よく若者に「自分の好きな事、熱心になれる事を職業に選びなさい」とアドヴァイスをするオトナがいます。この言葉は一見正しく聞こえますが、少なくとも私は、そのようなアドヴァイスを若者にはしたくないなあと思ってます。
と言うのも、仕事って厳しいものであり、シビアで情け容赦のないモノだと私は思っているからです。
仕事になれば、働く人が、自分の好きな事や楽しい事だけを行っていくわけにいきません。仕事である以上、それが自分の嫌いな事や趣味に合わないモノ、意に沿わないモノであっても、顧客が望む以上、行わないわけにはいきません。大切な事は、顧客のニーズであって、仕事をする側の楽しさではないからです。
仕事とは、自分のために行うわけではなく、顧客のために行うものだからです。
顧客のニーズを無視し、仕事をする側が、自分で仕事を選び始めたら、それは仕事とは言えなくなってしまいます。ですから、自分の好きな事を仕事にしてしまった場合、その好きだった事が好きでなくなってしまう事だってありうるのです。それは悲しい事です。なので、私は「自分の好きな事、熱心になれる事を職業に選びなさい」とは、絶対に言わないのです。
それに仕事ともなると、常に損得を考えなければいけません。損を避け、得を取る(ただし長期的視野にたてばこの限りではない)わけで、そんな事を考えたら、楽しい事も楽しくなくなりますよね。
では、どうしたら良いのでしょうか?
私ならば「好きな事は趣味にとどめておきなさい。得意な事を仕事にしなさい」とアドヴァイスします。人はついつい『自分の好きな事は、自分の得意な事でもある』と考えがちですが、実はそんな事はないのです。「下手の横好き」という言葉もあるくらい、人は好きな事に関しては目がくらみ、自分の実力をきちんと測る事ができなくなりがちです。案外、好きで熱心に取り組んでいる事が、実はたいしたレベルではない…なんて事は、往々にあります。そんなものを仕事にしたら、不幸です。きちんと自分の適性と実力を推し量って、得意な事を仕事にするべきです。得意であれば、好きでなくてもかまいません。いや、好きで無い方が仕事に対して冷静に取り組むことができますから、かえって好都合かもしれません。
で、大好きな事は、趣味にとどめておくわけです。
趣味はいいですね。趣味は、自分が好きだから行うわけで、他人の顔色をうかがう必要はありません。やりたい時にやりたいだけやればいいわけで、ある意味、わがままいっぱいに振る舞うことができます。自己主張が強くてもいいし、自己中心的になっても問題ありません。大切な事は、自分自身を喜ばせる事です。ですから、趣味では、義務的に行うようでは楽しくないし、責任なんて負っちゃいけません。だいたい、趣味では損得は考えません。損をしても楽しければいいのです。それが趣味です。
常に楽しい事だけを追い求めるのが趣味ですから、趣味と仕事は両立しないものです。
なので、趣味を仕事にしてはいけないと、私は考えているのです。
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コメント
世界的に有名な、ある指揮者さん(誰だったか、忘れました。外国の方です)、
こんな主旨のことをおっしゃっていました。
「音楽に関しては、努力はしたが、苦労はしなかった。
音楽家として成功している私だが、実は、音楽よりも、
美術とテニスの方が、よっぽど努力した。
が、全くものにならなかった。
音楽の才能はあったが、美術・テニスの才能はなかったのだ。」
私の甥っ子、アニメが大好きで、絵心もあったので、
高校卒業後、3年間、アニメの専門学校で勉強し、
その後、アニメ制作会社で、無給でアシスタントをしていましたが、
ある日、「明日から、もう、来なくていいよ。」と言われてしまいました。
若者には、好き・嫌い、才能ある・なし、をよーく考えて欲しいし、
しかし、若者には、自分も世界も、見えていないから、
年長者のアドバイスにも、よーく耳を傾けて欲しい、
そんなことを思った、今日のすとん様エッセイでした。
おしまい
私も歌うの仕事にしなくて良かったなあ、と思ってます。
勝手にオペラ・アリア歌っても、誰がモンク言う訳でないしね。
寧ろ、プロじゃないのに歌える、と褒められちゃいますから、嬉しいですね。
その代わり、仕事はお金が拘ってるワケですから、失敗こいてはいけません。
緊張しますわ。
>私ならば「好きな事は趣味にとどめておきなさい。得意な事を仕事にしなさい」とアドヴァイスします。
すとんさんのこれ、まさに正論です。中年オヤジになった今だから、私はこのアドバイスの意味が深く理解できます。問題は、若い連中は自分の得意なことがいったい何なのか、自分でもわかっていないことです。この得意なこと探しが大変だと思います。
私は数多くの転職をしてきました。職種に一貫性がないということは、前の経歴を活かすことが一度もできなかったということになります。引越しも転職もすさまじかったので、まさに流れ者です。45歳でたまたま今の仕事に出会い、ああこれが自分の得意なことだと悟りました。その仕事との出会いはまったくの偶然です。これは努力とか向上心とかは関係なく、偶然の出会いの問題です。
私の友人で、好きな音楽を仕事にして成功した女性がいます。進路を決めたのは中学生の時で、それから目標に向かって一直線ですから、その才能と根性は大したもんです。
しかし一度メジャーになっても、芸術の世界でそれを維持するのは大変です。本人は泣き言は言いませんが、生みの苦しみは伝わってきます。私は趣味で楽しく音楽をやれるわけですから、俺って意外と幸せな立場だなとホッとします。
若いころ、仕事とは単なる金儲けの手段と思っていました。ブラック企業で働いていると、そう考えるのが普通です。ガキのころから醒めてましたから、世の中こんなもんだと思ってました。俺はこんなところで終わる男じゃねえ、なんて気合はまったくありませんでした。バイクのコーナリングだけが得意といっても、プロのレーサーや白バイ乗りになれるほどの腕前でないことは自覚していました。こんな自分は社会の消耗品に過ぎないのだから、消耗品は消耗品らしく黙って働いてりゃいいと考えていました。ある意味、メチャクチャ謙虚な若者でした。
今の仕事は自分の趣味とはまったく関係のないジャンルです。趣味を仕事にするのは、たとえ仕事が成功したとしても不幸かもしれません。私のように、たまたま自分の天職が見つかった(自分に意外な方面の才能があった)というのが一番幸福なように感じます。仕事自体が面白いから、ヒマがあったら仕事したくなります。これはブラック企業にいたころは考えられないことです。
おそらく若い人は、私と同様、自分に何が向いているのかわからないでしょう。となると、私がやってきたようにいろんなことをやってみるしかないです。
運が良ければ、天職が見つかります。天職とは何かと言うと、休みを返上してでも働きたくなる種類の仕事です。労働自体が楽しくて、しかも結果が出る(金が儲かる・社会に評価される)仕事のことです。
運がなければ、一生天職探しで終わるでしょう。確率の問題です。(冷たいアドバイスだな)
どこにチャンスが転がっているかわかりませんから、常に周りを良く見ることです。
スケボーが得意な兄ちゃんがボードの自作に挑戦したとします。それはたぶん失敗するでしょうが、初めてやってみた木工が意外と面白くて、その後プロの大工になる可能性もあるわけです。プロのスケートボーダーを目指すよりも、大工で金を稼いでスケボーを大人買いすればいいんです。
フルートが大好きで、もう自分にはフルート以外は考えられない、って女の子もいるでしょう。いろんなことをやってみてください。たまたま食べたケーキが美味しくて、自分も真似して作ってみたら友人たちに絶賛されたということが起こるかもしれません。そこからどう話が転がっていくかが面白いのです。
operazanokaijinnokaijinさん
甥っ子さんの話じゃないけれど、好きなことを仕事にして、それで挫折すると、好きな事がイヤになってしまいます。それって悲しいよね。まあ、そこでくじけずに努力し続けていくと花が咲く…のかもしれませんが、それには時間がかかるしね。人生、時間は有限ですから、なるべく回り道はしたくないわけです。
甥っ子さん、仕事は何か堅気の商売をして、アニメ方面の才能はコミケなどで発散させるのが、たぶん幸せなんだと思います。
>しかし、若者には、自分も世界も、見えていないから、年長者のアドバイスにも、よーく耳を傾けて欲しい、
そうなんですよ。でも、年長者のアドバイスに耳を傾けられる若者は、案外、自分や世界が見えている子なんですよ。アドバイスが本当に必要な子ほど、アドバイスに耳を貸さない…まあ、それが若さであり、若さって生意気なモンなんだと思ってます。
若者が耳を貸さないからと言って、しつこく説教していると嫌われちゃうと、ほんと、困ったものです。
おぷーさん
>勝手にオペラ・アリア歌っても、誰がモンク言う訳でないしね。
そうなんですよ、むしろ下手くそなプロなんかになったら、一生オペラアリアを歌うチャンスなんて手に入れられないかもしれません。それを思うと、ほんと、アマチュアで良かったと思います。
>その代わり、仕事はお金が拘ってるワケですから、失敗こいてはいけません。
そうすっよ、さらに言えば、失敗こいちゃいけないだけじゃなくて、組織で働いていると、後輩たちを育てていくのも仕事だったりするわけで、部下のうちから、誰かスジのいいやつを選んで、少しずつ私の仕事を仕込んで引き継がせないといけないわけで、それも面倒と言えば面倒。趣味なら、自分のことだけ考えていけばいいわけだから、ほんと、楽しくて楽です。
在日日本人さん
>おそらく若い人は、私と同様、自分に何が向いているのかわからないでしょう。
多くの若者は、自分が何者なのかが分からないのだと思いますし、私も分かりませんでした。そこで自分探しをするのも良いでしょうし、あるいは、とりあえず目の前の仕事に飛び込んで自分を試してみてもいいと思います。
>スケボーが得意な兄ちゃんがボードの自作に挑戦したとします。それはたぶん失敗するでしょうが、初めてやってみた木工が意外と面白くて、その後プロの大工になる可能性もあるわけです。
>たまたま食べたケーキが美味しくて、自分も真似して作ってみたら友人たちに絶賛されたということが起こるかもしれません。
人生、何がきっかけで、どう転ぶか分からないものです。私自身、自分の人生を振り返ってみると、そう思います。色々なこときっかけになって、様々な事を学び、それらを自分の実力として蓄えてきたからこそ、今の私があるわけです。それこそ“神様のお導き”だってあったわけです。ただし「天は自ら助ける者を助ける」ではないですが、前に進んでいないと道は開けないものです。立ち止まっていたり、座り込んでいたら、人生、何も変わりません。若者たちは、その部分も知っていて欲しいです。
今の時代は、不景気だし、若者にとって生きやすい時代ではないと思います。夢を追いかけていたら日干しになってしまう時代です。目の前にある事をコツコツと真面目に追いかけていけば、そこから自分の夢が広がってくる事だってあるわけです。夢を追いかけるのも楽しいですが、夢を切り開いていくのもいいものだと、私は思います。
>夢を追いかけるのも楽しいですが、夢を切り開いていくのもいいものだと、私は思います。
「夢を切り開く」←いい言葉です。
逆に「夢を追いかけ」ている若者は、自ら選択肢と可能性を狭めています。
フルート好きの中学生がいたとします。おそらく彼女にとって世の中の職業とは、「フルート演奏家」と「それ以外」の二種類しかないのでしょう。世の中には無数の職業がありますが、子供にやってみたい職業を尋ねたら十種類程度に収まりそうな気がします。
私は未知の職業に興味があります。機会があれば仕事の内容を尋ねるようにしています。先月は三種類の人間に遭遇しました。下水工事人、ギブス職人、レントゲン技師です。
近所でドカヘルの兄ちゃんらが道をほじくりかえしていました。缶コーヒーを人数分持って、何をしているのか聞きにいきました。彼らは古い下水管の取替工事をしていました。
外科病院ではレントゲン技師のおばちゃんが「ここだけの話だが患者で最もタチの悪い連中は●●●」と面白い話を聞かせてくれました。
基本、どの仕事でも尋ねることは一緒です。
「この仕事で技術的に難しいことはなにか」
「仕事中にどういうトラブルが起こるか」
「顧客はどういうクレームをつけてくるか」
夜、コンビニに行って弁当を買うと疑問が生じます。これを誰が作って、誰が配送して、誰がそれをコントロールしているのだろうと。
粗大ゴミの日にイスを捨てると、これは最終的にどう処理されるのだろうと考えます。
ちょいと観察する気になったら、身の回りでいろいろな仕事が見えてきます。若い人達は就活で忙しくなる前に、世の中のさまざまな仕事のリサーチをしておくとよいでしょう。我々の知らないところで、我々の生活を支えてくれている人が見えてきます。
ん?なんか社会科の授業みたいですね。
在日日本人さん
私も他所の人の話を聞くのは大好きです。講演なども良いのですが、世間話をするのも面白いし、ブログなどの書き物を読むのも好きです。それも、なるべく自分とは違った世界を生きてきた人の話がいいです。だって、すごく興味深いですからね。「我以外、みな我が師なり」とは、吉川英治版の「宮本武蔵」の武蔵のセリフですが、私は、全くその通りだと思ってます。
どんな人からでも、学ぶべき点はあり、見習うことはあります。
>若い人達は就活で忙しくなる前に、世の中のさまざまな仕事のリサーチをしておくとよいでしょう。我々の知らないところで、我々の生活を支えてくれている人が見えてきます。
「世界は誰かの仕事でできている」は、缶コーヒーのジョージアのCMのキャッチコピーですが、まさにその通りだと思います。我々が生きる社会に存在するモノ(ハードもソフトもそれら)の大半は、人の手によって作られているわけです。そうやって、社会の成り立ちを知ることで、自分に出来ることって見つかるんだろうなあって思うわけです。
在日日本人のおっしゃる“天職を見つける”ためには、容易なことではありませんが、探さなければ見つからないモノですから、若者はそれらを懸命に探して欲しいなあと思うわけです。