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子どもの習い事って、保育園代わりなのか

 これは私の妻から聞いた話。

 妻の実家は商売をやっていて、だから父親はもちろん、母親も、家にいる大人たち全員が昼間は家で働いていたわけで、だれも子どもたちの面倒なんて見ている暇がなかったそうな。今なら“ネグレクト”のひと言で、何らかの処罰なりなんなりのペナルティが与えられちゃうのかもしれないけれど、昔はおおらかだった(笑)ので、そういう事はなかったわけだ。

 学齢以前は保育園に通っていたので、夕方までは保育園が子守をしてくれていたので、特に問題はなかったわけだが、問題は小学校に上がってから。小学校って、特に低学年って、全然早く学校がひけるんだよねえ。そりゃあもう、保育園が夕飯時まで子守をしてくれるのに対して、小学校はヘタすると昼飯前に子どもを下校させたりするんだよ。商売人の立場で考えるなら、鬼畜のような行いだよな(笑)。昼時に子どもを返されても、迷惑至極だってえの(笑)。

 今は、学童保育という名の、小学生対象の保育園があるから良いけれど、あの頃はそんなものはなかったわけで、それで妻は、毎日毎日あっちこっちで習い事の掛け持ちをやらされて、だから色々な芸事が得意だったりするんだけれど、元々好きで始めたわけでもないし、親も期待していなかったものだから、そこそこにしか上達していないわけだったりします。

 時は流れて、息子くんの時代。

 彼の時代になれば、学童保育というものが存在したので、学齢以前は保育園にぶち込み、小学校に入ってからは、学童保育に打ち込んだわけです。でも、学童保育ってのは、小学校低学年が主流で、ある程度の年齢になったら、子どもたちは塾とかその他の習い事に行くようになるわけです。まあ、同じお金をかけるなら、ただ子どもを預かるだけの学童保育よりも、何らかの芸とか勉強とかを仕込んでくれる習い事の方が良いような気がするからだしね。ウチでも、息子くんが小学校の中学年になって、学童保育での居心地があまり良くなくなったあたりから、水泳とかピアノとかの習い事に通わせるようになりました。水泳は、湘南地方に住んでいるのに泳げないのではシャレにならないので、最低限の水泳はできるように…との願いから。ピアノは…当時からすでに歌は歌っていたので、歌えるならピアノも弾けないとマズいでしょう…という親心から。

 そんな邪な親心から習わせていたので、息子くんの水泳は最低レベルにようやく到達した程度で終了したわけだし、ピアノなんて未だにまともに弾けません(笑)。でもまあ、それも仕方ないです。保育園代わりに通わせた習い事だもの、そんな程度だよ。

 まあ、子どもの習い事の中には、親も子も人生をかけて熱心に取り組んでいる人々もいる事は知っているし、そういう人たちが、やがてプロになったり、プロにはならないまでも、ファンとして、その世界を支えていくようになるのは知ってます。でも別に、私は息子くんに、そういう芸事の道に進んで欲しいとは全く思っていないし、万が一、そういう道に進みたいなんて言い出したら、全力で潰すつもりでいましたので、そういう親の気持ちが伝わったのか、習い事もそこそこになってしまったんだろうと思います。

 でも、世の中の親なんて、大半は、そんなもんだよね。

 だって、ピアノの先生を探す時だって、その先生のピアノの演奏力とか、先生自身の学歴や賞歴や、育て上げたお弟子さんを重視するのではなく、近所で開業していて、子ども扱いの上手で、安価なレッスン代の先生が重宝されるでしょう? ウチだって、概ねそうでした。もっとも、ウチの場合は、先生の学歴とお弟子さんの進路先のリサーチはきちんとしましたが(笑)。とは言え、肝心の息子くん自身がグダグダだったので、どんな先生に習っていても、結果は同じだったろうなあ…と今は思うわけです。

 何が言いたいのか言えば、我々庶民のライフスタイルが、ここ数年で大きく変わり、専業主婦の母親ってヤツが減り、以前は商家の女将さんぐらいしか働いていなかったのが、今や、大半の母親がパートを始めとして、働いているのが普通になってしまったという事です。なのに、学校は昼過ぎとか昼下がりとかに終わってしまうわけで、そこから母親たちが帰宅するまでの空白の時間、子どもたちの面倒を見る大人たちがいなくなってしまったので、そこにビジスネチャンスが生まれた…と言うか、社会の仕組みが、その変化に追い付いていなくて、それが子どもや子どもを抱える家庭に歪となって押し寄せているっていう現状があるって事です。

 学童保育もそうだし、塾とか習い事も、その空白を埋めるために存在しているわけです。学童保育や塾は、元々、そんな空白を埋めるために生まれてきたサービスだから良いとしても、習い事っては、望んで学ぶべきものであって、受け身で習うものじゃないですわな。問題は、そこんとこにあると思う。

 で、この問題を拡大していくと、中学高校の部活動の問題へとつながっていくわけだけれど、それはまた後日って事で(笑)。

蛇足 私が子どもの時、もちろん母親は働いていたけれど、習い事をさせてもらえる経済力もなかったので、私は専ら“鍵っ子”をやってました。で、母親の帰宅前に、掃除と洗濯をし、空腹になれば、適当に調理をしてメシを食ってました。小学校低学年の時からそんな生活だったんだけれど、たぶん、今なら完全にネグレクトだな(笑)。

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コメント

  1. operazanokaijinnokaijin より:

    >>>全力で潰すつもりでいましたので
    というフレーズに対して、反対意見を書こうと思い、
    書き始めて10秒後の今、賛成意見に転じてしまいました。

    我が甥っ子、高校卒業時、どこの大学にも受からず、
    絵心があるものだから、アニメ制作に進みたい、と言い出して、
    専門学校に3年、アニメ制作現場で無給修行1年。
    ある日、現場の幹部さんに「明日から来なくていいよ。」と。
    今、24歳、フリーターというか、プー太郎というか。

    この子の両親は、この子に対して非常に甘くて、
    大学不合格、ま、いっか。
    アニメ専門学校、ま、いっか。

    私、おじの立場から、全力で潰しておけばよかった、と思う今です。

    芸術ではなく、司法試験ですが、10年受け続けて、不合格、
    30歳を過ぎて、やっと諦めて、会社に就職したという方を知っていますが、
    こちらも、芸術とは似て非なるとは言え、適性・才能が大事ですね。

    そんなことを思った、今日のすとん様エッセイでした。

  2. アデーレ より:

    子供の習い事、難しいです!親が主導で始めたものはなかなか身につきませぬ。しかし、ある意味、自主性を重んじていると、何もやりたくない子だとしたら、習い事はゼロに。学童保育も低学年にはいいけれど、、。
    しかし、親だって毎日に流され、子育てが終わるころに、何かを始めたいと思ってもなかなか見つからない。だから、わたしらのような?まだその手前で音楽に目覚めてよかった!せめて、やる気のない子供らに親が仕事なり趣味で活き活きと過ごして、生きるって、楽しいこともありそうだな、と子供に見せることかしら、と思う今日この頃、、、。だれしも、一生かかって、色々、浮き沈みありながら人生を完結するのだろうからね!若いうちなら、気持ちさえあれば浮上可能だよね!

  3. すとん より:

    operazanokaijinnokaijinさん

     まあ、私も“人の親”でございますので、息子くんには幸せになってもらいたいと願ってます。と言っても、セレブになって欲しいとは全く思ってません。平凡で面白みがなくても、日々安定した生活を営めるようになって欲しいのです。一攫千金とか才能一発とかではなく、コツコツ真面目に生きていって欲しいのです。

     賢ければ学歴で勝負できますが、そうでもなさそうだし、昔なら、なんとか大企業に就職できれば、それでよかったでしょうが、今の時代、大企業だって潰れちゃいますからね。親としては、色々と悩みますが、本人の適性と才能に応じた地味な仕事についてほしい思ってます。少なくとも、働くことが気ではなく、安定した定期収入が得られる職業に従事して欲しいと思ってます。少なくとも言えるのは「芸事で食えるほど、今の日本は甘くねー」というわけで、そういう芸事の方面にだけは進んでほしくないと思っている次第なんです。

     それに芸事は趣味でやるから楽しいのであって、職業にしたら苦しいでしょ?

  4. すとん より:

    アデーレさん

     結局「子は親の背中を見て育つ」と申します。全力で働いて、全力で楽しんで、本人も人生が充実しているように感じ、周囲からも幸せそうに見られたら、それでいいんだと思ってます。

     正直に言えば、私は自分の人生が(30歳を過ぎたあたりからは)とても幸せで恵まれた人生だったと思ってますので、息子くんにもそういう人生を歩んで欲しいと願ってますが…どうでしょうね。

     習い事は、人生に彩りを添えるものであって、メインディッシュにはなりえない…そう思っているので、ぜいぜい息子くんには、真人間になって欲しいと願っている次第でございます。

  5. だりあ より:

    ここ十年ほどの間に、女性の立場は激変しましたね。
    私は、東京オリンピックの何年後でしたかしら、何の迷いもなく・・・・というと言い過ぎなんですが、まあそれに近い普通のこととして結婚して退職し、専業主婦となり、子の母親となり、子が巣立って、もともとのんびりが大好きな人に戻れてほっとしている今に至ります。それが、=輝くこと、だったと思って疑っていませんでしたが。

    なんだか、今のスローガンの理屈でいくと、それはぜんぜん輝いていなかったらしいんですよね・・・。なんだか自分たちの世代の女性の生き方を全否定されたようで悲しい気持ちになります。このまま、女性に向けて、「輝こう!」という美辞麗句のもと、過重な負担がかかってくるのに、男性は、ずっと休みなく輝きっぱなし、っていうか、家庭で輝きを静める時間もろくに取れないままですと、日本の子供たちの生活はどうなっちゃうんでしょうか。
    塾とか習い事、など、子供たちの放課後生活の下請け業がどんどんさかんになるのでしょうか。

    私は思うんですけど、早い話、「輝く」って言葉は聞こえはいいけど、「働く」ってことと=で、それをベールに包んで、きれいな響きに言い換えてごまかしてるように思います。
    ごまかしのとばっちりは、全部、子供たちのところにいくことになるのでかわいそうです。

  6. すとん より:

    だりあさん

     私は専業主婦が世の中の大勢になるような社会は豊かな社会だと思ってますし、昔の日本はそんな豊かな国だったと思います。

     今はダブルインカムってヤツで、経済的にはゆとりができたかもしれませんが、だからと言って、昔ほど豊かになっているのかと言われると…???です。豊かさって、経済的な問題だけじゃないですもの。

     私は時代は変われど『男は狩りをしにいき、女は巣を守るもの』ものだと思ってます。いやいや『お爺さんは山へ柴刈りに、お婆さんは川へ洗濯にいきました』でもいいや、家庭の中で、そういう役割分担をしていくものだと思います。

     でも今の時代は、お爺さんもお婆さんも山へ柴刈りに行ってしまい、だれも洗濯しなくなっちゃったので、余裕があれば、洗濯を外注することにし、余裕のない家庭はお婆さんが狩りから帰ってきたら洗濯もするようになっちゃったわけです。

     そりゃあもう、完全にしわ寄せは、子どもに来るよね。

     「男性も家事分担を!」とか「イクメン」とか、絶対に変だよね。「男が外で稼ぎ、女が家庭を守る」でいいじゃん。そりゃあ、男一人の稼ぎじゃ足りないって言いたいのだろうけれど、それをやりくりするのが妻の仕事でしょ?

     カネなんて、いくら稼いでも追いつかないし満たされないんだよね。それよりももっと大切な事を見失わないようにしないといけません。

     習い事が保育園代わりになっているような社会は、不幸せな世の中だと思います。もっとも、そこが解決したら、町のピアノ教室の先生方は、大量に失業してしまうのだろうけれどね。

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