最近、色々と忙しくてフルートの練習をロクにしていなかった私ですが、どうやら忙しさのピークを乗り越え、少しずつ自宅での練習もできるようになり、レッスンにもなんとか通えるようになってきました。
そして思うことは「フルートの練習は、あまりサボらない方がいいなあ」という事です。いやあ、実に仕事の繁忙期は練習サボりまくったからなあ~(遠い目)。とにかく、レッスンが無いと、なんか気分がのんびりしてしまって、練習に身が入りません。やはり、コンスタントにレッスンに行くと言うのは大切な事です。
練習をしなくなって良かったなあと思うことは、あまりありません。あまりにフルートを吹かなかったため、フルートのメカの狂いが少なくて、調整に行く手間が省けて良かったなあって事くらいです。本当なら、3月あたりに調整に行かなければいけなかったのに、その必要を全く感じなかったんですから。
その一方、練習をサボってしまったために、失ってしまったものはたくさんあります。
例えば、指の動きの円滑さ。元々、指は動く方ではありませんでしたが、ここのところは、本当に動きません。指をどう動かしていいのか、迷うことも多い(笑)し、動かし方も均一ではなくなっています。筋肉が衰えた…んでしょうね。これを以前のレベルに戻すには、かなりの時間が必要かも…。
クチビルの脱力もダメになっていました。まるで、本当の初心者に戻ったかのようで、無駄な力がクチビルは入ってしまいます。クチビルの脱力ができないと、高音である三オクターブ目の発音はまず無理なんですが、その無理な状態に陥っている私がいます。
三オクターブ目と言えば、そのあたりの運指もキレイに忘れてしまいました。ほんと、情けないったら、ありゃしない。
読譜力も落ちているし、練習していた曲そのものも忘れてしまいました。ははは、ほんと、冗談じゃないよ。
私に残っていたものは…先生がおっしゃるには「音色の美しさ」だけなんだそうです。つまり、この部分は後天的に修得したものではなく、最初から私に備わっていたモノって事なんでしょうね。もっとも、私に備わっていた…と言っても“私自身に備わっていた”と言うよりも“私の楽器に備わっていた”だけのような気がします。それくらい、アゲハ(アルタスフルート)の音色は美しいからね。
ひとまず、仕事の忙しさのピークは過ぎたので、ボチボチと練習を重ね、失ってしまったものを、一つずつ拾い集めていくことにします。それにしても、学ぶのに難く、失うに易いのは、年寄りの習性なのかしらねえ。若い時は、いくら練習をサボったからと言って、こんなに見事なにスッパリ忘れてしまうなんて事はなかったのに。ああ、恐るべきは老化現象だな。
きっと、1年くらいサボり続けていたら、全くフルートを吹けなくなってしまうかもしれません。若い時に見つけた事は、30年経っても案外出来るのにねえ…。やはり技術ってヤツは、習得年齢が大切なのかもしれません。でも、時間は逆さまに流れませんからね。「いつ、学ぶの?」「今でしょ!」 この言葉は結構的確に真理を突いているかもね。なにしろ、これからの人生において“今”が一番若い時なんだから。
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コメント
楽器に限らず、「練習は嘘つかない」、と言われますが、ホントにぜったいに練習は結果を出してくれると思います。なんだってそうですよね。家事だって仕事だって、はじめは練習みたいなもんですよね。人生だって、たっちも、おゆうぎも、おべんきょうも、練習の連続だったなあと、今にして思います。
で、さぼるとさぼった結果、まじめにやればまじめにやった結果がちゃんと出てましたもんね・・・・・。
でもなぜか、何事でも、「ちょっとさぼって、ハッと気づいて」、がんばったあとは、後退したぶんの取り返しも早かったですよ。だから大丈夫ですって。
指だって譜読みだって、取り返したらぜったいにおまけももらえると思ってください。いくら老化現象のさなかだからって、だてに何年も笛吹いてたわけじゃないんですから、ぜったい大丈夫!、まーくやしいけと、忘れることだけはほんと、早くなりました。アッという間ですね。
だりあさん
はい、取り返しますよ。失地回復運動ですよ、レコンキスタですよ。頑張りますよ。
ブランクと言えば、ヴァイオリンが、本当に何もしない日々が続いていたのですが、久しぶりに弾いてみたら、ほとんど衰えていませんでした。まあ、到達した点が全然低かったので、これ以上下手になれない…とも言えますが。下手になれる下限ってのがあるみたいです(爆)。
たどたどしく遊び弾きをする程度なら、ヴァイオリンはイケるという事を発見して、今更ながらビックリしてます。確か、ヴァイオリンって、やたらと難しい楽器のはずなんだけれどなあ(笑)。