半年あったら、だいぶ成長します…とだけ書いておきます(おいおい、自分でハードルあげて、どうする?)。

    >基本的に自己評価が高すぎるのだと思います。

     うむ、それは否定しませんし、おしなべて(プロであれアマであれ)表現活動に関わる者は、自己評価が高過ぎるくらいでなきゃダメだと思いますし継続できません。でなければ、心ない評論家やアンチの方々から繰り出される否定的な評価や論評に、あっという間に押しつぶされてしまいますからね。はひふさんも、自己評価はお高いのではありませんか?

    >すとん様は歌えていないのです。
    >E、Fあたりからぶら下がりG(を出すべきところ)以上では完璧に違う音(もっと低い音)を歌っている。本番の記事を読む限り気づいていないのだろうなあと思ってしまいます。
    >「声が良く出ているから音程の制御が難しい」というレベルの話ではないように思います。
    >ピッチが悪いのは今の先生につく前からずっとですし、大変なところだけが狂うというわけでもないですから。
    >まだ決して「声楽独唱者らしい発声」にはなっていない。
    >普通に出し方の問題です。

     ご親切に感謝します。

     はひふさんならご理解いただけると思いますが、自分は完璧ではない…と言って、それで「自分はダメな奴なんだ。まだまだなんだ」と思って凹んだら、ブログを書けなくなるのは当然として、音楽だって辞めなきゃいけないじゃないですか?

     表現に関わる者は、ある意味、厚顔無恥でなければいけないし、恥知らずでなければならないと思ってます。ビッグマウスかもしれないし、自己評価が高すぎるのかもしれません。

     しかし、音楽とか表現とかってのは、ゴールがないモノですし、完成もありません。技術の向上は目指すものの、技術的に完璧であっても、人の心をグイグイ動かせなければ、ただのゴミです。また演者自身が自信を持って演じてくれなければ、見ている者だって不安になります。簡便な言い方をするなら「未熟でもいいじゃん、大ぼら吹きでもいいじゃん。誰かの命を危険にさらしているわけじゃないんだし、前向きに楽しく前進していきましょう」って事です。もちろん、だからと言って、未熟さを肯定しているわけでなもく、大ぼら吹きを是認しているわけでもありません。未熟さは乗り越えられるべきモノだと思うし、人間としては、大ぼら吹きどころか謙虚である方が望ましいに決まっています。

     嘘をついているつもりはありませんが、表現活動をしている以上、自分を鼓舞すること大切だし、必要だと思ってます。他人から見れば、ただの大ぼら吹きのビッグマウスに見えるかもしれないけれど、本人はいたって真面目だし真剣なんです。まあ、たとえビッグマウスであったとしても、ビッグマウスぐらいは叩かせて欲しいです。その上で「あいつ、書いてあることは立派だけれど、ちっともできてないじゃん」と言って、笑ってほしいと思ってます。

    >ちなみに私は独唱を専門とする者です。

     私は、はひふさんのような専門教育を受けた人でもなければ、プロ歌手でもありません。特に専門も無い、ただの歌好きなアマチュアですし、寝床のご隠居(落語ですよ、念のため)ですから、心意気一発の部分がある事は否めませんし、下手の横好きだし、ブログに書いている事だって、間違いを多く含んでいるかもしれません。そこは了解の上でブログを読んでいただきたいと思ってます。

  14. すとん より:

    アデーレさん

     応援、感謝です。

     時折「もうブログなんて辞めちゃおうかな…」と思う日もありますが、今日はそこまで、気分が凹んだわけではないので、ご安心ください。

     ブログは私の日々の記録という極めてプライベートな文章であると同時に、ネットでブログとして公開している以上、パブリックな性質の文章でもあります。私の日々の記録ですから、その日その時の私の言動を、感情や雑多な思惑も含めて書き記していますし、今後もその方針を変えるつもりはありません。

     しかし一方で、パブリックな性質もあるわけで、他人にケンカを売るつもりはないし、不必要に他人の悪感情を沸き立たせるつもりもないし、ましてや意図していない事に関して、腹を探られ、あらぬ事を誤解されても良いとは思ってません。それに、侮辱されて、そのまま黙って引き下がるつもりもありません。

     でもね、自分の筆力不足で誤解された部分に関しては、素直に力不足を認め、誤解を解き、謝罪が必要なら謝罪していきます。それは、たとえブログであっても、物書きである以上、当然の執筆姿勢だと思っているからです。

     それに私は、自分のブログのコメント欄に、私に対する批判や攻撃や侮辱などが書かれても、それはそれで構わないと考えています。ただし、それらに対して、私は反論もすれば、攻撃だってします。だって、ここはただの個人ブログだもの。タレントさんたちが営業でやっているブログとは違います。商売っ気なんて、これっぽっちも無いんです。

     まあ、今回は私の筆力不足で、合唱および合唱愛好家の皆さんを見下していると誤解された事は、失敗だと思うし、重ねて謝罪します。でも、合唱と声楽(独唱含む)は、似ているけれど、違うジャンルの音楽だという考えを変えるつもりは、今のところ無いし、発声に関しても、合唱(とりわけ市民合唱団)では素人丸出しの発声の方が訓練された声よりも喜ばれるという事実は事実として、今後も書いていきます。でもこれは、合唱を蔑視しているわけではなくて、合唱と声楽は違うんだよってだけの話です。

     もっとも“合唱と声楽は違う”と書くこと自体が、合唱を侮蔑していると解釈されるのなら、私はどうしたら良いのでしょうね?

     “イヌとネコは違う”と書いたからと言って、それはイヌを侮蔑している事にはならないと、私は思うんだけれどね。それとも、イヌをネコと比べて違いを明らかにする事は、イヌをディスる事になるのかしら?

  15. 初めてコメントします より:

    合唱も独唱もいたします。

    どちらも試みる方はたくさんあります。
    両立させることのできる方も多くいらっしゃいます。
    引き出しの数の問題だとは思わないのでしょうか。

  16. すとん より:

    初めてコメントしますさん、いらっしゃいませ。

    >引き出しの数の問題だとは思わないのでしょうか。

     思います。至極、思います。

     プロのオペラ歌手さんとて、生活のために合唱のトラをやっている人も大勢います。ですから、両立させる事は可能でしょうし、実際、そうされている方もいらっしゃいます。まあ、プロの方は、ぶっちゃけ、仕事ですし、トラに行った合唱団のレベルに合わせて、そつなく歌われるわけですが、それには色々とノウハウとか処世術とかあるわけで、その手の裏話をプロの方々からよく聞きます。

     アマチュアと言っても、専門教育を受けて、プロの方と同じ技量を持った方々ならともかく、私のように、老人の仲間入りをしてから本格的に歌を始めたような人は(ってか、このあたりより上の人がボリュームゾーンでしょう)なかなか引き出しの数を増やせないものだし、少なくとも、私が身近で見ている数十の合唱団体さんでは、なかなか両立をしている人は少ないし、合唱団にいながら独唱を企てる人は、そういう人はたいてい団から追い出されているようですよ。

     私の知っている範囲では、2つの団体では、指導者が団員たちに独唱を強く勧めていて、団員さんたちも積極的に合唱にも独唱にも取り組んでいますが、そこ以外の団体では、合唱と独唱の両立はタブーっぽいですね。両立を企てると、地域差もあるみたいですが、どこの団にいる“合唱至上主義者”の方々(たいてい指導者よりもエライのです)に嫉妬されるんです。で、いじめられて追い出されます。ですから、ウチのあたりだと「合唱団を追い出されたから声楽を始めました」という方は無視できないほどいます。

     そうそう、こんな私ですが、一応、第九合唱団だと歓迎されるので、第九だけは、その気になれば毎年歌えます。そういう意味では、微妙に合唱と独唱が両立しているのかもしれませんが…基本的に飽きっぽい人なので、毎年毎年第九を歌うのには我慢ならず、数年おきでしか第九を歌わないので、両立していると言っても、あんまりちゃんと両立しているとは言えないのかもしれません。

  17. Hiro.MTB より:

    すとん様

    不本意な所で不興をかってしまったようですね。心中お察しします。
    私に言わせるとソロvsアンサンブル問題は器楽にも良くある事です。すとんさんだけが悩んでも仕方のないことだと思います(←もう結論が出てる)。

    私が所属する市民吹奏楽団でも、音大卒のひとの中には集団から突出した音を出す人もいます。周囲と溶け合わず、一人だけ「遠鳴り」しちゃってるんですね。

    独唱を体得した人が合唱になじまないのと、そっくりですね。

    合唱と吹奏楽で違いがあるとすれば、吹奏楽は基本的に1人1パートなのでそれを「個性」で許せる場合もあるのですが、合唱では1パートに何人(時には何十人)もいるのでそういう人は異分子とみなされてしまう事です。

    すとんさんも感じませんか?吹奏楽たたき上げの奏者と、師匠についてクラシックの専門教育を受けた奏者では音色が…というか、そもそも目指すところが違うと。私は吹奏楽たたき上げですが、地元交響楽団のプロ奏者に師事している人や、音大で専門教育を受けた人の音は、やはり私とは違うと感じます。

    さて、ここからが本題です。

    声楽にしろ器楽にしろ、この世界(オトナの趣味の音楽)には専門教育を受けた人はそうでない十把一絡げの集団よりも「偉い」というヒエラルキーがあります。すとんさんがそう思っていなくても、すとんさんの文章を読んでいる人の中には、そう思っている人もいるのです。

    そういう人がすとんさんの文章を読むと、すとんさんにその気が無くても(ただ事実を書いただけでも)「すとんは高みから我々を見下している」と感じるでしょうね…そして、彼らの価値観において、それは正しい反応なのです。

    これは冒頭にも書きましたが、しょうがないことなのですよ。
    ここの読者…すくなくとも私は、すとんさんの見聞きした事、体験した事を読んで追体験したいのです。そしてそこから何らかの「気づき」を得たいと思っています。

    私は管楽器を趣味で吹いているしがない男ですが、すとんさんの声楽の記事も興味深く拝読しています。ですから、すとんさんには今までのスタンスのままでブログを続けて頂きたいです。

  18. アデーレ より:

    追伸〜日本の合唱に対する考え方とヨーロッパではまた違うみたいですね。日本の合唱は平均的な均一な音色じゃないといと疎まれ、ヨーロッパはかなり事情は違うらしいです。私達?みたいな歌声も、ヨーロッパなら普通に大丈夫らしいですよ〜(笑)

  19. すとん より:

    Hiro.MTBさん

    >すとんさんも感じませんか?吹奏楽たたき上げの奏者と、師匠についてクラシックの専門教育を受けた奏者では音色が…というか、そもそも目指すところが違う

     感じます。とりわけ、サックスの音色の違いを強く感じます。サックスは、吹奏楽とクラシックとジャズ(ビッグバンド含む)では、まるで別の楽器であるかのように、全然音色が違うんですよね。その違いは、それぞれの音楽ジャンルごとに求められるものが違うから、それが自ずと楽器の音色に反映しているんだと思います。

    >声楽にしろ器楽にしろ、この世界(オトナの趣味の音楽)には専門教育を受けた人はそうでない十把一絡げの集団よりも「偉い」というヒエラルキーがあります。

     あー、私自身はそんな事は全く思いませんが、確かにそんな事を考えていそうな人って…いますね。

     で、そんな感覚を持っている人には申し訳ないのだけれど、その感覚って、持たなくていい劣等感がベースになっているんだと思います。劣等感と言う言い方がきつければ、引け目? とにかく、それは相手の問題ではなく、自分の問題なんですよ。

     おそらく、専門教育を受けていない自分が、それらを受けた人たちと較べて、特別に劣っていると思い、そこで勝手に自分の中に順位を作ってしまい、自分を彼らの下に置いて、自分を見下してしまい、それが劣等感として凝り固まってしまっているんだろうと思います。

     いやあ、それって、本当に“持たなくていい劣等感”ですから!

     音大卒って、エライのか? 別にエラくないです。ただ、音楽の専門教育を受けてきたというだけの話です。

     音楽の専門教育を受けてきたという事は、そんなにエライのか? 別にエラくないです。音大だから音楽の専門教育を受けてきただけで、医学部で学んできた人は医学の専門教育を受けてきたわけだし、法学部で学んできた人は法律の専門教育を受けてきただけで、その人達が成長していく過程の中で、受けてきた教育が違い、身につけた知識や技量の違いがあるってだけです。

     市民音楽団体にいる音大卒のメンバーってエライのか? 別にエラくないです。音大を出ていようが、出ていなかろうが、その団体のメンバーである時点で平等でしょ? 指導者の責任を背負っているというのなら、そこに違いがあるでしょうが、同じ平メンバーなら、どこでどんな教育を受けてこようと、その団体中での役割をきちんと果たせれば、同じですって。

     ましてや、お互いの所属団体が違えば、相手が指導者であっても、幹部役員であっても、対等な大人同士の関係でしかありません。

     だから、非音大卒の人が音大卒の人に劣等感を持つのは、不必要な事だし、逆に音大卒の人が非音大卒の人に優越感を感じるとしたら、それも間違っています。

     そもそも、音大卒がエラくて、自分はダメなんだ…って感じているとしたら、それって、つまり“学歴コンプレックス”なんだよね。学歴コンプレックスなんて…つまらないコンプレックスだってばさ。趣味の世界に学歴を持ち込むなんて、野暮だねえ。

     まあ、気にするなと書いても、劣等感って奴は、理屈で説得しても、なかなか取り除くことができないんですよね。ああ、厄介だな。

     劣等感を取り除く方法があるとしたら…自分の現実を変えるくらいしか方法がないんじゃないのかな! と言っても、趣味のオトナが、今更音大に入学して卒業するなんて、非現実的な話ですが、きちんとしたプロ奏者に師事して、専門教育を受けることは全然可能ではないでしょうか? 音大卒に劣等感を感じるくらいなら、さっさと自分も専門家の元で専門教育を受ければいいのです。ましてや、同じアマチュアで向学心あふれる人が、専門家の元で専門教育を受けているとしても、それを妬いてイジワルをするなんて、オトナのすることじゃないですよ。

  20. すとん より:

    アデーレさん

    >日本の合唱は平均的な均一な音色じゃないといと疎まれ、ヨーロッパはかなり事情は違うらしいです。

     大雑把に言えば、そんな感じのようです。

     ヨーロッパでは音楽ってのは、教会か劇場のどちらかで演奏されるものです。教会音楽における合唱の役割は、多くの場合“救われるべき罪人”ですし、劇場音楽の場合は、いわゆる“モブ”が合唱の役割になります。つまり、どちらにせよ、合唱は“人間の集団”であって、集団感が必要だから、独唱ではなく合唱で歌われるわけです。

     日本の合唱は、すべて…と言いませんが、一つのパートが、まるで一人の人が歌っているかのように、なにもかもが一つに揃っている事に美を見出しているようです。つまり、合唱でありながら、集団ではなく、個が求められるわけです。集団感が求められているのではなく、大音量が求められているわけです。

     これもどちらが良くて、どちらが悪いという問題ではなく、それぞれに求められるモノの違いから、別の形へと進化した結果だと思います。

    >私達?みたいな歌声も、ヨーロッパなら普通に大丈夫らしいですよ〜(笑)

     ヨーロッパまで行かなくても、オペラ合唱団とか、市民オペラ団に行けば、日本でも問題ないですよ。その手の団体だと、オペラを上演する際、名前のある役はプロ歌手が、名前のない役(つまりモブであって、音楽的には合唱です)はアマチュアが担当するのが常ですからね。

  21. びっくり! より:

    「ただハモるだけ」・・・

    貴方は、独唱にしか価値を見出せないのですか?

    だったら、オケだって、貴方から見たら
    気持ち悪いハモりでしょう。

    やだやだ!

    音楽性のかけらもない方ですね。

  22. すとん より:

    びっくり!さん

     私は確かに、あなたがおっしゃるように“音楽性のかけらもない”事は自覚していますので、あなたの捨て台詞は、精神的攻撃としては効果はありません事をお伝えします。

     いわゆる、サヨクとかパヨクとか呼ばれる方々の常套手段として、相手が言ってもいない事/やってもいない事を、あたかも言ったかのように/行ったかのようにあげつらい、それに対して反論をする。つまり、嘘に対して反論をすることで、相手を窮地に追い込み、周囲の人々をサヨク/パヨク側につける…というのがありますが、その手法を私のブログに持ち込まないでください。

     よほど『ひとこと』欄に書かれたことがお気に召さなかったのでしょうね。

     私は日本人であれ外国人であれ、善人もいれば悪人もいると思いますので、今回の犯人は憎むべき対象ではあるけれど、だからと言って韓国人のすべてや、韓国系移民の人々の全部が悪人であるとは言ってもいませんし、思ってもいません。私が言っているのは、日本人相手なら容赦のないマスコミが、韓国系移民が犯人だとクチを閉ざすのはおかしい事ではないかと言っているだけで、私が批判しているのは、韓国人や韓国人社会ではなく、マスコミの報道姿勢についてです。人権問題に萎縮しすぎて、ちょっと公平な態度とはいえないんじゃないの?という事を言っているだけです。

     さてさて。

     私は合唱音楽を、ただハモるだけの音楽とは、残念ながら思ってませんし、書いたこともないですよ。

     私は独唱が好きですが、同じくらい合唱も好きだと、ブログで何度も書いてますよ。

     私はオーケストラの美しいハーモニーは大好きですよ。特にヴァイオリンを一時期やっていた事もあって、弦楽の美しい響きは大好物です。

     ですので、あなたが書かれたコメントのうち、私に“音楽性のかけらもない”と書かれた事以外は、すべて虚偽の内容です。

     だからと言って、謝罪は要求しません。サヨクやパヨクの方って、絶対に謝らないですからね。そういう方に謝罪を求めても、泥仕合になるだけで、それはみっともない事になりかねませんし、ここを読んでいる方々も、それは求めていないでしょう。

     ただ、私はネトウヨでもなんでもない、ただの音楽好きのジジイですから、こんな私を攻撃対象にするのは、むしろ、あなたがたの狭さが表立ってしまって、普通の方々があなたがらから逃げ出してしまう事になりかねませんよ…と老婆心ながらご忠告差し上げます。

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