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どうしてそんなに楽譜にこだわるのか?

 もちろん、ガチなクラシック系フルーティストの方は、大いに楽譜にこだわった方が良いと思うし、自分の個性を加えながら、丁寧に楽譜通りに演奏するべきだと思います。と言うのも、クラシック音楽においては、演奏家は作曲家に尽くす下僕のようなモノだからです。私はこのような状況を“楽譜至上主義”と呼んでいます。とにかく、エライのは、その名曲を創造した作曲家であって、演奏家は作曲家が創りだした名曲を、寸分違わずに演奏として具現化していくのが使命だからです。

 つまり、演奏家に求められているのは、音楽の再生(プレイ)なんだよね。

 ところが、趣味でフルートを吹いている人って、どれだけガチなクラシック系の奏者の方なんでしょうか? 一度手を胸に置いて考えてみると良いかもしれません。

 ポピュラーソングとかJ-POPとか吹きませんか?

 もちろん、バッハやモーツァルトも吹くけれど、ポピュラーソングもJ-POPも吹きますって人の方が、ガチなクラシック系のフルーティストさんよりも、数が多いんじゃないかしら? 少なくとも、趣味の世界で楽しんでいる人は…ね。

 もちろん、私もそうです。レッスンではガチなクラシック曲(それもみんなエチュードですよ:涙)を吹いてますが、遊び吹きでは、普通にポピュラー曲を吹いてます。今は発表会などに参加するチャンスがありませんが、もしも発表会にお呼ばれしたら…ホーム・クラシックとかライトクラシック、あるいはクラシック・クロス・オーバーな曲を選ぶかもしれません。

 つまり、趣味でフルートを吹いている人って、そういうユルめの人も少なからずいるって事です。

 実は、ポピュラー曲ってのは、クラシック作品とは根本的に異なっています。何が異なっているのかと言うと、ポピュラー曲では楽譜というのは、後付だったり目安だったりするんです。クラシックが“楽譜至上主義”であるならば、ポピュラーは“出たとこ勝負”と言うか“パフォーマンスがすべて”だったりします。楽譜通りに演奏するよりも、演奏者の自分らしさを表現する事の方が優先されます。当然、演奏にはオリジナリティが求められるわけだし、アドリブやフェイクはあって当然です。

 ポピュラーの世界では「カバー曲はオリジナルを越えなければ意味がない」としばしば言われますが、これなんてクラシックの世界ではありえない話でしょ? 「オリジナルを越える? なにそれ??」って話ですよ。

 ポピュラーでは、オリジナルと同じ事をやったら負けなんです。作曲家の指示通りにすべて演奏したらアウトなんですよ。私の前のフルートの先生はポピュラーの人でしたが、私が曲を楽譜通りに演奏すると、よく注意したものでした。「楽譜通りに吹かないで。それじゃあつまらないでしょ」ってね。

 もちろん、楽譜通りに演奏できる事は前提です。楽譜通りに演奏できないから、楽譜から逸脱した演奏をするのではなく、楽譜通りに演奏できるけれど、その上で、あえてオリジナルを越えた演奏をする…という思想なんですよ。

 つまり、楽譜通りに演奏できるけれど、あえてやらない、それがポピュラー音楽の世界なんですね。

 あと、ポピュラー音楽では、意外なことかもしれませんが、読譜よりも耳コピの方が重視されるんです。だから(特に海外では)プロであっても、楽譜の読み書きに不自由のある人も少なくないですよ。もっとも、楽譜が読めなくても、耳コピ能力が高いので、仕事には不自由しないんです。

 実際、ポピュラーの演奏会場で配られる楽譜には、音符が書かれていない事もあります。歌詞とコードしか書いてないんだよ。音符が書いてあっても、ヴォーカルのメロディしか書いてないモノもたくさんあります。でも、それでみんな、きちんと演奏しちゃうんだから、やっぱりポピュラー音楽は、クラシックとは違います。

 もっとも、クラシック音楽でも、楽譜が得意じゃない人もいないわけじゃないです。

 パヴァロッティは、楽譜が読めないと噂されていたそうです。それに対して本人が某インタビューで反論をしていて「私が楽譜を読めないという噂があるけれど、それは間違いです。少なくとも、歌のメロディをピアノで弾くくらいはできます」という趣旨の事を、胸を張って答えてました。その言葉を信じるなら、パヴァロッティが楽譜を読めないと言うのは、言い過ぎかもしれないけれど、楽譜が苦手というのは本当でしょうね。ちなみに、ドミンゴは指揮者としても活躍していますので、楽譜はバッチリなんだろうと思います。

 ビートルズのポール・マッカートニーは、楽譜がとても苦手で、だから彼は最初のクラシック曲である「リパブール・オラトリオ」を作曲した時に、カール・デイヴィスという指揮者兼作曲家の人と組んで、彼に曲を記譜してもらったそうだけれど、そうやって作り上げた作品が、マッカートニーとデイヴィスの共作になってしまったそうです。その事に、ポール・マッカートニーは大いに不満があったというインタビュー記事を読んだ事があります。だから、彼は次のクラシック作品からは、他人と組まずに、一人で作曲して、記譜はコンピュータに任せているんだそうです。

 そう考えると、コンピュータ以前の世界では、優れた作曲能力をもった音楽家がいても、楽譜が書けないばかりに作品を残せなかった人もいるんだろうなあ、それって、なんかもったいないなあ…なあんて事を考えちゃいました。

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コメント

  1. chako より:

    >CLASSICS
    先生の受け売りですが楽譜通り(作曲者の意図)吹くのがクラシックの醍醐味とか
    堅苦しさの要因でありまた吹きこなせた際の達成感の喜びが有ります
    >JPOPS
    ボーカルがあるせいかかなり自由度は有りますよね
    一青窈のハナミヅキを練習曲でやりましたが入りやすいし多少のズレは許されるから
    単純に楽しかったですよ

    音楽の基礎はクラシックに有るので楽譜通りを克服してからの方が
    更に自由度広がるような気がします
    いずれにしても練習有るのみ(^^;)

  2. すとん より:

    chakoさん

     クラシックは計算された美しさが、ポピュラーは自由と創造性が売り物だと思います。でも、クラシックと言えども、バロックは演奏の自由度が高いですし、イタリア系の声楽は、しばしば楽譜通りに演奏しない事もあります。またポピュラーであっても、吹奏楽のように、楽譜にしっかりと縛られている音楽もあります。

     細かく見ていくと、クラシックとかポピュラーとかの枠組だけでは考えられないモノもあるんですよね。

    >音楽の基礎はクラシックに有るので

     これ、よく言われる事ですが、実際、クラシックは全然ダメなポピュラー奏者って、たっくさんいます、それもうじゃうじゃと…。彼らを見ていると、音楽の基礎にクラシックは無いんじゃないかって思います。じゃあ、彼らの基礎は何?って言うと、ブルースじゃないかな…って、私は思います。特にアメリカ系の黒人奏者は、そんな感じがする人、多いです。

     まあ、その一方で、クラシック音楽を、専門のクラシック奏者よりも見事に弾きこなすポピュラー…ってか、ジャズ奏者もたくさんいますけれどね。

  3. chako より:

    最後はプレイヤーの根底に流れているsoul次第ですかね
    自分はsoulが無いからメトロノームか夢に出てきそうです(^^;)
    P.S.ヤフオクにアルタスフルートガラス置物出ていますよ

  4. すとん より:

    chakoさん

     ソウル…まあ、演奏からにじみ出る“なにやら”でしょうね。クラシックで楽譜通りに吹いても、必ず“なにやら”出てくるし、ましてやジャズでアドリブかましまくれば“なにやら”の駄々漏れだしね。それをソウルと言うなら、ソウルなんでしょうね。

     しかし、ソウルとカタカナ書きをすると、某国の首都の話をしているみたいです(笑)。

  5. うさぎ より:

    私はジャズや古典邦楽、演歌やラップみたいな歌?が分かりません。どう聞けば良いか分からないのです。ソワソワしちゃいます。自分にはないリズム、音の感覚です。クラッシックが基礎と言われるのはなぜなんでしょうね?発祥・成り立ちの違う音楽を「クラッシックが基礎」と言ってしまうのは言い過ぎなのでは?!とかねてから思っています。
    装飾音符頑張ってください。私もとっても苦手です。(笑)

  6. tetsu より:

    こんばんは。

    > つまり、演奏家に求められているのは、音楽の再生(プレイ)なんだよね。

    ポリーニは、ブーレーズのピアノソナタ2番を数回の練習で暗譜したとかという話を聞いたことがあります。実際に聞いたことはありませんが、リサイタルでは暗譜らしいです。

    https://www.youtube.com/watch?v=6KD39Vt7VFk

    > ポール・マッカートニーは、楽譜がとても苦手で、

    彼のBlackbirdは大好きです。
    ギターの和声進行もいいのですが、それと全然違うところで歌っているような旋律もいいです。「楽譜が苦手」とは信じられません。

    https://www.youtube.com/watch?v=BrxZhWCAuQw

  7. すとん より:

    うさぎさん

    >クラッシックが基礎と言われるのはなぜなんでしょうね?

     学校で習うからでしょ?

    >発祥・成り立ちの違う音楽を「クラッシックが基礎」と言ってしまうのは言い過ぎなのでは?!とかねてから思っています。

     全くその通りだと思います。いわゆる“クラシック音楽”は、ヨーロッパ地方の昔の民族音楽だと思います。なので、本来は現代アジアに住む我々日本人には縁遠い音楽だし、実際、大半の日本人にとって、クラシック音楽などは「何それ? 美味しいの?」状態なのも仕方のないモノだと思います。

     まあ、学校教育にうまく順応した一部の人間にとって、子供時代から学校で慣れ親しんだクラシック音楽は、身近に感じられる音楽となっているだけ…だと思います。まあ、私なんかは、そのクチですね(笑)。

     ただ、学校教育にうまく順応した一部の人間のそのまた一部の人たちって、クラシック音楽しか知らない(ってか、学校で習わなかった事は知らない)ので、クラシック音楽はすべての音楽の基礎基本だと勘違いしているし、またそんな人たちって、声がデカイし、世の中で力を握っていたりするので、彼らの発言には影響力があって、そんな誤解が蔓延してしまった…んじゃないかって思ってます。

     まあ、無関心による無知からの誤解ってヤツです。

  8. すとん より:

    tetsuさん

     別に楽譜が読めなくても音楽は出来ますからね。

     彼らがやっていたロックというビート音楽は、クラシックとはルーツを別とする音楽(アフリカ民族音楽をベースとしたアメリカ黒人の民族音楽)で、楽譜を必要としない音楽です。

     ビートルズの偉業の一つは、そんな彼らの作るロック音楽に、音楽プロデューサーであるジョージ・マーチンがクラシック音楽の要素を掛けあわせて、クラシカルな雰囲気を持ったロックを創りだした事です。ロックにクラシックをコーティングすることで、ロックが広く白人社会(の、とりわけ知識人たちに)に受け入れられるようになったわけです。

     ビートルズのメンバーたち自身は、クラシック音楽とは、ちょっとばかり距離のあるミュージシャンだったわけで、彼らのドキュメンタリー映画である「Let it be」の中にある「Maxwell’s Silver Hammer」のリハーサルシーンを見ると、彼らが楽譜を使わずに音楽を作っていく様がちょっぴり見られます。
    https://www.youtube.com/watch?v=hWvORNC6U08

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