習い事には、必ず生徒がいます。生徒には色々なタイプの人がいます。
その中には「上達はしてもしなくてもいいけれど…」という人がいます。そういう人たちの望みは「上達しなくてもいいけれど、友達を作りたい」とか「上達しなくてもいいけれど、老後の時間つぶしとして楽しければいい」と考えるわけです。習い事と言っても、オトナの趣味ですから、それもアリですし、そんなに少なくない数の生徒が、ここに当てはまると思います。
その一方で、あくまでも、上達したい、どこまでも上達したい、できればプロのように演奏したい、プロ並の腕前になりたい…という激しい向上心を持って学んでいる生徒さんもいます。
習い事には、先生がいます。先生とは、大抵の場合、専門教育をしっかり受け、演奏家としての経験があります。
ですから先生と呼ばれる人は、上達するために何をどんな順番で習得していかないといけないのかを知っています。また、そのために、どれだけの努力と時間と才能が必要なのかも知っています。そして、目の前にいる、激しい向上心を持っている生徒には、それらが決定的に不足している事も知っているわけです。
先生ならば、そのような生徒と接した時に、少なからずの葛藤があるはずです。
向上心だけは激しくても、明らかに望んでいるだけの上達なんて出来ないと分かっている事を、その生徒に、どう伝えるべきだろうか?
伝えないとするならば“いずれできるようになる”という、偽りの前提で接することになるが、それは指導者として正直な姿なのだろうか? それともいくら求めても得られないものなのだから、正直にそれを伝えて、出来る範囲で楽しめるように説得して目標を変えるようにアドヴァイスする事が良いことなのだろうか?
先生側の本音で言えば、真剣に教えると言うのは、テクニック的にも体力的にも精神的にも大変な事です。多くの先生は、安い謝礼でレッスンを引き受けているわけです。正直、小遣い稼ぎレベルです。せいぜい生活費の足しになればいいや…という程度の金額で教えている人もいるわけです。だから、そんな程度の謝礼なのに、多くを求められても、金銭的に合わないし、正直困ると思う人がいても不思議ではありません。
だからと言って「あなた(のような熱心な生徒)は、私向きの生徒ではありません」と言って、せっかくの金づるを手放すのは、ビジネス的には、モッタイナイわけです。習い事の先生なんて、所詮、客商売なんだし、生徒(つまり、お客)に対しては、いい顔をして、おべんちゃらを並べて、いい気分でお金を落としてくれれば、それでいい…という気持ちだって、ゼロではないでしょう。
また、ある程度、先生としての経験がある人は知っています。
最初は熱心な生徒であっても、大抵の場合、その情熱は長く続かない事を…。生徒が持っいていた、激しい向上心も、三ヶ月、半年、一年と経つと、段々と薄れ、やがては消滅してしまう事だってある事も…。実際、長期にわたって、熱心に学び続けられる生徒なんて、稀有な存在なんです。
おまけに、生徒というモノは、嘘を言うモノです。「真剣に学びたいのです」と言ったくせに、全然練習してこないモノです。たいていの生徒は、口先ばかりで、態度や生活が伴っていないモノです。そんな嘘つきたちに真剣に付き合っていくのは、バカの骨頂だと思う先生だっているでしょう。
要するに、生徒というモノは、楽して上達したいのです。楽する事と上達する事は、本来、相反するものだと先生は知っていますが、生徒は知らないのです。
先生は、ボランティア活動ではなく、仕事として教えているわけです。仕事である以上、割にあわない事はできません。多くを求められても応えられない現実をどうするかが問題なのです。
善意で対応するにも限界があるし、教師にだって生活はあるわけで、そこは何とも悩ませい問題であります。
ちゃんとした覚悟も無しで、簡単に「プロ並みになりたいのです」と言って、一時的に熱心になるのは、ある意味、生徒側の甘えであり、見通しの無さであり、そんな事で先生を振り回すのは、オトナのやることではないのかもしれません。オトナならば、自分の可能性と限界の両方を見ながら、ホドホドを目指すべきであり、周囲にも自分にも負担をかけずに、趣味として極めていくべきなのだと、私は思います。
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コメント
? 何かあったんですか。
こうじさん
別に何もないですよ。ただ、先生方も大変だなあ…と同情しているだけですって。