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なぜ我々は音楽を習うのでしょうか?

 いい年したオトナが、時間とお金を使って、音楽の習い事をする。本来、オトナと言うのは忙しい存在なわけで、趣味なんかしている暇はないのが普通で、ましてやコンスタントに練習が必要な音楽を学ぶなんて、ありえないわけです。

 でも我々は、そこを乗り越えて、オトナの趣味人として音楽の習い事に勤しんでいたりするわけです。でも、なぜそんな事をしているのでしょうか?

 私自身、自分に問いかけてみたところ、答えは簡単には得られませんでした。

 まあ、根幹には「音楽が上達したい」と言う気持ちはあります。「歌をうまく歌えるようになりたい」とか「かっこよくフルートを吹いてみたい」とかもありますが、それだけの事で音楽を学んでいるわけではないですね。

 私の場合は“老後の備え”というのがあるかな? 長生きをして、仕事をリタイアした後も、健康で元気なら、その隠居生活をどうやって彩ったらいいか…と言うことを、現役である今から考えて、音楽を学んでいるという部分は、正直あります。

 私は元々音楽好きだし、聞くのも好きだけれど、演奏するのも好きです。音楽を聞くだけなら、自分なりに音楽を聞いて楽しめばいいわけで、特別な訓練はいらなく、音楽ファンとしての経験さえ積めば、結構楽しめるようになれるだろうけれど、演奏する方は、やはり、きちんと演奏のための訓練をして、ある程度の腕前にならないと楽しめないという事は分かります。

 では、隠居後から演奏の訓練を始めて、演奏を楽しめるようになれるか…と考えたわけです。別に楽しめるようになれないわけではないだろうけれど、隠居後は、今よりもずっと老いているわけで、カラダも気持ちも老いている事は容易に想像できました。目も見えなくなっているだろうし、耳も聞こえなくなっているでしょう。ボケも入るかもしれないし、何よりも色々な事に対する反応が鈍くなっているだろうし、記憶力だって弱まっているはずです。

 そこからだって音楽を始める事は可能だけれど、そんな年を取った状態で、ゼロから音楽を始めるのは…ちょっと厳しいかもしれない…と思いました。だって、訓練と言うのものは何であれ、体力的にも精神的に負荷がかかるわけで、隠居後の私にそれができるかどうか…ちょっぴり不安になりました。そこで、現役のうちから音楽を始めて、まだ多少なりとも若さの残っているうちに、最初の苦しい時代を乗り越えてしまえば、隠居後は、それなりに楽しく音楽で遊べるんじゃないかって考えたわけです。

 だから、今のうち、歌にせよ、フルートにせよ、ある程度上達してしまって、隠居後は、それらで遊ぶ事を目指したいと考えたわけです。

 なので今、毎日が忙しくても頑張って音楽を学んでいるわけです。私の場合は、こんな感じでしょう。

 妻も音楽を上達したいという気持ちはあるでしょうが、それに加えて、夫婦で一緒に遊びたいという気持ちがあるようです。ある意味、けなげですね。夫が歌を習っているなら、自分も一緒に歌を習って楽しみましょうってわけです。

 ちなみに彼女は、歌は一緒に歌ってくれますが、楽器は一緒にやってくれません。私がフルートを学んでいるからと言って、別に一緒にフルートをやってくれなくてもいいのですが、ピアノでも習ってくれると、二人で合わせられて良いのですが、そこまで手を広げられないようです。まあ、ピアノは難しいですからね。

 私の友人たちを見ていても、音楽を上達したいというだけでなく、その他にも様々な動機を抱えて、音楽を習っている人が、多いですね。

 例えば…“自分探し”とか“自分磨き”。比較的若い女性に多い動機です。“お友達作り”は、おばちゃん世代に多いように見受けられます。“ボケ防止”とか“リハビリを兼ねて”は、年配世代に多いように見受けられます。

 “カラオケ上達”を目的に歌を習い始める人って、すごく多いのですが、その理由で長続きをしている人って、私は知りません。私の知らない所にはいるのかもしれませんが、少なくとも私の周囲には「カラオケを上達したいので、クラシック声楽を学んでいます」という人はいませんねえ…。まあ、カラオケで歌う歌とクラシック声楽では、歌のジャンルが違うので、その違いに気づいた時点でヤメテしまうのかもしれませんが、バレエがすべのダンスの基礎であるように、クラシック声楽はポピュラー音楽の基礎であるので、習い続けていても面白いだろうにと私は思うのですが、やはり結果とダイレクトにつながらないので、辞めちゃうんでしょうね。

 個人レッスン中心の習い事だとこんな感じでしょうが、市民合唱団とか市民吹奏楽団とかだと、また違った理由でやっている人もいらっしゃるでしょうね。まあ、そっち方面に関しては、また稿を改めて書く…かもしれません(笑)。

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コメント

  1. operazanokaijinnokaijin より:

    師弟関係があって、
    師(先生)からすれば、何かを教える、
    弟(生徒)からすれば、何かを教わる、これ、習う、ということ。
    独学の場合、教材を通じて、著者から間接的に習う、と表現できますが、
    独学の場合、「習う」とは言わず、「学ぶ」と言うのが普通でしょう。

    今回のすとん様エッセイにおかれては、
    「習う」と「学ぶ」を厳密に分けておられるわけではないと思いますので、
    漠然と「なぜ我々は音楽を学ぶのでしょうか?」と解釈して、
    コメントをさせていただくならば、私の場合、

    フルートを吹くことが楽しい、
    難しい曲を吹けるようになりたい、
    だから、教材を相手に、大真面目に「学んで」いたけど、
    ある程度学んだら、歌謡曲・Jポップなら、
    何でも吹けるようになって、それで大満足、
    教材相手に「学ぶ」ことは、ずいぶん前にやめてしまいました。

    カラオケボックスに行って、気の向いた曲を入れて、
    あまりに♯・♭の多い指使いになる場合は、キーを変え、移調しますが、
    ♯・♭の少ない調にしてしまえば、
    歌謡曲・Jポップは何でも吹けちゃいまして、大満足しています。

    クラシックに挑戦しようという気概はないので、
    教材相手に学ぶことなく、歌謡曲・Jポップで満足していて、
    ああ、こんなことでいいのかしら?ま、いっか!と、
    そんなことを思った、今日のすとん様エッセイでした。

    おしまい

  2. だりあ より:

    ひとこと欄の文化財につけられた油のことなんですけど。
    油って、付けられた素材が吸い込んでしまったりすると、完全に除去するのがとてもとても大変むずかしいやっかいな物質なんだそうですね。
    なんでそんなことをするのでしょうかねえ。やったのがどこの国の人だろうが、ぜったい許せない卑怯な行為ですね。アタマにきますね。

  3. すとん より:

    operazanokaijinnokaijinさん

     「習う」と「学ぶ」は、あえて混同しています。と言うのも、記事を読んでいる人には、先生について習っている人もいるだろうし、独学で学んでいる人もいるだろうし、仲間同士で磨き合っている人もいるだろうって事で、あえてその辺を混同していたりします。まあ、間口を広げているわけですね。

    >歌謡曲・Jポップは何でも吹けちゃいまして、大満足しています。

     それは楽しそうですね。私の場合は、歌謡曲とかJポップだと、フルートではなく、じかに自分で歌っちゃいますからね(笑)。私がフルートで吹きたい曲は、ずばり“歌えない曲”です。器楽的な雰囲気の曲とか、歌でも女声ヴォーカルじゃないと面白くない曲とかね。フルートって、ちょうど音域的に女声なんですよ。だから私にとってのフルートは“(自分用の)女声のノド”なんですね。

  4. すとん より:

    だりあさん

     ホントにこの事件はヒドいです。お寺とそこにあるモノたち、とりわけ古くから存在しているお寺などは、我々の文化財であると同時に、信仰心の象徴だし、伝統と誇りでもあるわけです。それらの文化財は、昔々から多くの人たちに大切に守られて、何百年も生き残ってきたんです。でもそれが、一人のアホウの悪意で、今まで積み重ねた歳月が一瞬のうちに無に帰し、すべてが台無しにだってされかねないのです。

     やっている事は“たかが油”じゃないんです。彼らが汚しているのは“私たちの先祖たちが守ってきた大切な思い”なんです。だから、許せないんですよ、私。だから、怒っているんです、私。

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